日本とブラジルの9人姉弟2021年10月18日 22時38分

 母方の家族の不思議なことがよくわからないまま、終わろうとしている。調べようにも、もう間に合いそうもない。
 ぼくにはブラジルに遠い血縁がいる。母から聞いた話では、その親戚は母の郷里・波当津の人で、日本から出航した2番目の移民船に乗って、サンパウロへ渡ったという。(初回の移民船は1908年〈明治41年〉に出航)
 その家族には9人の姉弟がいた。一方、ぼくの母も9人姉弟だった。
 不思議なこととは、その9人の生まれた順の性別が同じで、しかも名前までまったく同じ、ということである。
 どちらも年長の方から、女、女、女、男、女、男、女、男、女の順で、祖父と祖母は半農半漁の貧しい生活にも関わらず、よくもまぁ、これだけの数の子どもを産んで、育てたものだ。そして、繰り返しになるが、日本とブラジルの家族の姉弟は上から順々に名前まで一緒なのだ。
 なんだか時空をはなれて、ぼくと血のつながった瓜二つの家族が存在していたようで、もしかすると、自分とそっくりの人間が地球の裏側にいたかもしれないとおもってしまう。
 それにしても、どうして、こんなことになったのか。
 母によれば、ブラジルに行ったのは、親戚のツル爺さんという人で、とても頭がよかったという。そこで、平々凡々の成績だった母方の祖父は、自分の子どもに頭のいいツル爺さんが子どもたちにつけた名前を、そっくりそのままいただいたらしいと言っていた。
 日本昔話じゃあるまいし、それが本当なら、なんとも締まりのない話である。
 しかし、もしも、そうだとしたら、ツル爺さんの家族の構成通りに、9人の子どもをピタリ、ピタリと順番通りに産んだ祖母はアッパレとしか言いようがない。競馬で言えば連勝の万馬券を当てたようなものだ。奇跡と言ってもいいのではあるまいか。(ここまで書いて、オレにもその血が流れている。よし、宝クジを買うぞ、と決めた)
 中学生のとき、ブラジルから初めて帰国して、ぼくの小倉の家に泊まりにきたおばあさんがいた。茶の間に座るなり、母と意気投合してしゃべりまくっていた。初対面なのに、まるで歳のはなれた姉妹のようだった。正体がよくわからないおばあさんだったが、どうやらツル爺さんの子どもか、孫のうちのひとりだったらしい。
 母は戦時中、看護婦として大陸にわたり、満州のチチハルで終戦を迎えた。九州の狭い片田舎を飛び出して行った同じ遺伝子が初めて出会い、お互いに共鳴し合ったのだろうか。
 昨日、両親が眠る延岡市の父方の墓と大分県波当津にある母方の墓参りをしてきた。いまでは母の姉弟は5女と7女の2人だけになってしまった。
 日本とブラジルの9人の姉弟の物語は、だれに知られることもなく、だんだん最終章が近づいている。だから、それがどうしたの、と言われそうだが、だれかがこうして少しぐらいは書き残しておいてもいいだろうとおもう秋の夜である。

■ベランダの花にチョウがやってきた。キタテハであろうか。このあたりをよく飛びまわっている。

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