『伝統的酒造り』の或る裏話 ― 2024年12月07日 18時24分

日本の『伝統的酒造り』がユネスコの無形文化遺産に登録された。
「晩酌をやる」。「まずは、一献」。「盃を交わす」。「酒は百薬の長」。
こんなときは洋酒ではなく、やっぱり日本の酒がしっくりくる。無形文化遺産の対象は「酒造り」だけではなく、どうせなら「伝統的な酒のたのしみ方」まで範囲をひろげてほしかった。そうしたら、ぼくも無形文化遺産に仲間入りできたかもしれなかったのに。
『伝統的酒づくり』と聞いて、すぐさま「清酒のことだ」と思いがちだが、本格焼酎(乙類)、泡盛なども含まれる。ところがメディアが取り上げたのは地方の清酒の蔵に集中していた。
そのような「地酒」だけではなく、「地焼酎」のことも、もっと知ってほしいとおもう。
九州には芋、米、麦のほかにも、そば、ごま、ニンジン、シソなどを原材料にした多種多彩な焼酎がある。泡盛や黒糖焼酎は沖縄、奄美諸島でしか造られていない。
案外知られていないが、こんなに豊かな蒸留酒がそろっているのは世界中でここだけだ。昔ながらの本格焼酎はワインと同様に、原材料はその土地でとれる農産物を用い、長期保存するほど熟成が進み、香りも味も微妙に変化する。食事をしながら楽しむ「食中酒」という点もワインと同じである。
ぼくは九州の「焼酎文化」はもっと胸を張っていいとおもっている。
ここからは少し細い分け道に入る。地方のちいさな焼酎蔵の奮闘ぶりを書くつもりだ。
20数年前、空前の焼酎ブームが起きた。そのころ九州の地焼酎をネットで販売する新規事業の起ち上げに声をかけられて、南九州の蔵元をあちこち訪ね歩いたことがある。なかでも、このブログでも触れた熊本県あさぎり町の小さな蔵、高田酒造場の高田啓世さんとはながいお付き合いになった。
十一代当主の高田さんにお会いしたのは25年も前のこと。そのころの仕込み蔵はかなり老朽化していて、木造平屋の屋根は崩れ落ちそうに傾いていた。だが、建物から受ける印象と彼の実力は大違いで、まもなく創業100年を迎える蔵はそのときすでに熊本国税局の酒類鑑評会で、当時の最優秀受賞蔵に選ばれていた。この鑑評会は熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県を含むから、文句なしの九州ナンバーワンと言っていい。
それなのに一部に熱心なファンはいたものの、ほとんど無名に近い存在だった。ここから彼との密度の濃い長いお付き合いがはじまった。
日本酒と違って、本格焼酎は最後に蒸留の工程がある。発酵したモロミを蒸留すると日本酒なら当然の米の香り、甘み、旨味などがどこかに消し飛んでしまう。米焼酎の蔵元が抱える宿命だった。
高田さんは伝統を革新する人である。新潟県のS酒造まで仕込みの修行に出向き、五感を働かして、酒の仕込みに没頭した。実はこのS酒造も日本有数の酒どころの新潟県の鑑評会で最優秀蔵に選ばれている。つまり、焼酎どころと清酒どころの日本一の蔵元同士がお互いに研鑽し合って、技術を磨いていたというわけである。
こうして高田さんは吟醸酒の香りを生み出す技をつかんだ。さらにその特徴を最大限に生かすために、彼は海抜1,000mの山頂近くまで危険な山道を分け入って、岩肌を流れ落ちている石清水をタンクに汲んで、それを割り水に使用した。
こだわりはこれで終わらない。原料の米はアイガモ農法に着目して、無農薬米を採用した。それも米粒のなかの残留農薬を除去するために、無農薬アイガモ農法を3年以上続けている農家に限って手を組んだ。どれもこれも球磨焼酎の郷里(さと)で初めての試みだった。
ようやく生まれた焼酎は、「これは焼酎なの? お酒かと思った」という評判になった。
友だちの『伝統的酒造り』のほんの一部を取り上げたが、こんな裏話があることを高田さんは情報発信しなかった。
仕事や立場は違っても似たような人は世のなかにはたくさんいる。これこそが日本人の勁(つよ)さではないかとおもう。
ちなみに跡を継いだ娘さんはクラフトジンにチャレンジして、全国的な大会で最高賞を受賞している。
高田さんにはしばらく会っていない。こんなブログを書いていることも話していない。
それでいい。
■団地のなかのイチョウが黄色く燃え上ってきた。まもなく黄色の広いジュウタンが出現する。
「晩酌をやる」。「まずは、一献」。「盃を交わす」。「酒は百薬の長」。
