買い取り業者の査定の衝撃 ― 2023年01月13日 14時05分

よろこんだり、切なくなったり、世の中の冷厳な現実に割り切れなさが残る体験だった。
「ほら、お父さん、みてよ。33,500円ももらえるんだって」
机に向かっていたら、カミさんがにじり寄ってきて、スマホの画面を突き出した。当たり籤(くじ)でも引いたような、うれしくてたまらない顔をしている。
「あのネックレスと指輪に、こんな値段がついたよ」
零コンマ数秒後、今度は悲鳴が飛び出した。
「えーっ、たったの200円!? うそでしょ!」
「着物のことか?」
「そう。200円だって。あんまりだとおもわない」
「まるでゴミだな」
ここまでのぼくたち夫婦の会話を聞いて、何の話かおわかりになった人はきっと同じ経験者に違いあるまい。話をわかりやすくするために、時計の針を3日前に戻す。
兼ねてから、カミさんは押し入れにしまい込んでいた着物と帯の処分に困っていた。
このまま持っていても、もう着ることはない。できればだれかにもらってほしいのだが、ふたりの息子に嫁のくる見込みはどこにもない。かわいい孫娘の成長なんて、夢のまた夢である。
大切にしまっていた着物は成人前に母親から買ってもらった羽織、訪問着と帯。それに東京で働きはじめて、自分で買いそろえた訪問着と帯のセット。
気に入って買ったという訪問着は絹の白地にきれいな花々の刺繍が咲いている。帯は古典的な模様が華やかなで、男のぼくの目からみても、手放すのが惜しいほどだ。箱から出してひろげたとき、日本の伝統美が息を吹き返したようだった。
この着物をカミさんがまとった姿をみたことがない。せめて一度でも、日本女性らしい、あでやかな立ち姿をこの目に焼きつけておきたかった。
女ごころと着物には男どもには無縁の物語があるようで、若い日のカミさんはコツコツ貯金をして、精いっぱい背伸びをして、当時のお金で10数万円もしたという。
余裕のある家庭なら、ごくふつうの両親からのお祝い品だろうが、自分の細腕で安い給料のなかから訪問着と帯をそろえた彼女の計画性と根性に、プロポーズしたときの通帳の残高は3百数十円しかなかったぼくは、ただただ尊敬するしかないのだ。
聞けば、どちらも一度も袖を通したことがないという。つまり、新品のまま40年以上も箪笥の奥で眠っていたのである。
「ちょっと若向きの柄のようだけど、訪問着なら流行りすたりはそんなにないだろうから、このままとっておけば」
「でも、着ることはないしね。それに少し染みもついているの」
「そうか。でも、こんなきれいな着物を手放すのは、なんだか切ないな」
「こっちのネックネスも処分しようかな。これ18金よね」
「どれどれ、みせてごらん」
金色に輝く細いネックレスは2本あって、虫眼鏡で目を凝らしてみると確かに18金である。一本は昔つきあっていた彼氏から「お金に困ったときは売ったらいいよ」といわれてプレゼントされたという。
「元カレからの贈り物か。大事な思い出のものだろ。処分していいのかよ」
「いいわよ」
好きな男ができたら、昔のことは早く忘れて、新しい恋に生きるのよ、とだれかさんから聞いたことがある。あっさりしているというか、実にあっけらかん、としたものだ。
「母親からもらった指輪も出そうかな。これ、18金だけど、金メッキだって」
と、まぁ、こんな会話があったのである。
それから3日が過ぎて、買い取り業者から買い取り価格の通知のメールが来たのが、つい先刻、というわけだ。
それにしても、あの着物と帯がたったの200円とは。
まさかそのままゴミに出すわけではあるまい。買い取りを商売にしている業者にも言い分はあるのだろうが、百円玉ふたつぽっちで買いたたいて、なんともないのだろうか。外国に出せば、日本の着物や帯の美しさに感動して、きっと何百倍の値段で買う人はいくらでもいるだろうに。そうじゃないのかなぁ。
こんな捨て値をつけられるぐらいなら、人が通る道端に茣蓙(ござ)でも敷いて、一点1,000円にして、「現品限り、大処分超特価。純和風のインテリアにもどうぞ」とやった方がよほど身銭になりそうだ。
などなど、いろんなことが頭のなかを駆けめぐる。
手間をかけて丹念に着物や帯をつくった人。その着物に出会って、あこがれを持って、がんばって買った人。娘のために無理をして買い求めた人。日本の伝統を大切に受け継いでいる、そんなこんなの人々の熱い思いのこもった着物と帯がたったの200円。
ぼくたちは、日本文化の伝統や人のまごころをおもうよりも、カネ、カネ、カネの即物的で、味気ない時代に生きている、ということか。
■写真はせめてもの思い出にと、カミさんが撮影した。
