あいつの分まで2024年01月18日 18時33分

 一日の間に「悲」と「喜」のふたつの知らせが届いた。ひとつは文章で、もう一通は写真である。こころの平衡を取り戻したくて、メールを読んでは、また写真を見つめなおしている。
 無二の友が逝ってしまった。東京都町田市の奥さんから悲報が届いたのは昨日の午後。亡くなったのは1週間以上も前の1月8日だったという。心配していたことが正月早々、現実になってしまった。
 小・中学の同級生の72歳。旅立つには早過ぎる。その背中をつかまえて叫びたくなった。
「おい、待てよ。ひとりで行くな。戻ってこい!」
 このブログでも触れたことのあるO君。小学5年生のときに鹿児島の田舎町から都会の小倉の小学校に転校して、同じクラスで知り合った。中学でも一緒のクラスになった。お互いの結婚式にも出席した。小学生のころに出会った友だちで、この歳になるまで付き合いが続いていたのは、唯一、O君だけである。
 でも、彼がいればそれで充分だった。穏やかな人柄で、発想がおもしろくて、だれからも好かれていた。あいつがいるから、ぼくは友だち運がいいとおもっていた。
 着信したメールを読んで、すぐさまO君の携帯に電話した。2回コールした後に、奥さんが出た。ぽつんと独りきりで、夫の携帯を握ったままだったのだろうか。
 そこでのやりとりも、彼に誓ったことも、大切に胸にしまっておこう。
 それから数時間後、今度はカミさんからの着信があった。スマホを開いてみると、先日生まれたばかりの孫のビデオと写真だった。ちいさな口に哺乳瓶をくわえて、ジュー、ジュー音を立てながらミルクを飲んでいる。写真の方は、満ち足りて、いまにも笑いだしそうな顔をして眠っているところ。
 みんなに祝福されて、世の中でなにが起きているのか、なにも知らないで、生後6日目の始まったばかりの人生である。
 この子のいることが、かけがえのない友を亡くした救いになった。消える命があれば、新しく生まれる命もある。O君はぼくよりひと足先に逝ってしまったが、こちらが先にこの世からいなくなっても不思議ではなかったのだ。
 とても眠れそうになかったので、昨夜はにがい酒を流し込むようにして飲んだ。
 あいつの分まで、生きなければ。
 10代のころから、そんな人が何人分もぼくの肩には乗っている。

■ありがたいことにふだんの生活は変わらない。珍しいものを見つけたので買って来た。高菜の若い葉っぱで、よく洗って竹のザルで干して、塩漬けにした。ピリリとした辛味がきいて、食がすすむ。