花壇の番人になりそう ― 2023年06月06日 11時24分

どうやら何度かブログに載せた花壇の面倒をみなくてはいけないようだ。ことの成り行き上、そうなりそうである。
自宅から歩いて1分の花壇は、直径5メートルぐらいのドーナッツ形(真ん中に団地名を刻んだレンガづくりの碑が座っている)で、そこはふだんから通勤や買い物で行き交う人たちが多く、目の前の道路を走る車からもよく見える。
1年前までは草が伸び放題だった。ビールやコーヒーを飲んだ空き缶のポイ捨て場にもなっていた。ちょうど去年の今ごろ、その一角にわが家のベランダで育てていた青紫色のトレニアを移植したのがことの始まりだった。
それから半年後にガンが見つかって、命について深く考えるようになった。
トレニアが終わった場所には、寒さに強いノースポールを3株とパンジー4株の苗を植えた。塞ぎがちな胸のなかで、冷たい北風が吹きつける冬を乗り越えて、春には花を咲かせる小さな苗に、手術後の自分の目標を重ね合わせた。
希望を託す何かがほしい、子どもや孫、来年の桜の花を再び見ることでも。人のこころとはそんなものだとおもう。亡くなった両親もきっとそうだったにちがいない。ああ、そうだったんだと思いあたることばかりだ。
「お前たち元気に育つんだぞ。手術が終わって、満開の花に会えるのをたのしみしているからな」。胸のなかでそう話しかけて、一株一株をしっかり植え付けた。翌日は元旦を迎える大晦日の午後だった。
無事に退院してからは、もっと花たちと仲良くなりたくて、残っていた草を抜いて、ゼラニウムとツルニチニチソウ、オキザリスを追加した。見捨てられて、ぐしゃぐしゃになっていたガザニアとツツジにも手を入れて、ぜんたいをきれいにした。
それまでの草むらはちゃんとした花壇になった。花がぽつぽつ咲き始めるに連れて、ぼくの術後の経過も少しずつよくなっていった。
たまたまそうなったのかもしれない。でも、こういう関係はどこかにありそうな気がする。あってもいいとおもっている。
(だいぶ弱ってきたけど、まだこんなにきれいに咲いているのにかわいそうだな)
土曜日の朝早く、人通りの少ない時間帯に、白い花がたくさん咲いているノースポールを根っ子からぜんぶ引き抜いた。茎が伸びきった黄色や青のパンジーもみんな抜いた。このまま立ち枯れて、道行く人々の前で無残な姿をさらすよりも、「きれいですね」とほめられているうちにサヨナラして、これから盛んになる花たちと交替した方がいい。
命のことをおもうとちょっと複雑な気持ちになるが、ここは割り切ることにした。
ふと思い出した。井伏鱒二にこんな漢詩の翻訳がある。
コノサカズキヲ受ケテオクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
酒が好きな人は、酒に吸い寄せられるように、花が好きな人は、花に近づいて来る。
水をやったり、しぼんだ花を摘んだりしていると、ときおり通りかがりの人から声がかかる。
「いつも楽しみに見させてもらっています」、「母は花が大好きな人でした」、「わたしが植えた花はすぐ取られたんですよ」、「いっぱい咲いてますね。この色、本当に好きだわ」、「わたしが入院していた間に、育てていた花はみんな駄目になって」、「お花の手入れ、ありがとうございます」、「この花、なんという花ですか」。
それまでだれも見向きもせずに、寄りつこうともしなかった花壇だが、色とりどりの花が咲くに従って、いまではその縁に腰を下ろして、ひと休みする男性、女性をよくみかけるようになった。
今さらこういう人たちのたのしみを奪うわけにもいくまい。
■空いた場所には、アンゲロニアセレニータ2本(花の名前はとても覚えきれません)と、昨年好評だったトレニアの株を植えた。カミさんが挿し木にして増やし、ベランダの鉢で越冬させたもの。
いまから夏場の水やりが思いやられる。
自宅から歩いて1分の花壇は、直径5メートルぐらいのドーナッツ形(真ん中に団地名を刻んだレンガづくりの碑が座っている)で、そこはふだんから通勤や買い物で行き交う人たちが多く、目の前の道路を走る車からもよく見える。