「ほら、お父さん、みてよ。33,500円ももらえるんだって」
机に向かっていたら、カミさんがにじり寄ってきて、スマホの画面を突き出した。当たり籤(くじ)でも引いたような、うれしくてたまらない顔をしている。
「あのネックレスと指輪に、こんな値段がついたよ」
零コンマ数秒後、今度は悲鳴が飛び出した。
「えーっ、たったの200円!? うそでしょ!」
「着物のことか?」
「そう。200円だって。あんまりだとおもわない」
「まるでゴミだな」
ここまでのぼくたち夫婦の会話を聞いて、何の話かおわかりになった人はきっと同じ経験者に違いあるまい。話をわかりやすくするために、時計の針を3日前に戻す。
兼ねてから、カミさんは押し入れにしまい込んでいた着物と帯の処分に困っていた。
このまま持っていても、もう着ることはない。できればだれかにもらってほしいのだが、ふたりの息子に嫁のくる見込みはどこにもない。かわいい孫娘の成長なんて、夢のまた夢である。
大切にしまっていた着物は成人前に母親から買ってもらった羽織、訪問着と帯。それに東京で働きはじめて、自分で買いそろえた訪問着と帯のセット。
気に入って買ったという訪問着は絹の白地にきれいな花々の刺繍が咲いている。帯は古典的な模様が華やかなで、男のぼくの目からみても、手放すのが惜しいほどだ。箱から出してひろげたとき、日本の伝統美が息を吹き返したようだった。
この着物をカミさんがまとった姿をみたことがない。せめて一度でも、日本女性らしい、あでやかな立ち姿をこの目に焼きつけておきたかった。
女ごころと着物には男どもには無縁の物語があるようで、若い日のカミさんはコツコツ貯金をして、精いっぱい背伸びをして、当時のお金で10数万円もしたという。
余裕のある家庭なら、ごくふつうの両親からのお祝い品だろうが、自分の細腕で安い給料のなかから訪問着と帯をそろえた彼女の計画性と根性に、プロポーズしたときの通帳の残高は3百数十円しかなかったぼくは、ただただ尊敬するしかないのだ。
聞けば、どちらも一度も袖を通したことがないという。つまり、新品のまま40年以上も箪笥の奥で眠っていたのである。
「ちょっと若向きの柄のようだけど、訪問着なら流行りすたりはそんなにないだろうから、このままとっておけば」
「でも、着ることはないしね。それに少し染みもついているの」
「そうか。でも、こんなきれいな着物を手放すのは、なんだか切ないな」
「こっちのネックネスも処分しようかな。これ18金よね」
「どれどれ、みせてごらん」
金色に輝く細いネックレスは2本あって、虫眼鏡で目を凝らしてみると確かに18金である。一本は昔つきあっていた彼氏から「お金に困ったときは売ったらいいよ」といわれてプレゼントされたという。
「元カレからの贈り物か。大事な思い出のものだろ。処分していいのかよ」
「いいわよ」
好きな男ができたら、昔のことは早く忘れて、新しい恋に生きるのよ、とだれかさんから聞いたことがある。あっさりしているというか、実にあっけらかん、としたものだ。
「母親からもらった指輪も出そうかな。これ、18金だけど、金メッキだって」
と、まぁ、こんな会話があったのである。
それから3日が過ぎて、買い取り業者から買い取り価格の通知のメールが来たのが、つい先刻、というわけだ。
それにしても、あの着物と帯がたったの200円とは。
まさかそのままゴミに出すわけではあるまい。買い取りを商売にしている業者にも言い分はあるのだろうが、百円玉ふたつぽっちで買いたたいて、なんともないのだろうか。外国に出せば、日本の着物や帯の美しさに感動して、きっと何百倍の値段で買う人はいくらでもいるだろうに。そうじゃないのかなぁ。
こんな捨て値をつけられるぐらいなら、人が通る道端に茣蓙(ござ)でも敷いて、一点1,000円にして、「現品限り、大処分超特価。純和風のインテリアにもどうぞ」とやった方がよほど身銭になりそうだ。
などなど、いろんなことが頭のなかを駆けめぐる。
手間をかけて丹念に着物や帯をつくった人。その着物に出会って、あこがれを持って、がんばって買った人。娘のために無理をして買い求めた人。日本の伝統を大切に受け継いでいる、そんなこんなの人々の熱い思いのこもった着物と帯がたったの200円。
ぼくたちは、日本文化の伝統や人のまごころをおもうよりも、カネ、カネ、カネの即物的で、味気ない時代に生きている、ということか。
■写真はせめてもの思い出にと、カミさんが撮影した。
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