令和の米騒動を読み解く2025年02月24日 18時30分

 米価の高騰がわが家の家計を直撃している。店頭で売られている米の数量も減っているし、5キロを買うのに4,000円出しても足りない。
 今回の米の値上がりは天候不順のせいではない。では、なんのせい?
 話はごく単純で、自然のせいでなければ、人のせいである。需要(人の食べる量)が供給を上回っただけのこと。つまり、想定していた以上にご飯を食べているので米が足りなくなったというわけだ。
 こういえば、すぐさま「買い占めだ」、「売り惜しみだ」という声があがるだろう。だが、それは二次的な要因であって、一次的要因ではない。
 でも、ぼくたちが急に食べるご飯の量を増やしたわけではない。どこからか新しい胃袋の大群が加わっているのではないか。そして、おそらくその人たちはお金持ちで、ぼくたち庶民の金銭感覚とは別の世界にいる。
 フラッシュバックのように思い出すテレビの映像がある。
 外国からやってきた観光客を相手に、その土地の新鮮な海の幸をご飯の上にのっけた丼に、7,000円の値段をつけて大繁盛している店が紹介されていた。銀座の寿司屋、人里はなれた山奥の宿にも人の波が押し寄せて、人気の飲食店には長い行列ができている。
 その数たるや半端ではない。
 昨年の外国人観光客数は約3,687万人。日本の総人口の3割にも相当する。乱暴な計算だが、食事をするたびに3,678万食が必要になる。1週間滞在したら、年間で2億5,809万食。ちょっと想像がつかない。米の減りようがわかるだろう。
 みなさんおいしいものをおなかいっぱい食べる気満々でやって来たに違いなく、たとえばアメリカ人は平均的な日本人が食べる量のゆうに2倍は胃袋におさめる。
 この人たちが押しかける旅館や飲食店から、「もっと米を持ってきてくれ」の注文がその土地の米穀店へひっきりなしに舞い込んでも不思議ではない。その小さな火があちらこちらからだんだん燃え広がっても、なんの不思議もない。騒動はほんのささいな出来事からはじまるのだ。
 こんなふうに世のなかはおおきく変わっているのに、政府は米の年間消費量を日本人の人口を前提に割り出している。いまはそんなことですまされる時代なのだろうか。
 思いだしてほしい。ちょっと前までのメディアの報道は、急激なインバウント需要の高まりが米不足の原因だとはっきり指摘していた。なのに、そんな声はほとんど聞かれなくなった。マスコミは常に新しい話題を追いかけるので、たぶんそういうことなのだろう。
 こうして「令和の米騒動」の関心は、米の買い占めや売り惜しみの方に移っている。だが、それらは米の値上がりに便乗した動きである。そうなった原因はその前にあるはずだ。
 政府は観光大国を掲げているのに、農水省は初動の判断をあやまったとしか思えない。備蓄米の放出はあまりにも遅すぎる。
 これは内輪の問題なので、けっして外国からやって来た人たちを排斥しているのではない。むしろ、日本のよさをたくさん知ってもらい、おいしいお米を食べてほしい。
 相変わらずのパターンだなぁ、とおもいながら、きょうもまた仕方なく高い米を買って来た。

■テレビを見ていたら、カミさんの故郷の六日町駅前の様子が出て来た。実家から歩いて行ける温泉も、そして雪に埋もれた越後湯沢の駅前も。
 なつかしくてなって、古い写真を取り出した。ぼくたち親子が夏休みによく連泊させてもらっていたロッジの庭から撮影したもの。管理人をしていた義理の姉さん夫婦と子どもたちには本当にお世話になった。
 眼下には清らかな魚野川が流れ、おいしい南魚沼米のたんぼが広がっている。大雪が消えた後のこの美しい景色はいまも変わっていない。

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