習慣は、力なり ― 2022年10月30日 17時25分

しばらくブログを書かなかった。理由は自覚している。ひと言でいえば、ブログを書く習慣がきちんと身についていないのだ。
ひと昔前、ベストセラーになった『七つの習慣』をはじめ、『習慣』と銘打った本が乱発されたことがあった。だが、いくらそんな本を読んだからといって、効果てきめんにいい習慣が身に着くものではない。だからこそ、この種の本がいつまでも売れるのだろうが。
さて、主夫業をやっているぼくの習慣のひとつに、朝刊に挟まれている近隣のスーパーのチラシのチェックがある。先着100名様限り、といった目玉商品もあるから、朝のうちに特売品を見つけておくのだ。
たまご、マヨネーズ、サラダ油、しょうゆ、お茶漬け、米、パン、コーヒー、ツナ缶、洗剤、ラップ、それから肉類、野菜、冷凍食品、おすすめの惣菜などに、ぼくの目は走る。どこがいちばん安いかも比較する。そして、冷蔵庫や収納ケースのなかの在庫もチェックしておく。
チラシを見ながら、頭の片隅では晩ご飯の献立を考えている。特売品で、その日の夜のメニューが決まるときもある。そんなときは安上がりでよかったとうれしくなる。これでもそれなりに頭を使っているんだよね。
ところが、である。最近、その頼りのチラシに異変が生じた。
わが家の近くには、食品スーパーは3軒あるのだが、そのすべてが申し合わせたように新聞の折り込みチラシを止めてしまったのだ。いまのご時勢だから、スーパーにも大手メーカーからの値上げの通告が押し寄せているに違いない。薄利多売のスーパーにとって、チラシ代の経費削減は止むを得なかったのだろう。
財布を預かる主夫として、いちばんの関心事は、やはり諸物価の値上がりに尽きる。
実感として、1万円札の価値はガクンと落ちたとおもう。そもそも消費税が8%、10%なのだから、1万円の実質的な価値は9千円ほどしかないのだ。福沢諭吉も、樋口一葉も、野口英世も、アッという間に財布から消えてしまい、1万円札が7、8千円の値打ちしかないような感じすらする。
いまの日本は、年収300万円(手取りでは約240万円)以下の所得層が全体の約4割を占めている。その人たちの気持ちはよくわかる。日本中からお金のやりくりに苦労しているため息が聞こえてきそうだ。
ぼくたちの日々の生活に密着したミクロ経済がこのありさまである。そこへもってきて、ロシアのウクライナへの侵略戦争や急激な円安の影響などで、いよいよマクロ経済も怪しくなってきた。
どうしてこんなことになってしまったのか。おもわず「犯人探し」をやりたくなる。
まったくの私見だが、そこには「目に見えない犯人」として、「習慣化」の影響もあるのではとおもう。
いちばんの習慣化は、不況時の対策は財政出動の一点張りで、何十年も続いている赤字国債の大量発行にすっかり慣れてしまったこと。すでに国の借金は1,000兆円を超えている。もはや「儲かったら返します」という楽観的な段階はとっくに過ぎた。
アベノミクスと歩調を合わせる黒田日銀になってからは、財政出動に超低金利政策も加わった。どんなに赤字国債を発行しても、超低金利だし、しかも日銀が文句も言わずに買い取ってくれるから、もうやりたい放題である。
故安倍晋三元首相が「日銀は政府の子会社です」と、とんでもないことを言ってのけたのは、彼の本音だろう。専門家のなかにも「日本国民の預貯金は巨額ですから、赤字国債はいくら発行しても大丈夫です」と断言する人もいる。
ちょっと待ってくれよ。先の大戦中にもいたよな、「それ行け、どんどん」という手合いが。
習慣化もここまで来れば、もはや固定化というほかはない。そして固定化は柔軟な思考を封じて、いつかは破綻する。その先に待っているのは、手を替え、品を変えての「増税」というしっぺ返しか。
習慣化にも良し悪しがある。停止されたスーパーのチラシの背後には、見たくもないこんな景色がちらほら見えていたようにおもう。
■口直しに、ほんわりした景色をひとつ。ヨモギの葉っぱの上で、人目もはばからずに、ちいさな蝶のカップルがラブラブしている。スマホを接近しても、おふたりは取り込み中のようで、じっとしたまま。恋の邪魔だてをしては怒られそうだから、そっと2回だけシャッターを押して、立ち去ることにした。
