「ひこばえ」賛歌2021年10月12日 09時14分

 先日稲刈りをしたばかりのたんぼが薄い緑色に染まっている。残された稲株から、ひこばえ(蘖)が伸びているのだ。やがて稲穂に育って、ちゃんとモミが実る。
 「ひこばえ」とは木や草の切り株の根元から出てくる芽のこと。気をつけてまわりを見れば、そこらじゅうに「ひこばえ」から大きく育った樹木がある。
 植物は生まれたところから1ミリたりとも動けない。その代わり、いったん根をはったら、そこがコンクリートの細い割れ目であろうとも、そう簡単には死なない。伸びたところをバッサリ切られても、残った体にしぶとく成長点の細胞をつくって、以前よりも、もっとたくましい茎や葉を茂らせる。その生命力たるや、到底、人間の及ぶところではない。
 「ひこばえ」を目にすると、ぼくのからだにもそんな能力があったらなぁと、つかぬことを空想してしまうときがある。
 たとえば、こんなふうに。ここから先は昔ばなし風に進めてみよう。

 昔むかし、あるところに仲のいいおじいさんとおばあさんがいました。
 おばあさんはとても歯が丈夫で、1本も抜けていません。笑うときれいな白い歯が光って、ずいぶん若く見えるのでした。
 おじいさんは上の方の歯は3本、下の方は4本しかありません。笑うと暗い洞穴のところどころに黄ばんだ杭(くい)がニョキッと突っ立っているようです。
「ばあさんは、いいなぁ。イワシの……フニャフニャ……骨ごと食えて。もういっぺん、……モゴモゴ……おもいっきり……ハフハフ……」
 歯のないおじいさんが、何をしゃべっているのか、おばあさんにはよく聞きとれません。それでも、おじいさんの言っている意味はちゃんとわかるのでした。
 ある秋の夜。いつものように差し向かいで、夕食をとっていると、トントントンと家の戸をたたく音がしました。こんな時間に、人が訪ねて来ることなどありません。
「だれかいな。いまごろ」
 おばあさんは立ち上がって行き、家の中から声をかけました。
「どなたですかいのう。なにか用件でもござっしゃいますかいな」
 返事はありません。でも、その代わりというように、ゴトリ、と重たいものが戸に当たった音がしました。おばあさんはびっくりして、くぐり戸を開けました。てっきり行き倒れの病人かとおもったのです。
 目の前には大きな木の株が切り口を上にして、どすんと据わっていました。ところどころから新しい芽が出ていて、かわいい葉っぱが月の光に照らされ、キラキラきらめいています。
 その切り株は、おばあさんにこう話しかけてきました。
「わたしのからだは見知らぬ男たちに伐られて、薪(まき)にされてしまいました。それから男たちはわたしの根っ子まで掘り起こそうとしました。ぜんぶ燃やしてしまえとおもっていたのでしょう。もうダメかというところを通りかかって助けてくれたのが、この家のおいじさんです。本当にありがとうございました」
 おばあさんは目をパチクリするばかり。そこへおじいさんがやってきました。
「おいやー。あんたか。あのときは……フハフハ……ここまで歩いてきなすったか」
「はい。おじいさんに、ぜひともお礼がしたくて。わたしがおじさんのなくなった歯をもう一度、生やしてあげますね。さぁ、大きく口を開けてください。はい、アーンして」
 そう話すと、切り株は自分のからだから伸びている「ひこばえ」を折り取って、あふれ出てきた黄金色の液体を葉っぱですくい、おじいさんの上と下の歯ぐきにまんべんなく塗りつけました。
 それから10日ばかり過ぎた、ある朝のこと。寝床から起きだしてきたおじいさんが残り少ない歯を磨こうと口を開けたら、アラ、不思議。そこには真新しい白い歯がきれいに並んで生えていました。
 おじいさんはすっかり若返って、おばあさんとふたり、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 あーあ、こんなことがあればなぁ。
 さぁてと、ありもしない空想はやめて、最悪の事態を覚悟して、そろそろ情け容赦もない歯医者に行かなくっちゃ。

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