「幸運の道」を走って、治療へ2025年08月19日 17時28分

 点滴の薬が入ったちいさなペットボトルほどの容器を、いまも肩からぶら下げている。
 昨日は3週間ごとの通院日。医師との会話もめぼしい内容はなく、決められたレールの上を淡々と進んでいる。とくに注意することもないという。
 3月にようやく再発が確定したとき、医師からは「完治するのは無理ですね」とはっきりいわれた。だが、「人それぞれですから」という言葉を何度も耳にしている。どちらを信じるかと問われたら、答えはいうまでもないだろう。
 化学療法室は静かだった。ぼくの点滴がいちばん長い時間がかかるので、最後はひとりきりになる。そこで看護師さんと少し話をした。
 今回わかったのは、点滴の最高齢者は90代だったこと。つい数年前まで70代は少数派で、高齢者扱いだったけれど、いまでは80代が数人もいて、なかには「早くこの点滴を外してくれ。仕事に行くから」と注文をつける男性もいるそうだ。
 信じられん。どうしようもない理由があるにしても、元気がいいなぁ。
 ぼくは74歳だし、きつい抗がん剤の治療に耐えて、ベッドの上でもパソコンを触ったりしているので、癌が3つと小粒のそれが腹膜に散らばっている割には元気な患者だとおもわれているらしい。そうおもわれなかったら、こんなところにいる用はない。
「点滴を受けていると、いま癌をやっつけているんだなとおもいますね」
 これは「ケモ室」(化学療法室の略語)で、ぼくがいつも口にする言葉である。
 昨日のことを振り返りながら、先日電話したKaさんの言葉がずっと引っかかっている。
「毎日が日曜日で、人と会っていないと新しい情報も入ってこないし、なにをするにも達成する目的が目の前にないと、やっぱり身が入りませんね。△△さんは、なにかやっていますか?」
 そう訊かれて、答えに窮した。病気のことはなにも話していない。
 2年前の2月の手術のときは、入院する直前までインターネットで依頼のあった選挙の戦い方やコンセプト、組織づくりのアドバイスから、実践的な戦略シートの提供、スピーチ原稿、ミニ集会と街頭演説の原稿を仕上げて、群馬県の女性の依頼主までメールで送った。
 並行して、近隣の町長選の参謀役を頼まれ、退院した6日後には手術の痛みをこらえて、打ち合わせに参加した。(この日、夜のニュースで、大江健三郎の死去の報に接す。)
 あのときは生きて還れる保証はなかった。仕事をつくって、それを支えにしていた面もあった。さいわい、初出馬のどちらも当選した。
 少しずつでもよくなること。それがいまの最優先事項である。80代の元気じいさんの話を聞いて、上には上がいるものだと、いいカンフル剤になった。
 病院へつながっている国道202号線のことを、すい臓癌から手術で救ってくれた縁起のいい道なので、勝手に「幸運の道」と呼んでいる。いつもそう言い聞かせながら、スカイブルーの軽四で走って行く。

 昨日の昼下がり、ふいに次男がやって来た。盆休みは熊本県の水害に遭った特約店の後片づけなどで、ほとんど休みなしだったという。
 宮崎県日向市近郊の特産品、「へべす」を大量に持ってきてくれた。毎年、この時期に提げて来る。柑橘系の果実で、さわやかな香りとほどよい酸味がたまらない。カミさんはさっそく大半を果汁にして冷凍庫へ。
 焼酎の水割りに、この新鮮な果汁をたっぷり絞って、一杯やりたいなぁ。