26年ぶりに初恋の人に会った ― 2024年09月13日 16時26分

コロナに感染してから咳が止まらない。午前中に近くのクリニックに行って、咳止めと痰に効く薬をもらってきた。咳による体力の低下に伴って、やる気もすぐに萎えてしまう。先週末に小倉であった高校の同期会は欠席して正解だった。
ここ1週間ほど、いいことと悪いことが続いている。
先週の木曜日。宮崎にいる父方の叔母が亡くなった。
翌金曜日。陽が傾けかけたころ、すぐ近くに救急車、ミニパトカー、鑑識車が駆けつけてきた。警察官の緊迫した様子と気配から、あきらかに変死だとわかる。やはり、1階にいた独り暮らしの男性老人がだれにも気づかれることなく亡くなっていた。
ご近所の、あの「草取り婆さん」の話では、死亡したのは台風10号が接近していたころらしい。たぶん熱中症だろう。つい3週間前にも独居老人の孤独死が発見されたばかり。ああ、またか、である。
同日、音信不通だったサンパウロにいる高校時代の同級生からメールが届いた。来月帰国するので、いつもの3人組で一緒に飲もうという。よかった、生きていたんだ。ほっとした。
土曜日。小倉で高校の同期会。欠席。
貸し倉庫の中に置いていた洗濯機、冷蔵庫、本、こわれたパソコン、父の遺品の釣り竿などをぜんぶまとめて業者に回収してもらった。結局、ひと財産かけた本はどこも買い取ってくれなかった。
こちらの思いとカネのモノサシがモノをいう世間の評価はまるっきりズレていた。ぼちぼち終活にとりかかっているぼくたち夫婦はこんな経験をすることがままある。
日曜日。昨日の同期会から足を伸ばして、「初恋の人」が福岡にやってきた。ことしはじめに亡くなったO君、彼女、ぼくの3人は中学の同級生で、彼女がいる大阪で一緒に会って以来のこと。あれからもう26年も過ぎた。
彼女(Y . Kさん)はO君が亡くなった後も、彼の奥さんを手紙で励ましている。ぼくもいろいろ応援してもらったことがあるので、そのお礼も言いたかったし、O君のこともゆっくり話したいとおもっていた。
Yさんとの会話は、O君のことから、ぼくのすい臓がんの話、そして昨日会った同期生たちやまわりの人たちの健康状態まで発展した。初恋のほのかな思い出に浸るどころではなく、「意識不明」とか、「余命宣告」とか、とうとう仕舞いには「いっぱい死んだよ」の言葉が出てきた。
そんな話をしながら、彼女はお目当ての「イカの活き造り」をおいしそうに食べていた。
人のことは言えない。生きているとはこういうことだとおもう。
Yさんも、ご主人が脳溢血で倒れて左半身が麻痺し、杖と車椅子の生活を送っている。
「K子ちゃんも、ご主人の介護で大変だね」
そういったら、ストレートで打ち返された。
「大変ね、とよく言われるけど、大変なのは自由に動けなくなった本人よ。わたしはね、どこも悪いところがなくて元気だから、ぜんぜん大変じゃないの。女の方が強いのよ」
言われてみれば、確かにその通り。
相変わらず、しっかりしているなぁ、と感心していたら、またまたドキリとすることをさりげなく言った。
「△△君、わたしのまわりに未亡人はいっぱいいるわよ。今夜、泊まりに行く幼友だちもそうなの」
「そうだよなぁ。男の方が先に死ぬからなぁ」
こんな文章を書いていると、この歳まで無事に生きていることが奇跡なのかもしれないとおもえてきた。
最後に誤解のないように言っておく。彼女は初めて出会った中学生のころから、よく気がつく、こころやさしい人である。今回もわざわざ手作りのおいしいパンを待ってきてくれた。
■先日、外科の定期健診を受けた。結果は、「今回も異常はありませんね」。いつものことながら、カミさんを安心させる報告ができてうれしい。
■車で信号待ちしていたら、ベンチの日陰で寝そべっている白いネコがいた。首を持ち上げて、じっと後ろを見ているのは、やや腰の曲がったお婆ちゃんがヨタヨタ近づいているから。はたして、ネコはベンチから飛び降りて、一目散に逃げたかどうかは知らない。