ひと昔前、ベストセラーになった『七つの習慣』をはじめ、『習慣』と銘打った本が乱発されたことがあった。だが、いくらそんな本を読んだからといって、効果てきめんにいい習慣が身に着くものではない。だからこそ、この種の本がいつまでも売れるのだろうが。
さて、主夫業をやっているぼくの習慣のひとつに、朝刊に挟まれている近隣のスーパーのチラシのチェックがある。先着100名様限り、といった目玉商品もあるから、朝のうちに特売品を見つけておくのだ。
たまご、マヨネーズ、サラダ油、しょうゆ、お茶漬け、米、パン、コーヒー、ツナ缶、洗剤、ラップ、それから肉類、野菜、冷凍食品、おすすめの惣菜などに、ぼくの目は走る。どこがいちばん安いかも比較する。そして、冷蔵庫や収納ケースのなかの在庫もチェックしておく。
チラシを見ながら、頭の片隅では晩ご飯の献立を考えている。特売品で、その日の夜のメニューが決まるときもある。そんなときは安上がりでよかったとうれしくなる。これでもそれなりに頭を使っているんだよね。
ところが、である。最近、その頼りのチラシに異変が生じた。
わが家の近くには、食品スーパーは3軒あるのだが、そのすべてが申し合わせたように新聞の折り込みチラシを止めてしまったのだ。いまのご時勢だから、スーパーにも大手メーカーからの値上げの通告が押し寄せているに違いない。薄利多売のスーパーにとって、チラシ代の経費削減は止むを得なかったのだろう。
財布を預かる主夫として、いちばんの関心事は、やはり諸物価の値上がりに尽きる。
実感として、1万円札の価値はガクンと落ちたとおもう。そもそも消費税が8%、10%なのだから、1万円の実質的な価値は9千円ほどしかないのだ。福沢諭吉も、樋口一葉も、野口英世も、アッという間に財布から消えてしまい、1万円札が7、8千円の値打ちしかないような感じすらする。
いまの日本は、年収300万円(手取りでは約240万円)以下の所得層が全体の約4割を占めている。その人たちの気持ちはよくわかる。日本中からお金のやりくりに苦労しているため息が聞こえてきそうだ。
ぼくたちの日々の生活に密着したミクロ経済がこのありさまである。そこへもってきて、ロシアのウクライナへの侵略戦争や急激な円安の影響などで、いよいよマクロ経済も怪しくなってきた。
どうしてこんなことになってしまったのか。おもわず「犯人探し」をやりたくなる。
まったくの私見だが、そこには「目に見えない犯人」として、「習慣化」の影響もあるのではとおもう。
いちばんの習慣化は、不況時の対策は財政出動の一点張りで、何十年も続いている赤字国債の大量発行にすっかり慣れてしまったこと。すでに国の借金は1,000兆円を超えている。もはや「儲かったら返します」という楽観的な段階はとっくに過ぎた。
アベノミクスと歩調を合わせる黒田日銀になってからは、財政出動に超低金利政策も加わった。どんなに赤字国債を発行しても、超低金利だし、しかも日銀が文句も言わずに買い取ってくれるから、もうやりたい放題である。
故安倍晋三元首相が「日銀は政府の子会社です」と、とんでもないことを言ってのけたのは、彼の本音だろう。専門家のなかにも「日本国民の預貯金は巨額ですから、赤字国債はいくら発行しても大丈夫です」と断言する人もいる。
ちょっと待ってくれよ。先の大戦中にもいたよな、「それ行け、どんどん」という手合いが。
習慣化もここまで来れば、もはや固定化というほかはない。そして固定化は柔軟な思考を封じて、いつかは破綻する。その先に待っているのは、手を替え、品を変えての「増税」というしっぺ返しか。
習慣化にも良し悪しがある。停止されたスーパーのチラシの背後には、見たくもないこんな景色がちらほら見えていたようにおもう。
■口直しに、ほんわりした景色をひとつ。ヨモギの葉っぱの上で、人目もはばからずに、ちいさな蝶のカップルがラブラブしている。スマホを接近しても、おふたりは取り込み中のようで、じっとしたまま。恋の邪魔だてをしては怒られそうだから、そっと2回だけシャッターを押して、立ち去ることにした。
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