ランボルギーニと和尚さん ― 2023年11月20日 18時06分

昨日の日曜日を利用して、福岡市内のお寺に預けていた娘の遺骨を延岡市にあるわが家の墓に納めた。生まれる直前に旅立ってしまったが、水子の位牌の裏には名前を書いてある。40年ぶりに抱いた小さな骨壺は空箱のように軽かった。
高速道路をひた走り、湯布院、別府を経由して延岡までの往復距離は561.2km。新幹線の東京駅から新大阪駅の距離よりも長い。九州の中央部は九州山地が南北につらなっているので、坂道やカーブが多くて、けっこう疲れる。
天気がよかったせいか、いつもよりも車は多かった。走行車線をのんびり走っていたら、後ろからバリバリバリッと爆竹のような排気音を鳴り響かせて、見慣れない高級スポーツカーが隊列を組んで追い越して行った。車体が低くて、車幅の広い威風堂々の一団が過ぎたら、しばらくしてまた次の一団がやってきた。そしてまた次の隊列が。
軽四のホンダN1の助手席にいるカミさんが目で追いかけながら訊いた。
「あれ、なんていう車? すごいね」
「フェラーリだよ。7、8台いたな。愛好会の仲間たちかな。あのお坊さんの友だちの車はランボルギーニだったよな」
あのお坊さんというのは、一昨日の午後に訪ねて行ったお寺の和尚さんのこと。40年前に遺骨を預かってくれた和尚さんとは代が替わって、いまの住職はぼくと同年配である。
その日はじめて知ったのだが、彼は6回もがんができたという。腎臓、膀胱、肺のそれぞれに2回ずつ。1回だけでも眠れないほど落ち込むのに、上には上がいるものだ。
さて、彼とイタリアの高級スポーツカー・ランボルギーニの話に移る。
「長い付き合いの友人がいて、彼もガンで余命3か月と宣告されたんです。そしたら、オレは残されている時間は好きなようにやるんだと言って、4,500万円もする白のランボルギーニを買ったんです。そして、わたしに頼みがある、と言ったんですよ」
その頼みとは、自分が死んで火葬場で焼かれた後、遺骨は好きなランボルギーニに乗せて、家まで送り届けてほしいとのことだった。
そういうわけで、この和尚さん、触ったこともないランボルギーニを運転して、火葬場まで行き、そこでお経をあげて、帰りは亡き友の奥さんと遺骨を助手席に乗せて帰る約束をしてしまったという次第。
「あの車は目立ちますからね。袈裟(けさ)を着た坊主がそんな車を運転していたら、あの坊さん、ものすごいカネ持ちだと思われるじゃないですか。だから袈裟の上にジャンパーを着て、乗ったこともない車だったけど、なんとかなるわいと腹をくくって、助手席にはこちらもジャンパーを着た弟子を乗せて、火葬場まで運転して行ったんです」
最初はエンジンのかけ方がわからなかった。燃費がものすごく悪いので、途中でエンストしたら困ると心配になって、ガソリンスタンドに入ったら、燃料の投入口の開け方がわからなかった。そんな出たとこ勝負の道中だったらしい。
「問題は帰りですよ。途中でジャンパーを忘れたことに気がついたんです。エンジンの音はものすごいし、真っ白なランボルギーニはいやでも目立つし。なのに助手席には喪服を着て、白い布に包まれた骨壺を抱いているご婦人がいて、その横で運転しているのは袈裟を来た寺の坊主ですよ。赤信号で停まったら、隣に停車した車の人がジロジロのぞくんです。スピードを出せない一般の道路でしょ。もうギャラリーがすごいんですよ」
こうして驚愕、羨望、軽蔑のいろんな視線を一身に浴びながら、彼は友だちとの約束を立派に果たした。娘のお骨も大切に保管してくれて、気持ちよく返してくれた。
長いあいだお世話になって来た寺の護持会のメンバーも返上して、この和尚さんとの直接的なご縁は切れたけれど、どこか気になるお人である。
お寺とのご縁も、この人の話も、もっと書きたいことが残っている。
■団地の花壇にこれからシーズンを迎える花の苗を植えた。花を選んだり、植える場所を決めるのはカミさんの権限で、こちらはもっぱら土を耕したり、苗を植えつける役目。
パンジー、ノールポール、ストック、ネメシア、アリッサムの苗とオキザリスの球根を植えた。花泥棒がいるので、取られるのは覚悟の上である。反対に、「いつもお花をみています。きれいですね。ありがとうございます」と声をかけてくる人もいる。そう言われるとうれしくなる。
