書き直すのは、読者サービス2021年03月04日 09時07分

 エース記者のTさんには、記者として、人間として、大切なことをたくさん教わった。
 あれは「白ヘル軍団」と呼ばれて、法政の剛腕・江川に黒星をつけた東大野球部の取材だったか、それとも北島監督が率いる、名手・松尾が大活躍していた明大ラグビー部の取材だったか、ぼくがデータ原稿の束を持って、新聞社の個室で原稿を書いているTさんに届けたときのことである。ある夏の日の土曜日、夜中の零時を過ぎていた。
 土曜日の夜の編集部は、特集部、コラム部、グラビア部、経済部ともに締め切り時間との戦いになる。夜の11時を過ぎても代議士に電話取材する人もいる。どんなに遅くても、どこにいても、政治家は追いかけても構わない。そして、たいていの政治家はちゃんと電話に出てくれる。夜遅く出張から帰って来て、すぐ書き始める人がいるのも、ごくふつうのことだった。
 たった2行か、3行しか書いていない原稿用紙を足元に花吹雪のように散らして、頭を掻きむしっている先輩もいれば、コンテができるまでは書かないというじっくり型もいた。直木賞をとった佐藤雅美さんがそうだった。
 たばこの煙りのダンスに合わせるように、スラスラと書く人もいた。その代表格が「江夏の21球」で知られる、ぼくより2歳年上の山際淳司さん。お二人とも鬼籍に入られたが、あのころの編集部はツワモノぞろいだった。
 そうして原稿を書きあげた人から「お先にぃ~」とか、「オイ、下の屋台で待ってるぞ。早く書いてしまえよ」と言って、ひとり二人と去っていく。
 Tさんはいつも最後の人だった。Tさんが書き終わるまで、デスクも編集長もじっと待っていた。その原稿をレイアウトする整理部、校閲部も大手印刷工場のある別室で待機。みんな徹夜である。しかし、待つ楽しみがあった。エースのTさんは、ライバル他社にも、政治家たちにも一目置かれていて、彼の原稿を読めるのが待ち遠しかったのである。
 そのTさんは原稿用紙を無駄にしなかった。ザラ紙の原稿用紙の一枚一枚が反り返っていて、どれも黒く汚れている。3Bの鉛筆を右手に持って、2、3行書いては、左の手の消しゴムでゴシゴシ消して、書き直して、書き直したかと思えば、またゴシゴシ消して、また書き直すのである。まわりは黒い消しゴムのカスだらけ。
 その消しゴムのカスを指先でつまみとって、ぼくに見せながら、こう言ったのだ。
 「これはね、ぼくの読者サービスなんだ」
 この言葉は終生、忘れない。
 「こうやって、何度も、何度も書き直すのはね、読者のためなんだ」
 どなたもそうだろうが、すぐ近くに背中を追いかけたくなる先輩がいる人は幸せである。Tさんは退社されて、お寺を継がれたが、目白の教会で結婚式をあげたぼくたち夫婦の仲人にもなっていただいた。
 彼は、現役時代に、ある直木賞作家から「あなた、小説を書きなさいよ。ぜったい、直木賞とれるわよ」と言われていた人である。

■ぼくたち編集部記者はみな3Bの鉛筆を使っていた。ボールペンや万年筆で書こうものなら、先輩記者から「おお、大記者になったなぁ」と皮肉られたものだ。
 あの池波正太郎さんの師匠・長谷川伸も紙を大切にしていた。書き仕損じた原稿用紙の裏を使って、びっしり書いていたという。

■九州の民放ラジオ局が制作した番組から最優秀賞を選び、全国大会へ推薦するある賞の審査委員をしていたとき、某ラジオ局の名物プロデューサーに、「書き直すのは読者サービス」の話をしたことがある。
  翌年、また同じ審査会の席でお会いした。そのとき若い女性の部下を横にして、彼はこう言った。
「書き直すのは読者サービス、というお話を伺って、昨年の応募作をつくり直しました。そうしたら別の賞で最高賞を取ったんですよ」

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