「会いましょう」、数年ぶりの声を聞く ― 2025年08月16日 10時49分

お盆にやった「次につながるいいこと」のひとつを書いておく。
先日、朝早くから地元紙の朝刊に目を通していたら、経済面を開いたところで目が止まった。連絡をしないまま数年が過ぎて、気になっていた人の顔写真が載っていた。
90歳になっていた。年齢を見て、胸を衝(つ)かれた。
その人はKaさん。ご縁ができたのは24年も前のこと。きっかけは知人の紹介で、Kaさんの経営哲学をまとめた本の出版の手伝いをしたことだった。初版と第2刷はぼくのちいさな制作会社から出した。
ぼくが鹿児島の小学校に入学した年に、Kaさんは九大を卒業して、地元の銀行に就職している。若いときから活躍されて、先行するライバル銀行を幾度も歯ぎしりさせた人で、代表取締役専務、関連会社の会長を経て、個人事務所を設立。
その準備のときに声をかけられた。
「この人なら、きっと新しい風を巻き起こすに違いない。これから自由になって、未来へのタネ撒きをする人だから」。本づくりをして、そう確信していたので、よろこんで参加した。
Kaさんは銀行時代にも、将来を背負う有望な人材を何人も育てていたという。ご本人の自慢話ではない。ほかから聞こえていた。
与えられた名刺の肩書は、メディア・プロデューサー。自分で言うのは気がひけるけれど、本人が気づいていない強みを見抜く眼力、やる気を引き出すこころ遣いは、こういう人に共通している。
抜群の人脈の持ち主で、関東や関西からもいろんな人が伝手を頼りにして、まるで磁石に吸い寄せられるようにKaさんの事務所にやってきた。
新しいビジネスの情報を持っている人は、それを活かしてくれる出会いの場を探している。そのマッチングをする役割は、Kaさんの独壇場とも言えた。第一、そんな面倒なことをやる人はほかにいなかった。
ふつうなら大手企業を営業訪問しても、担当者が会ってくれればいい方で、それすら夢物語の会社がいまでも圧倒的に多い。
ところが、Kaさんは、必ずその人物に会って、たっぷり時間をかけて、じっくり話を聞いたうえで、これは世のなかにひろげる価値があると判断したら、いきなり大手のトップに話をつなぐ。そして、そのエライ人たちは、「こんないい話は知りませんでした。わたしの耳にはこういう情報は入ってきません」というのがほとんどであった。
こうして実際に、地元の無名のベンチャーが超スピードで上場を果たした例もある。
シニアの財団の九州本部の事務局長もやらせてもらった。よく中州にも連れて行ってくれた。折々の話の一つひとつが、人脈づくりの要諦や経営の壁を打ち破る発想の生きた実例集で、惜しみなくその極意の数々を教えてくれた。
もちろん、それらが氷山の一角ということはわかっている。とにかく、カラオケでも、ゴルフでも、講演でも、ご本人は楽しんでおられるけれど、とても同じことはできそうもない努力の人だと言っておこう。
ここで若い人にアドバイスするとしたら、「自分からぶつかって、素直な気持ちで話を聞くようにすれば、年配の人は親切にいろいろ教えてあげたくなるものだよ」ということかな。
数年間、自分の会社と「二足のわらじ」をはいて、好きなことを自由にやらせてもらった。その間、ものすごい勢いで新しい名刺が溜まっていった。
そのうち、こちらもほかにやることがあって、だんだん足が遠のいてしまった。そして、初めての出版から15年後、再びお呼びの声がかかった。2冊目の本の手伝いの話だった。
10時過ぎ、もう一度、5段抜きの記事を読んだ。盆休みだから、いまはご自宅にいらっしゃるはず。しばし迷って、3分後、Kaさんのスマホに電話した。
お元気そうな声だった。はなれていた時間をぜんぜん感じない。30分ちかく経っても話は終わりそうもなかった。そして、「事務所に来ませんか」となった。後継者も育って、このごろは用件があるときだけ出かけているという。
やっぱり、こちらから動いてよかった。涼しくなったときに、Kaさんに会う目的ができた。
よし、90歳の大先輩に負けないように、元気なところを見せなくちゃ。
■いままで書いた本を並べてみた(共著を含む)。ほかにもう1冊あったのだが。
Kaさんの著書は手前中央の『アライアンス・パワー』と『傍楽(はたらく)』の2冊。どちらも好評で、社員教育のテキストとして採用した企業もある。