ここ1週間ほど、いいことと悪いことが続いている。
先週の木曜日。宮崎にいる父方の叔母が亡くなった。
翌金曜日。陽が傾けかけたころ、すぐ近くに救急車、ミニパトカー、鑑識車が駆けつけてきた。警察官の緊迫した様子と気配から、あきらかに変死だとわかる。やはり、1階にいた独り暮らしの男性老人がだれにも気づかれることなく亡くなっていた。
ご近所の、あの「草取り婆さん」の話では、死亡したのは台風10号が接近していたころらしい。たぶん熱中症だろう。つい3週間前にも独居老人の孤独死が発見されたばかり。ああ、またか、である。
同日、音信不通だったサンパウロにいる高校時代の同級生からメールが届いた。来月帰国するので、いつもの3人組で一緒に飲もうという。よかった、生きていたんだ。ほっとした。
土曜日。小倉で高校の同期会。欠席。
貸し倉庫の中に置いていた洗濯機、冷蔵庫、本、こわれたパソコン、父の遺品の釣り竿などをぜんぶまとめて業者に回収してもらった。結局、ひと財産かけた本はどこも買い取ってくれなかった。
こちらの思いとカネのモノサシがモノをいう世間の評価はまるっきりズレていた。ぼちぼち終活にとりかかっているぼくたち夫婦はこんな経験をすることがままある。
日曜日。昨日の同期会から足を伸ばして、「初恋の人」が福岡にやってきた。ことしはじめに亡くなったO君、彼女、ぼくの3人は中学の同級生で、彼女がいる大阪で一緒に会って以来のこと。あれからもう26年も過ぎた。
彼女(Y . Kさん)はO君が亡くなった後も、彼の奥さんを手紙で励ましている。ぼくもいろいろ応援してもらったことがあるので、そのお礼も言いたかったし、O君のこともゆっくり話したいとおもっていた。
Yさんとの会話は、O君のことから、ぼくのすい臓がんの話、そして昨日会った同期生たちやまわりの人たちの健康状態まで発展した。初恋のほのかな思い出に浸るどころではなく、「意識不明」とか、「余命宣告」とか、とうとう仕舞いには「いっぱい死んだよ」の言葉が出てきた。
そんな話をしながら、彼女はお目当ての「イカの活き造り」をおいしそうに食べていた。
人のことは言えない。生きているとはこういうことだとおもう。
Yさんも、ご主人が脳溢血で倒れて左半身が麻痺し、杖と車椅子の生活を送っている。
「K子ちゃんも、ご主人の介護で大変だね」
そういったら、ストレートで打ち返された。
「大変ね、とよく言われるけど、大変なのは自由に動けなくなった本人よ。わたしはね、どこも悪いところがなくて元気だから、ぜんぜん大変じゃないの。女の方が強いのよ」
言われてみれば、確かにその通り。
相変わらず、しっかりしているなぁ、と感心していたら、またまたドキリとすることをさりげなく言った。
「△△君、わたしのまわりに未亡人はいっぱいいるわよ。今夜、泊まりに行く幼友だちもそうなの」
「そうだよなぁ。男の方が先に死ぬからなぁ」
こんな文章を書いていると、この歳まで無事に生きていることが奇跡なのかもしれないとおもえてきた。
最後に誤解のないように言っておく。彼女は初めて出会った中学生のころから、よく気がつく、こころやさしい人である。今回もわざわざ手作りのおいしいパンを待ってきてくれた。
■先日、外科の定期健診を受けた。結果は、「今回も異常はありませんね」。いつものことながら、カミさんを安心させる報告ができてうれしい。
■車で信号待ちしていたら、ベンチの日陰で寝そべっている白いネコがいた。首を持ち上げて、じっと後ろを見ているのは、やや腰の曲がったお婆ちゃんがヨタヨタ近づいているから。はたして、ネコはベンチから飛び降りて、一目散に逃げたかどうかは知らない。
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