1年前までは草が伸び放題だった。ビールやコーヒーを飲んだ空き缶のポイ捨て場にもなっていた。ちょうど去年の今ごろ、その一角にわが家のベランダで育てていた青紫色のトレニアを移植したのがことの始まりだった。
それから半年後にガンが見つかって、命について深く考えるようになった。
トレニアが終わった場所には、寒さに強いノースポールを3株とパンジー4株の苗を植えた。塞ぎがちな胸のなかで、冷たい北風が吹きつける冬を乗り越えて、春には花を咲かせる小さな苗に、手術後の自分の目標を重ね合わせた。
希望を託す何かがほしい、子どもや孫、来年の桜の花を再び見ることでも。人のこころとはそんなものだとおもう。亡くなった両親もきっとそうだったにちがいない。ああ、そうだったんだと思いあたることばかりだ。
「お前たち元気に育つんだぞ。手術が終わって、満開の花に会えるのをたのしみしているからな」。胸のなかでそう話しかけて、一株一株をしっかり植え付けた。翌日は元旦を迎える大晦日の午後だった。
無事に退院してからは、もっと花たちと仲良くなりたくて、残っていた草を抜いて、ゼラニウムとツルニチニチソウ、オキザリスを追加した。見捨てられて、ぐしゃぐしゃになっていたガザニアとツツジにも手を入れて、ぜんたいをきれいにした。
それまでの草むらはちゃんとした花壇になった。花がぽつぽつ咲き始めるに連れて、ぼくの術後の経過も少しずつよくなっていった。
たまたまそうなったのかもしれない。でも、こういう関係はどこかにありそうな気がする。あってもいいとおもっている。
(だいぶ弱ってきたけど、まだこんなにきれいに咲いているのにかわいそうだな)
土曜日の朝早く、人通りの少ない時間帯に、白い花がたくさん咲いているノースポールを根っ子からぜんぶ引き抜いた。茎が伸びきった黄色や青のパンジーもみんな抜いた。このまま立ち枯れて、道行く人々の前で無残な姿をさらすよりも、「きれいですね」とほめられているうちにサヨナラして、これから盛んになる花たちと交替した方がいい。
命のことをおもうとちょっと複雑な気持ちになるが、ここは割り切ることにした。
ふと思い出した。井伏鱒二にこんな漢詩の翻訳がある。
コノサカズキヲ受ケテオクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
酒が好きな人は、酒に吸い寄せられるように、花が好きな人は、花に近づいて来る。
水をやったり、しぼんだ花を摘んだりしていると、ときおり通りかがりの人から声がかかる。
「いつも楽しみに見させてもらっています」、「母は花が大好きな人でした」、「わたしが植えた花はすぐ取られたんですよ」、「いっぱい咲いてますね。この色、本当に好きだわ」、「わたしが入院していた間に、育てていた花はみんな駄目になって」、「お花の手入れ、ありがとうございます」、「この花、なんという花ですか」。
それまでだれも見向きもせずに、寄りつこうともしなかった花壇だが、色とりどりの花が咲くに従って、いまではその縁に腰を下ろして、ひと休みする男性、女性をよくみかけるようになった。
今さらこういう人たちのたのしみを奪うわけにもいくまい。
■空いた場所には、アンゲロニアセレニータ2本(花の名前はとても覚えきれません)と、昨年好評だったトレニアの株を植えた。カミさんが挿し木にして増やし、ベランダの鉢で越冬させたもの。
いまから夏場の水やりが思いやられる。
卓也のコンサートに行った ― 2023年06月07日 17時44分

ビーム光線のようなブルーやオレンジのスポットライトを浴びて、ピアノ、ドラム、ギターの電子音が激しく、ときに軽やかに響く。若い5人の息のそろったバンドをバックに、しみじみと聴かせたり、高らかに歌いあげたり、飛び跳ねたり、腕を振ったり、ぐるぐるまわしたり。
「タクヤー、愛しているよぉ」、「かっこいい、ステキィー」。
先日の日曜日、午後6時に開演した『中澤卓也コンサートツアー2023』。ぼくたち夫婦はその最前列のど真ん中の席にいた。新潟にいるカミさんの姉がチケットをプレゼントしてくれたお陰である。
