海には思い出が詰まっている2025年02月26日 11時58分

 ときどき無性に海に会いたくなる。昨日もそうだった。カミさんを助手席に乗せて向かったのは室見川の河口の西側にある愛宕神社。東京、京都とならぶ日本三大愛宕のひとつで、標高50メートルほどのこんもりした山のてっぺんに建っている。
 ここからは博多湾が一望できる。空はよく晴れていて、青い海が光っている。海からおだやかな風が吹き上げてきて、トンビが一羽、気持ちよさそうに両翼を広げたまま宙を滑っていた。
 海が好きだ。泳ぐのも、獲物をとるのも、船に乗るのも、ただ見ているのも好きである。
 30代のはじめに朝の4時から原稿を書かないと締め切りに間に合わない日々が続いて、過労のせいか体温が40度まで上がり、それでも休めなかったことがある。あのころのぼくは地元の新聞に広告の記事や特集企画などを書きまくっていて、多いときには朝刊の5ページを自分の原稿で埋めつくしたこともあった。
 高熱が下がらず、さりとて休むわけにもいかない。そこで思いついた荒療法は、まだ泳ぐには早すぎる5月の海に飛び込むことだった。「潮に漬かれば、きっとよくなる」、そう考えた。
 中学から大学を卒業するまで、夏休みは波当津の海でそれこそ潮漬けになるほど遊びほうけ、福岡に移転してからもよく糸島の磯辺の沖にひとりで潜っていた。それは若さと元気の証でもあった。
 風の力を肌で感じるように、ぼくは海の力を感じる。本当に海に会いに行こうとおもった。だが、踏みとどまってよかった。
 医者に診てもらったら、「肺が白くなっています。結核ですね。意外と多いんですよ。紹介状を書きますから、安静にして、明日にでも入院してください」と宣告された。「結核の治療は長引くので、入院は短くて半年、まぁ、1年ぐらいでしょうね」とも言われた。
 長男が生まれたばかりで、ひと月も経っていない。カミさんは初めての子育てで、近くに頼れる親戚も知り合いもいない。まだ福岡での生活にもそんなに慣れていなかった。
 入院先で再検査をして、結核ではなく、マイコプラズマ肺炎だとわかったときの深い安堵感。赤ん坊の写真を見ながら、こみ上げてくるよろこびを固いベッドのうえで噛みしめた。
 大好きな海に行かなくてよかったのはあのときぐらいか。青い海にはいろんな思い出が詰まっている。

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