魚売り場の女のひと ― 2021年05月21日 18時48分

おや、引っ越したとばかりおもっていたが、そうじゃなかったんだ。
先日の夕方、カミさんと自宅近くの小路を歩いていたら、前方から小柄な女性がやってきた。
ん? 見覚えのある顔立ち。数メートル先からのまっすぐな視線とぶつかって、お互いに笑みがもれた。
「やぁ、お久しぶり。お元気ですか」
「はい。わたしのこと覚えています?」
「もちろんですよ。で、いま、どちらにお勤めですか」
「天神のお店でレジをしています」
ずいぶん日本語が上手になっていた。2年前に閉店したすぐ近くのスーパーの鮮魚売り場で、パートなのに、それこそ身を粉にするようにして働いていた人である。
あのころは長い髪を後ろにゴムで束ねて、頭には白いスカーフをかぶり、白の調理服、足元は黒い長靴というスタイル。見たところは30代の前半で、丸い顔には愛嬌があって、ちゃんと化粧をすれば、評判になってもおかしくないようなかわいい人である。
毎朝、6時にはぼくの住まいの下の道を通り過ぎて行った。駐車場に停めている軽トラックを運転して、魚の仕入れに向かうのだ。
店が開くのは午前9時半。彼女は鮮魚コーナーの調理場のなかで、大きな包丁を右手に握って、次々と大小の魚をさばいていく。客からの魚の下処理の注文もこなす。切り身も刺身もどんどん作っていく。店の中でいちばん忙しく働いているのが、いつも魚と格闘している彼女だった。
「さぁ、いらっしゃい。今日は鯛がお買い得ですよ。鯛が安いよー」
売り声も威勢がいい。さぼっているところを見たことがない。大きなまな板に水道の水をジャブジャブ掛け流して、足元は魚のウロコや内臓のカケラが混じった汚水でビチャビチャだ。きっと魚のニオイが身体じゅうに染みついて、いわゆるセレブの世界とかけ離れた境遇にあることは明らかだった。
お腹が大きくふくらんで、母親になっても、仕事を長く休んでいたという記憶がない。たどたどしい話し方や胸につけていた名札の苗字から、彼女が日本人ではないことはだれもが知っていた。
スーパーの閉店と共に、彼女はいなくなった。歩いている姿もまったく見かけなくなった。てっきりどこかへ引っ越していったとおもっていた。久しぶりに会ってわかったのは、彼女が通勤に利用するバス亭は、ぼくの住まいとは反対の方向だったのだ。
口を利くのは2年ぶりだった。あの長靴を履いたスタイルではなく、ふつうに街へ出かける身だしなみで、笑顔も、口ぶりも、しばらく会っていなかった距離を感じさせない。カミさんも顔見知りなので、うれしそうだった。
「ホント、お久しぶりですね。魚屋さんで、すごくがんばっていたでしょ」
「もう魚屋の仕事は嫌です。あれは本当にきつかったです。二度とやりたくありません」
「でも、せっかく技術を身につけたのにねぇ」
「ものすごくつらかったです。お店がなくなって、辞めることができてよかったです。もう、絶対にやりません」
ぼくも、カミさんも、初めて彼女の本音を聞いた。あんなに仕事に打ち込んでいた人だったのに、心の中は真逆だったのだ。そんなにきつくて、つらい仕事だったのか。
「あのときはお世話になりました。これからも、よろしくお願いします」
ピョコンと頭を下げて、こちらまで明るくなるような声だった。
「ええ、こちらこそ。よかった、お元気そうで」
ほんの1、2分だったが、コロナ禍の中で、久々に気持ちのいい会話をした。
こういう人こそ最後には笑ってほしい。与えられた場所でコツコツとがんばる人。嫌になったら、簡単に辞めてしまうぼくとは大違いである。
レジの仕事は、おそらく魚を扱っていたときよりも安い報酬だろう。そこでも嫌なことはいっぱいあるだろうに、以前よりもずっといいという。ひと昔前は、こんな女の人は珍しくなかった。
いまも元気でやっていることがわかって、なんだかぼくまでうれしくなった。彼女と率直な話をして、生まれ育った国こそ違っても、家族のために辛抱強くがんばる母親像にふれたような気がしたのである。
■魚屋さんはなくてはならない存在だ。魚の目利きの確かさや鮮やかな包丁さばきにはあこがれを感じる。ほかのスーパーにも魚売り場で生き生きと働いている女性たちがいる。ちなみに、ぼくの息子は和食の料理人で、毎日、嫌というほど魚をさばいている。