まったく知らない男性歌手のコンサートに行くなんて、たぶん二度とあるまい。よし、アタマを空っぽにして、今夜は思いきり楽しもうと出かけた。
そういえば早稲田のころの学園祭か何かで、当時売れっ子だった吉沢京子がステージに立ったとき、会場から「パンティは白だぞ!」という大声があがって、あの子は真っ赤になったっけ。(どうして、こんなどうでもいいことばかり覚えているのだろう)
中澤卓也について聞かされていたのは、長岡市の出身、20代と若く(実際は27歳)、なかなかのイケメンで、歌も上手なこと。地元の高校を卒業する前に『NHKのど自慢』に出場してチャンピオンになり、レコード会社の目に留まり、演歌歌手としてデビューした。日本レコード大賞新人賞などを受賞している等。
実力と人気を兼ね備えた将来有望な若手スターだったわけだ。ところが好事魔多しで、女性問題が発覚して、NHKを筆頭にテレビ業界からいっせいに追放されてしまった。レコード会社も離れてしまい、復活を目指して、こうして各地でライブツアーをやっているという。この若さで、天国から地獄と言ったら、言い過ぎか。
カミさんが予想した通りに、この日の会場も見渡す限りオバサンだった。おバアサンもいる。おジイサンもちらほら。若い女性は皆無。だけど、元気いっぱいのオバサンたちの目は妖しげな光がらんらんとしていて、若い娘に負けてはいない。四方八方からの「タクヤー」の掛け声も最後まで途絶えることがなかった。
「かっこいいタクヤ」がステージから降りて、客席の間を歌いながらまわって行く先々は、まるでブリの養殖のイカダのなかに、イワシのエサをばらまいたような騒ぎになった。
(たとえ話です、たいへん失礼しました。あくまでも、びっくり仰天したぼくの印象です。でも、タクヤ本人も、「飛びかかってこられた」と言ってました)
熱気で湧きたつ雰囲気のなかで、ぼくたち夫婦は席に着いたときから肩身が狭かった。まぎれもなく高齢者の仲間なのだが、ぼくたちだけファンの証(あかし)である黄色のTシャツも、名前入りの白地のタオルも、星の形をした光る小物も、何もかも身に着けていなかった。
寄りにもよって、最前列のど真ん中に座っているぼくとカミさんだけが、そこだけが無印良品の服だった。いつものは目立ない色合いなのに、逆に目立ってしまった。
(ここに座ってて、いいちゃろうか)
目の前で歌っているタクヤが気を悪くしたかもしれないとおもった。
それでも会場全体の熱気に乗せられて、いや、座ったままでは余計に目立つので、オバサン、おバアサンたちと一緒に立ちあがった。持っていたらよかったタオルの代わりに、ポケットからそっと木綿のハンカチーフを取り出して、タクヤの長い腕の動きを目で追いかけながら、そのマネをしてぐるぐる振りまわした。やるしかなかった。
会場全体が盛り上がって、一生懸命に歌っている歌詞はところどころわからなかったけれど、手拍子もアップテンポのリズムと合わずに外れっぱなしだったけれど、まぁ、いいか。まわりのオバサンたちは、はじけるような笑顔、笑顔。こちらも笑顔でお返しした。
この際、ひと言いっておこう。
放送界のルールをいちいち批判するつもりはないが、彼を追放した人はこのコンサート会場に来て、いまの中澤卓也を見てみたら、と言いたくなった。「またNHKに呼んでもらえるように、テレビに出られるように頑張ります」と何回も言って、懸命にやっているのだ。その場の群集心理に巻き込まれたわけではないが、何とかしてやったらどうかとおもった。
余計なことだが、個人的には、好きなことをやって、メシが食えたらいいじゃないか、NHKがどうのこうのなんて、そんなことは(本人の歌とは)関係ない。1曲でもいい、人の心にいつまでも残る歌をつくってほしいとおもう。
菊池寛はこんなことを言っている。
-天分や素質が秀れていても、人口にかいしゃする作品がひとつもない人は、結局大衆からは忘れられてしまうだろうと思う。鴎外と漱石を比べて、自分などはむしろ鴎外を重んずる方だが、鴎外には『ぼっちゃん』は、ないのである-
それにしても若いっていいな。彼にはこれからもチャンスはいっぱいある。