先日、朝早くから地元紙の朝刊に目を通していたら、経済面を開いたところで目が止まった。連絡をしないまま数年が過ぎて、気になっていた人の顔写真が載っていた。
90歳になっていた。年齢を見て、胸を衝(つ)かれた。
その人はKaさん。ご縁ができたのは24年も前のこと。きっかけは知人の紹介で、Kaさんの経営哲学をまとめた本の出版の手伝いをしたことだった。初版と第2刷はぼくのちいさな制作会社から出した。
ぼくが鹿児島の小学校に入学した年に、Kaさんは九大を卒業して、地元の銀行に就職している。若いときから活躍されて、先行するライバル銀行を幾度も歯ぎしりさせた人で、代表取締役専務、関連会社の会長を経て、個人事務所を設立。
その準備のときに声をかけられた。
「この人なら、きっと新しい風を巻き起こすに違いない。これから自由になって、未来へのタネ撒きをする人だから」。本づくりをして、そう確信していたので、よろこんで参加した。
Kaさんは銀行時代にも、将来を背負う有望な人材を何人も育てていたという。ご本人の自慢話ではない。ほかから聞こえていた。
与えられた名刺の肩書は、メディア・プロデューサー。自分で言うのは気がひけるけれど、本人が気づいていない強みを見抜く眼力、やる気を引き出すこころ遣いは、こういう人に共通している。
抜群の人脈の持ち主で、関東や関西からもいろんな人が伝手を頼りにして、まるで磁石に吸い寄せられるようにKaさんの事務所にやってきた。
新しいビジネスの情報を持っている人は、それを活かしてくれる出会いの場を探している。そのマッチングをする役割は、Kaさんの独壇場とも言えた。第一、そんな面倒なことをやる人はほかにいなかった。
ふつうなら大手企業を営業訪問しても、担当者が会ってくれればいい方で、それすら夢物語の会社がいまでも圧倒的に多い。
ところが、Kaさんは、必ずその人物に会って、たっぷり時間をかけて、じっくり話を聞いたうえで、これは世のなかにひろげる価値があると判断したら、いきなり大手のトップに話をつなぐ。そして、そのエライ人たちは、「こんないい話は知りませんでした。わたしの耳にはこういう情報は入ってきません」というのがほとんどであった。
こうして実際に、地元の無名のベンチャーが超スピードで上場を果たした例もある。
シニアの財団の九州本部の事務局長もやらせてもらった。よく中州にも連れて行ってくれた。折々の話の一つひとつが、人脈づくりの要諦や経営の壁を打ち破る発想の生きた実例集で、惜しみなくその極意の数々を教えてくれた。
もちろん、それらが氷山の一角ということはわかっている。とにかく、カラオケでも、ゴルフでも、講演でも、ご本人は楽しんでおられるけれど、とても同じことはできそうもない努力の人だと言っておこう。
ここで若い人にアドバイスするとしたら、「自分からぶつかって、素直な気持ちで話を聞くようにすれば、年配の人は親切にいろいろ教えてあげたくなるものだよ」ということかな。
数年間、自分の会社と「二足のわらじ」をはいて、好きなことを自由にやらせてもらった。その間、ものすごい勢いで新しい名刺が溜まっていった。
そのうち、こちらもほかにやることがあって、だんだん足が遠のいてしまった。そして、初めての出版から15年後、再びお呼びの声がかかった。2冊目の本の手伝いの話だった。
10時過ぎ、もう一度、5段抜きの記事を読んだ。盆休みだから、いまはご自宅にいらっしゃるはず。しばし迷って、3分後、Kaさんのスマホに電話した。
お元気そうな声だった。はなれていた時間をぜんぜん感じない。30分ちかく経っても話は終わりそうもなかった。そして、「事務所に来ませんか」となった。後継者も育って、このごろは用件があるときだけ出かけているという。
やっぱり、こちらから動いてよかった。涼しくなったときに、Kaさんに会う目的ができた。
よし、90歳の大先輩に負けないように、元気なところを見せなくちゃ。
■いままで書いた本を並べてみた(共著を含む)。ほかにもう1冊あったのだが。
Kaさんの著書は手前中央の『アライアンス・パワー』と『傍楽(はたらく)』の2冊。どちらも好評で、社員教育のテキストとして採用した企業もある。
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