高速道路をひた走り、湯布院、別府を経由して延岡までの往復距離は561.2km。新幹線の東京駅から新大阪駅の距離よりも長い。九州の中央部は九州山地が南北につらなっているので、坂道やカーブが多くて、けっこう疲れる。
天気がよかったせいか、いつもよりも車は多かった。走行車線をのんびり走っていたら、後ろからバリバリバリッと爆竹のような排気音を鳴り響かせて、見慣れない高級スポーツカーが隊列を組んで追い越して行った。車体が低くて、車幅の広い威風堂々の一団が過ぎたら、しばらくしてまた次の一団がやってきた。そしてまた次の隊列が。
軽四のホンダN1の助手席にいるカミさんが目で追いかけながら訊いた。
「あれ、なんていう車? すごいね」
「フェラーリだよ。7、8台いたな。愛好会の仲間たちかな。あのお坊さんの友だちの車はランボルギーニだったよな」
あのお坊さんというのは、一昨日の午後に訪ねて行ったお寺の和尚さんのこと。40年前に遺骨を預かってくれた和尚さんとは代が替わって、いまの住職はぼくと同年配である。
その日はじめて知ったのだが、彼は6回もがんができたという。腎臓、膀胱、肺のそれぞれに2回ずつ。1回だけでも眠れないほど落ち込むのに、上には上がいるものだ。
さて、彼とイタリアの高級スポーツカー・ランボルギーニの話に移る。
「長い付き合いの友人がいて、彼もガンで余命3か月と宣告されたんです。そしたら、オレは残されている時間は好きなようにやるんだと言って、4,500万円もする白のランボルギーニを買ったんです。そして、わたしに頼みがある、と言ったんですよ」
その頼みとは、自分が死んで火葬場で焼かれた後、遺骨は好きなランボルギーニに乗せて、家まで送り届けてほしいとのことだった。
そういうわけで、この和尚さん、触ったこともないランボルギーニを運転して、火葬場まで行き、そこでお経をあげて、帰りは亡き友の奥さんと遺骨を助手席に乗せて帰る約束をしてしまったという次第。
「あの車は目立ちますからね。袈裟(けさ)を着た坊主がそんな車を運転していたら、あの坊さん、ものすごいカネ持ちだと思われるじゃないですか。だから袈裟の上にジャンパーを着て、乗ったこともない車だったけど、なんとかなるわいと腹をくくって、助手席にはこちらもジャンパーを着た弟子を乗せて、火葬場まで運転して行ったんです」
最初はエンジンのかけ方がわからなかった。燃費がものすごく悪いので、途中でエンストしたら困ると心配になって、ガソリンスタンドに入ったら、燃料の投入口の開け方がわからなかった。そんな出たとこ勝負の道中だったらしい。
「問題は帰りですよ。途中でジャンパーを忘れたことに気がついたんです。エンジンの音はものすごいし、真っ白なランボルギーニはいやでも目立つし。なのに助手席には喪服を着て、白い布に包まれた骨壺を抱いているご婦人がいて、その横で運転しているのは袈裟を来た寺の坊主ですよ。赤信号で停まったら、隣に停車した車の人がジロジロのぞくんです。スピードを出せない一般の道路でしょ。もうギャラリーがすごいんですよ」
こうして驚愕、羨望、軽蔑のいろんな視線を一身に浴びながら、彼は友だちとの約束を立派に果たした。娘のお骨も大切に保管してくれて、気持ちよく返してくれた。
長いあいだお世話になって来た寺の護持会のメンバーも返上して、この和尚さんとの直接的なご縁は切れたけれど、どこか気になるお人である。
お寺とのご縁も、この人の話も、もっと書きたいことが残っている。
■団地の花壇にこれからシーズンを迎える花の苗を植えた。花を選んだり、植える場所を決めるのはカミさんの権限で、こちらはもっぱら土を耕したり、苗を植えつける役目。
パンジー、ノールポール、ストック、ネメシア、アリッサムの苗とオキザリスの球根を植えた。花泥棒がいるので、取られるのは覚悟の上である。反対に、「いつもお花をみています。きれいですね。ありがとうございます」と声をかけてくる人もいる。そう言われるとうれしくなる。
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