「タクヤー、愛しているよぉ」、「かっこいい、ステキィー」。
先日の日曜日、午後6時に開演した『中澤卓也コンサートツアー2023』。ぼくたち夫婦はその最前列のど真ん中の席にいた。新潟にいるカミさんの姉がチケットをプレゼントしてくれたお陰である。
まったく知らない男性歌手のコンサートに行くなんて、たぶん二度とあるまい。よし、アタマを空っぽにして、今夜は思いきり楽しもうと出かけた。
そういえば早稲田のころの学園祭か何かで、当時売れっ子だった吉沢京子がステージに立ったとき、会場から「パンティは白だぞ!」という大声があがって、あの子は真っ赤になったっけ。(どうして、こんなどうでもいいことばかり覚えているのだろう)
中澤卓也について聞かされていたのは、長岡市の出身、20代と若く(実際は27歳)、なかなかのイケメンで、歌も上手なこと。地元の高校を卒業する前に『NHKのど自慢』に出場してチャンピオンになり、レコード会社の目に留まり、演歌歌手としてデビューした。日本レコード大賞新人賞などを受賞している等。
実力と人気を兼ね備えた将来有望な若手スターだったわけだ。ところが好事魔多しで、女性問題が発覚して、NHKを筆頭にテレビ業界からいっせいに追放されてしまった。レコード会社も離れてしまい、復活を目指して、こうして各地でライブツアーをやっているという。この若さで、天国から地獄と言ったら、言い過ぎか。
カミさんが予想した通りに、この日の会場も見渡す限りオバサンだった。おバアサンもいる。おジイサンもちらほら。若い女性は皆無。だけど、元気いっぱいのオバサンたちの目は妖しげな光がらんらんとしていて、若い娘に負けてはいない。四方八方からの「タクヤー」の掛け声も最後まで途絶えることがなかった。
「かっこいいタクヤ」がステージから降りて、客席の間を歌いながらまわって行く先々は、まるでブリの養殖のイカダのなかに、イワシのエサをばらまいたような騒ぎになった。
(たとえ話です、たいへん失礼しました。あくまでも、びっくり仰天したぼくの印象です。でも、タクヤ本人も、「飛びかかってこられた」と言ってました)
熱気で湧きたつ雰囲気のなかで、ぼくたち夫婦は席に着いたときから肩身が狭かった。まぎれもなく高齢者の仲間なのだが、ぼくたちだけファンの証(あかし)である黄色のTシャツも、名前入りの白地のタオルも、星の形をした光る小物も、何もかも身に着けていなかった。
寄りにもよって、最前列のど真ん中に座っているぼくとカミさんだけが、そこだけが無印良品の服だった。いつものは目立ない色合いなのに、逆に目立ってしまった。
(ここに座ってて、いいちゃろうか)
目の前で歌っているタクヤが気を悪くしたかもしれないとおもった。
それでも会場全体の熱気に乗せられて、いや、座ったままでは余計に目立つので、オバサン、おバアサンたちと一緒に立ちあがった。持っていたらよかったタオルの代わりに、ポケットからそっと木綿のハンカチーフを取り出して、タクヤの長い腕の動きを目で追いかけながら、そのマネをしてぐるぐる振りまわした。やるしかなかった。
会場全体が盛り上がって、一生懸命に歌っている歌詞はところどころわからなかったけれど、手拍子もアップテンポのリズムと合わずに外れっぱなしだったけれど、まぁ、いいか。まわりのオバサンたちは、はじけるような笑顔、笑顔。こちらも笑顔でお返しした。
この際、ひと言いっておこう。
放送界のルールをいちいち批判するつもりはないが、彼を追放した人はこのコンサート会場に来て、いまの中澤卓也を見てみたら、と言いたくなった。「またNHKに呼んでもらえるように、テレビに出られるように頑張ります」と何回も言って、懸命にやっているのだ。その場の群集心理に巻き込まれたわけではないが、何とかしてやったらどうかとおもった。
余計なことだが、個人的には、好きなことをやって、メシが食えたらいいじゃないか、NHKがどうのこうのなんて、そんなことは(本人の歌とは)関係ない。1曲でもいい、人の心にいつまでも残る歌をつくってほしいとおもう。
菊池寛はこんなことを言っている。
