8月6日。「あの日」のことを想像する2025年08月06日 22時58分

 副作用の谷間をぬけた。旨そうな分厚いトンカツが頭のなかでちらちらして、かつ丼もいいなぁ、なんて思いはじめたので、もう大丈夫。元気バリバリとまではいかないけれど、いまの自分に合った「巡航速度」があって、無理なく安全に進んでいるという感覚である。
 朝の8時過ぎにテレビをつけたら、広島の平和記念式典の中継をやっていた。原爆が投下された8時15分、式典の司会者の声に促され、さっと立ち上がって、1分間の黙とうをした。
 目の前のカレンダーには、6月23日の余白に、「オキナワ」と鉛筆で書き込んである。8月6日は「ヒロシマ」、9日は「ナガサキ」、15日は「終戦」、9月2日は「日本、降伏文書に調印」。
 あの日から80年が経つ。だが、「あの日から」と言いながら、ぼくは「あの日」のことを体験していない。
 学生時代に大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を読んで(当時の必読の書だった)、原爆資料館に行ったことはある。だが、ふだんの暮らしをしているさなかに、一瞬にして殺された10万人以上の人たちの様子やその場の匂い、泣きすがる母親や子どもたちの声などの、なにひとつも知らないのだ。
 せめて当時の記録映像やドキュメント番組、写真などを見たり、関連する本を読んで、あの日のことを想像するしかない。中継をみながら、それぐらいはもっとやる務めがあるな、と改めておもった。(テレビをみた後、書棚から『長崎の鐘』(著者・永井 隆)を取り出した。)
 だが、世界の情勢はオキナワ、ヒロシマ、ナガサキほかの願いに反して、はっきり逆回転している。
 戦争には数々の教訓がある。ここでは皆殺しの道具として開発された核兵器について、ひと言だけ書いておこう。
「道具は使うためにつくるのだ」。
 まぁ、ひとりでカリカリしてもしようがないか。
 少なくとも今日のこの日、広島のことを考えている人は、きっとぼくと同じような考え方でつながっているとおもいたい。
 そうなのだ、今日は「連帯の日」なのだ。書いているうちに、そのことに気がついた。

■朝の7時すぎ、近くのたんぼを見たくなって散歩にでた。きれいな緑の海がひろがっている。猛暑のなか、くっついて生きているカモがいた。