食べられるフグの怖さ ― 2021年08月28日 21時36分

朝の5時、真っ暗いなかを息子が釣りに出かけて行った。職場の仲間と糸島の漁港でカマスを狙ってみるという。カマスは群れになって小魚を襲う。岸辺にやってくる、ほんのわずかの時間がサビキで釣れるチャンスなので、そうたやすく釣れる魚ではない。
案の定、気温30度を超えた昼前に、手ぶらで帰ってきた。
「何も釣れなかったのか」
「うん、食べられるフグが釣れたけど、小さいのが1匹だったから、海に戻してきた」
「ん? 食べられるフグ?」
「そう、シロサバフグ」
「お前、(シロサバフグが)わかるの?」
「うん、店で出しているからね」
息子は魚料理が売り物の和食の店で調理をやっている。シロサバフグを知っていてもおかしくないが、言われるまで気がつかなかった。そして、ぜひ、食べられるフグの見分け方を教えてもらいたいとおもった。
というのも、ぼくは「こいつは絶対に食べられるフグだ」と断言してもいいとおもうフグを釣り上げても、まだ一度も持ち帰ったことがないのである。「もしも……」の怖さが頑固にブレーキをかけるのだ。
いまの時期、漁港の堤防から竿をだすと、嫌になるほど外道のフグが食いついてくる。まんまるい目をいっぱいに開いて、ブギュッ、ブギュッと鳴きながら、白い腹をパンパンにふくらませる姿は愛嬌があってかわいいが、こいつがいると本命の釣りにならない。
鹿児島の港町にいたころ、生きているフグの腹を指先で撫でて、プウーッと大きくふくらんだやつを、通りかかった車に向かって放り投げていた同級生のワルがいた。タイヤに轢かれたフグは、パーン!と渇いた音をたてた。
ぼくたちはフグのざらざらした腹を撫でてはふくらまし、へこんだら、また撫ぜてはふくらましを繰り返して、へとへとになったフグを海に帰していたものだ。生きたフグ提灯は子どもたちがいじくりまわしたくなる遊び相手だった。
そのフグが「食べられる!」と知ったのは、東京から福岡市に移転してしばらく経ったとき。お隣の新宮町の人たちは、あの邪魔者扱いされているフグをふだんから食べているというではないか。呼び名もチーチーフグといい、いかにもおいしそうな名前までつけられていた。
「内臓は猛毒だから、絶対に食べちゃいけない。チーチーフグの大きいのは刺身にするとうまいね。唐揚げもいいよ。えっ、食べられないと思っていたの! 食べてごらんよ、おいしいよ」
しかし、なんと言われようとも、ぼくは食べない。魚の図鑑と照らし合わせて、食用OKと確認しても、食べようとはおもわない。とどのつまり、命が惜しいのである。(このブログを目にした人も食べるのだけは止めてほしい。よく似たフグもいるのだ。)
ぼくがまだ両親の下にいたころ、わが家では父が釣ってきたシロサバフグ(父はカナトフグと呼んでいた)を味噌汁に入れて、ふつうに食べていた。キノコも父がとってくるものは安心だった。
たぶん先祖代々、受け継がれてきたそれらの能力や技術は父の代で途絶えて、このぼくは受け継いでいない。だから釣ったフグも、自生しているキノコも危なっかしくて食べる気がしない。いまとなっては後の祭りだが、父親からちゃんと習っておけばよかった。
また釣りに行くという息子に、今度は食べられるフグは捨てないで、持って帰るように頼んだ。そして、プロの腕前で安全に調理してもらって、熱いフグの味噌汁を仏壇にもそなえてあげることにしよう。
■写真は、先日の大雨の様子が残っている室見川。以前、遊歩道の上まで達していた濁流がひいた後、遊歩道には多くのハヤが行き場を失って、小さな子どもたちに追いかけまわされていたことがあった。
案の定、気温30度を超えた昼前に、手ぶらで帰ってきた。
「何も釣れなかったのか」
「うん、食べられるフグが釣れたけど、小さいのが1匹だったから、海に戻してきた」
「ん? 食べられるフグ?」
「そう、シロサバフグ」
「お前、(シロサバフグが)わかるの?」
「うん、店で出しているからね」
息子は魚料理が売り物の和食の店で調理をやっている。シロサバフグを知っていてもおかしくないが、言われるまで気がつかなかった。そして、ぜひ、食べられるフグの見分け方を教えてもらいたいとおもった。
というのも、ぼくは「こいつは絶対に食べられるフグだ」と断言してもいいとおもうフグを釣り上げても、まだ一度も持ち帰ったことがないのである。「もしも……」の怖さが頑固にブレーキをかけるのだ。
いまの時期、漁港の堤防から竿をだすと、嫌になるほど外道のフグが食いついてくる。まんまるい目をいっぱいに開いて、ブギュッ、ブギュッと鳴きながら、白い腹をパンパンにふくらませる姿は愛嬌があってかわいいが、こいつがいると本命の釣りにならない。
鹿児島の港町にいたころ、生きているフグの腹を指先で撫でて、プウーッと大きくふくらんだやつを、通りかかった車に向かって放り投げていた同級生のワルがいた。タイヤに轢かれたフグは、パーン!と渇いた音をたてた。
ぼくたちはフグのざらざらした腹を撫でてはふくらまし、へこんだら、また撫ぜてはふくらましを繰り返して、へとへとになったフグを海に帰していたものだ。生きたフグ提灯は子どもたちがいじくりまわしたくなる遊び相手だった。
そのフグが「食べられる!」と知ったのは、東京から福岡市に移転してしばらく経ったとき。お隣の新宮町の人たちは、あの邪魔者扱いされているフグをふだんから食べているというではないか。呼び名もチーチーフグといい、いかにもおいしそうな名前までつけられていた。
「内臓は猛毒だから、絶対に食べちゃいけない。チーチーフグの大きいのは刺身にするとうまいね。唐揚げもいいよ。えっ、食べられないと思っていたの! 食べてごらんよ、おいしいよ」
しかし、なんと言われようとも、ぼくは食べない。魚の図鑑と照らし合わせて、食用OKと確認しても、食べようとはおもわない。とどのつまり、命が惜しいのである。(このブログを目にした人も食べるのだけは止めてほしい。よく似たフグもいるのだ。)
ぼくがまだ両親の下にいたころ、わが家では父が釣ってきたシロサバフグ(父はカナトフグと呼んでいた)を味噌汁に入れて、ふつうに食べていた。キノコも父がとってくるものは安心だった。
たぶん先祖代々、受け継がれてきたそれらの能力や技術は父の代で途絶えて、このぼくは受け継いでいない。だから釣ったフグも、自生しているキノコも危なっかしくて食べる気がしない。いまとなっては後の祭りだが、父親からちゃんと習っておけばよかった。
また釣りに行くという息子に、今度は食べられるフグは捨てないで、持って帰るように頼んだ。そして、プロの腕前で安全に調理してもらって、熱いフグの味噌汁を仏壇にもそなえてあげることにしよう。
■写真は、先日の大雨の様子が残っている室見川。以前、遊歩道の上まで達していた濁流がひいた後、遊歩道には多くのハヤが行き場を失って、小さな子どもたちに追いかけまわされていたことがあった。
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