-天分や素質が秀れていても、人口にかいしゃする作品がひとつもない人は、結局大衆からは忘れられてしまうだろうと思う。鴎外と漱石を比べて、自分などはむしろ鴎外を重んずる方だが、鴎外には『ぼっちゃん』は、ないのである-
それにしても若いっていいな。彼にはこれからもチャンスはいっぱいある。
どこにでもある話 ― 2023年06月25日 10時53分

メールを出そうか、出すまいか悩んでいる。迷っている理由は、メールの内容がすい臓がんとわかってから今日までのぼくの近況報告になっているからだ。
締めくくりに、お互いにがんばろうな、とひと言添えている。文章におかしなところはないのだが、ここ数年来会っていない相手のことが気になって、このメール出す手前で立ち止まったままだ。
その友は神奈川県M市の駅近くにあるマンションに奥さんとふたりで住んでいる。初めて会ったのは、ぼくが小学5年生に上がるとき。鹿児島の田舎町から転校して来た小倉の小学校、中学校時代のいちばんの仲良しで、狭い鉄道官舎のわが家に泊まりに来た夜は、車のワイパーが不要になる特許を取る話で夢中になって、夜更けの3時過ぎまでしゃべりまくったことがあった。
夏休みには小さな島の浜辺でキャンプもやった。同じクラスにいたそれぞれの初恋の女子をまるで自分だけのかわいい天使でもいるように告白し合ったり、お互いの結婚式にも出席した。社会に出てからも個人的にやりたいことや仕事の方でも、会社の枠や住んでいた場所を越えて援け合った思い出がいくつもある。
以前にもこのブログに書いたが、いまその友の記憶からぼくの存在が跡形もなく消えようとしている。もう消えてしまったかもしれない。穏やかな人柄も、明晰な頭脳も、ユニークな発想力も、すべてにおいて自慢の友だが、なぜか3年前に認知症になってしまった。
彼に関するいちばん新しい情報は1か月ほど前のもので、同じクラスメイトだった女性がメールで知らせてくれた。要介護4になり、ほぼ全面的に介助が必要な生活だという。まだ72歳なのに、自力で歩くことすらできなくなっているらしい。
そんな彼と日々の介護に追われている奥さんに向かって、ぼくのガンのこと、手術がうまくいって再発防止の抗がん剤治療をやっていることを伝えて、それがいったい何になるというのか。
考えたくもないが、きっとぼくのこともわからなくなっているのだ。奥さんだって、どう伝えたらいいのか、戸惑うだろう。
それでも、アイツに話しかけたい。いくら認知症が進んでいるとはいえ、わずかな口先、指先の動きひとつでも、懸命に闘っているはずなのだ。
オレはガンになったけど、手術をして最悪の事態からはひとまず脱出できた。お前も負けるな、がんばれ。オレがわかるか。わかるよな。わかってくれるよな。
そんなふうに、いますぐ何度も、何度も、声をかけたい。
ぼくの想像のなかの彼はいつもと変わらずにっこり笑って、わかっているよ、心配しなくていいよ、と答えてくれる。そして、いつものように、彼のやりたいことを話し始める。それからぼくのおもっていることを聴いてもらうのだ、いつものように。
そんなシーンがずっと頭のなかをぐるぐる回っている。そして、会えないまま亡くなった友や恩人の顔も出て来る。あのとき会っておけばよかったという後悔を乗せた車輪が記憶の行路を逆回転して行く。
このところ、よくおもう。自分のことを理解してくれる人が、無条件に信頼して受け入れてくれる人と言ってもいいが、そういう人が本当にいなくなってしまった。この世よりも、あの世の方に、会いたい人が多くなった。振り返れば、それこそアッという間にそうなっていた。
ガンも、認知症も、ぼくたちがそうなったように、だれもが、いつかかっても不思議ではない。どこにでもある話なのだ。
今日はどこにでもある話を書いた。
■メールは、もう一度書き直すことにした。
■先日の大潮の日、室見川の河口ふきんは家族連れでにぎわっていた。大人や子どもたちが探しているのは、砂のなかにいるシジミ貝。ここでは10円玉ぐらいの大きなものがとれる。ただし、砂を吐かせて、みそ汁にしても、あの独特の風味はまったく感じられない。貝の形や大きさが立派なだけに、期待外れでがっかりする。