こんなときは洋酒ではなく、やっぱり日本の酒がしっくりくる。無形文化遺産の対象は「酒造り」だけではなく、どうせなら「伝統的な酒のたのしみ方」まで範囲をひろげてほしかった。そうしたら、ぼくも無形文化遺産に仲間入りできたかもしれなかったのに。
『伝統的酒づくり』と聞いて、すぐさま「清酒のことだ」と思いがちだが、本格焼酎(乙類)、泡盛なども含まれる。ところがメディアが取り上げたのは地方の清酒の蔵に集中していた。
そのような「地酒」だけではなく、「地焼酎」のことも、もっと知ってほしいとおもう。
九州には芋、米、麦のほかにも、そば、ごま、ニンジン、シソなどを原材料にした多種多彩な焼酎がある。泡盛や黒糖焼酎は沖縄、奄美諸島でしか造られていない。
案外知られていないが、こんなに豊かな蒸留酒がそろっているのは世界中でここだけだ。昔ながらの本格焼酎はワインと同様に、原材料はその土地でとれる農産物を用い、長期保存するほど熟成が進み、香りも味も微妙に変化する。食事をしながら楽しむ「食中酒」という点もワインと同じである。
ぼくは九州の「焼酎文化」はもっと胸を張っていいとおもっている。
ここからは少し細い分け道に入る。地方のちいさな焼酎蔵の奮闘ぶりを書くつもりだ。
20数年前、空前の焼酎ブームが起きた。そのころ九州の地焼酎をネットで販売する新規事業の起ち上げに声をかけられて、南九州の蔵元をあちこち訪ね歩いたことがある。なかでも、このブログでも触れた熊本県あさぎり町の小さな蔵、高田酒造場の高田啓世さんとはながいお付き合いになった。
十一代当主の高田さんにお会いしたのは25年も前のこと。そのころの仕込み蔵はかなり老朽化していて、木造平屋の屋根は崩れ落ちそうに傾いていた。だが、建物から受ける印象と彼の実力は大違いで、まもなく創業100年を迎える蔵はそのときすでに熊本国税局の酒類鑑評会で、当時の最優秀受賞蔵に選ばれていた。この鑑評会は熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県を含むから、文句なしの九州ナンバーワンと言っていい。
それなのに一部に熱心なファンはいたものの、ほとんど無名に近い存在だった。ここから彼との密度の濃い長いお付き合いがはじまった。
日本酒と違って、本格焼酎は最後に蒸留の工程がある。発酵したモロミを蒸留すると日本酒なら当然の米の香り、甘み、旨味などがどこかに消し飛んでしまう。米焼酎の蔵元が抱える宿命だった。
高田さんは伝統を革新する人である。新潟県のS酒造まで仕込みの修行に出向き、五感を働かして、酒の仕込みに没頭した。実はこのS酒造も日本有数の酒どころの新潟県の鑑評会で最優秀蔵に選ばれている。つまり、焼酎どころと清酒どころの日本一の蔵元同士がお互いに研鑽し合って、技術を磨いていたというわけである。
こうして高田さんは吟醸酒の香りを生み出す技をつかんだ。さらにその特徴を最大限に生かすために、彼は海抜1,000mの山頂近くまで危険な山道を分け入って、岩肌を流れ落ちている石清水をタンクに汲んで、それを割り水に使用した。
こだわりはこれで終わらない。原料の米はアイガモ農法に着目して、無農薬米を採用した。それも米粒のなかの残留農薬を除去するために、無農薬アイガモ農法を3年以上続けている農家に限って手を組んだ。どれもこれも球磨焼酎の郷里(さと)で初めての試みだった。
ようやく生まれた焼酎は、「これは焼酎なの? お酒かと思った」という評判になった。
友だちの『伝統的酒造り』のほんの一部を取り上げたが、こんな裏話があることを高田さんは情報発信しなかった。
仕事や立場は違っても似たような人は世のなかにはたくさんいる。これこそが日本人の勁(つよ)さではないかとおもう。
ちなみに跡を継いだ娘さんはクラフトジンにチャレンジして、全国的な大会で最高賞を受賞している。
高田さんにはしばらく会っていない。こんなブログを書いていることも話していない。
それでいい。
■団地のなかのイチョウが黄色く燃え上ってきた。まもなく黄色の広いジュウタンが出現する。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ichi-yume.asablo.jp/blog/2024/12/07/9737959/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。