それでもあちこち掘って、茶色のシジミがひょっこり露(あら)われるとうれしくなる。楽しそうな様子をみているうちに、久しぶりにバケツを提げて遊びたくなった。
締めくくりに、お互いにがんばろうな、とひと言添えている。文章におかしなところはないのだが、ここ数年来会っていない相手のことが気になって、このメール出す手前で立ち止まったままだ。
その友は神奈川県M市の駅近くにあるマンションに奥さんとふたりで住んでいる。初めて会ったのは、ぼくが小学5年生に上がるとき。鹿児島の田舎町から転校して来た小倉の小学校、中学校時代のいちばんの仲良しで、狭い鉄道官舎のわが家に泊まりに来た夜は、車のワイパーが不要になる特許を取る話で夢中になって、夜更けの3時過ぎまでしゃべりまくったことがあった。
夏休みには小さな島の浜辺でキャンプもやった。同じクラスにいたそれぞれの初恋の女子をまるで自分だけのかわいい天使でもいるように告白し合ったり、お互いの結婚式にも出席した。社会に出てからも個人的にやりたいことや仕事の方でも、会社の枠や住んでいた場所を越えて援け合った思い出がいくつもある。
以前にもこのブログに書いたが、いまその友の記憶からぼくの存在が跡形もなく消えようとしている。もう消えてしまったかもしれない。穏やかな人柄も、明晰な頭脳も、ユニークな発想力も、すべてにおいて自慢の友だが、なぜか3年前に認知症になってしまった。
彼に関するいちばん新しい情報は1か月ほど前のもので、同じクラスメイトだった女性がメールで知らせてくれた。要介護4になり、ほぼ全面的に介助が必要な生活だという。まだ72歳なのに、自力で歩くことすらできなくなっているらしい。
そんな彼と日々の介護に追われている奥さんに向かって、ぼくのガンのこと、手術がうまくいって再発防止の抗がん剤治療をやっていることを伝えて、それがいったい何になるというのか。
考えたくもないが、きっとぼくのこともわからなくなっているのだ。奥さんだって、どう伝えたらいいのか、戸惑うだろう。
それでも、アイツに話しかけたい。いくら認知症が進んでいるとはいえ、わずかな口先、指先の動きひとつでも、懸命に闘っているはずなのだ。
オレはガンになったけど、手術をして最悪の事態からはひとまず脱出できた。お前も負けるな、がんばれ。オレがわかるか。わかるよな。わかってくれるよな。
そんなふうに、いますぐ何度も、何度も、声をかけたい。
ぼくの想像のなかの彼はいつもと変わらずにっこり笑って、わかっているよ、心配しなくていいよ、と答えてくれる。そして、いつものように、彼のやりたいことを話し始める。それからぼくのおもっていることを聴いてもらうのだ、いつものように。
そんなシーンがずっと頭のなかをぐるぐる回っている。そして、会えないまま亡くなった友や恩人の顔も出て来る。あのとき会っておけばよかったという後悔を乗せた車輪が記憶の行路を逆回転して行く。
このところ、よくおもう。自分のことを理解してくれる人が、無条件に信頼して受け入れてくれる人と言ってもいいが、そういう人が本当にいなくなってしまった。この世よりも、あの世の方に、会いたい人が多くなった。振り返れば、それこそアッという間にそうなっていた。
ガンも、認知症も、ぼくたちがそうなったように、だれもが、いつかかっても不思議ではない。どこにでもある話なのだ。
今日はどこにでもある話を書いた。
■メールは、もう一度書き直すことにした。
■先日の大潮の日、室見川の河口ふきんは家族連れでにぎわっていた。大人や子どもたちが探しているのは、砂のなかにいるシジミ貝。ここでは10円玉ぐらいの大きなものがとれる。ただし、砂を吐かせて、みそ汁にしても、あの独特の風味はまったく感じられない。貝の形や大きさが立派なだけに、期待外れでがっかりする。
それでもあちこち掘って、茶色のシジミがひょっこり露(あら)われるとうれしくなる。楽しそうな様子をみているうちに、久しぶりにバケツを提げて遊びたくなった。
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