■写真は波当津の浜辺。手前は石ころだらけだが、すぐ先から砂浜が広がっている。子どもころ、男たちは潜って大きなハマグリを獲っていた。その場で焼いて、食べさせてもらうのがうれしかった。
先日の夕方、カミさんと自宅近くの小路を歩いていたら、前方から小柄な女性がやってきた。
ん? 見覚えのある顔立ち。数メートル先からのまっすぐな視線とぶつかって、お互いに笑みがもれた。
「やぁ、お久しぶり。お元気ですか」
「はい。わたしのこと覚えています?」
「もちろんですよ。で、いま、どちらにお勤めですか」
「天神のお店でレジをしています」
ずいぶん日本語が上手になっていた。2年前に閉店したすぐ近くのスーパーの鮮魚売り場で、パートなのに、それこそ身を粉にするようにして働いていた人である。
あのころは長い髪を後ろにゴムで束ねて、頭には白いスカーフをかぶり、白の調理服、足元は黒い長靴というスタイル。見たところは30代の前半で、丸い顔には愛嬌があって、ちゃんと化粧をすれば、評判になってもおかしくないようなかわいい人である。
毎朝、6時にはぼくの住まいの下の道を通り過ぎて行った。駐車場に停めている軽トラックを運転して、魚の仕入れに向かうのだ。
店が開くのは午前9時半。彼女は鮮魚コーナーの調理場のなかで、大きな包丁を右手に握って、次々と大小の魚をさばいていく。客からの魚の下処理の注文もこなす。切り身も刺身もどんどん作っていく。店の中でいちばん忙しく働いているのが、いつも魚と格闘している彼女だった。
「さぁ、いらっしゃい。今日は鯛がお買い得ですよ。鯛が安いよー」
売り声も威勢がいい。さぼっているところを見たことがない。大きなまな板に水道の水をジャブジャブ掛け流して、足元は魚のウロコや内臓のカケラが混じった汚水でビチャビチャだ。きっと魚のニオイが身体じゅうに染みついて、いわゆるセレブの世界とかけ離れた境遇にあることは明らかだった。
お腹が大きくふくらんで、母親になっても、仕事を長く休んでいたという記憶がない。たどたどしい話し方や胸につけていた名札の苗字から、彼女が日本人ではないことはだれもが知っていた。
スーパーの閉店と共に、彼女はいなくなった。歩いている姿もまったく見かけなくなった。てっきりどこかへ引っ越していったとおもっていた。久しぶりに会ってわかったのは、彼女が通勤に利用するバス亭は、ぼくの住まいとは反対の方向だったのだ。
口を利くのは2年ぶりだった。あの長靴を履いたスタイルではなく、ふつうに街へ出かける身だしなみで、笑顔も、口ぶりも、しばらく会っていなかった距離を感じさせない。カミさんも顔見知りなので、うれしそうだった。
「ホント、お久しぶりですね。魚屋さんで、すごくがんばっていたでしょ」
「もう魚屋の仕事は嫌です。あれは本当にきつかったです。二度とやりたくありません」
「でも、せっかく技術を身につけたのにねぇ」
「ものすごくつらかったです。お店がなくなって、辞めることができてよかったです。もう、絶対にやりません」
ぼくも、カミさんも、初めて彼女の本音を聞いた。あんなに仕事に打ち込んでいた人だったのに、心の中は真逆だったのだ。そんなにきつくて、つらい仕事だったのか。
「あのときはお世話になりました。これからも、よろしくお願いします」
ピョコンと頭を下げて、こちらまで明るくなるような声だった。
「ええ、こちらこそ。よかった、お元気そうで」
ほんの1、2分だったが、コロナ禍の中で、久々に気持ちのいい会話をした。
こういう人こそ最後には笑ってほしい。与えられた場所でコツコツとがんばる人。嫌になったら、簡単に辞めてしまうぼくとは大違いである。
レジの仕事は、おそらく魚を扱っていたときよりも安い報酬だろう。そこでも嫌なことはいっぱいあるだろうに、以前よりもずっといいという。ひと昔前は、こんな女の人は珍しくなかった。
いまも元気でやっていることがわかって、なんだかぼくまでうれしくなった。彼女と率直な話をして、生まれ育った国こそ違っても、家族のために辛抱強くがんばる母親像にふれたような気がしたのである。
■魚屋さんはなくてはならない存在だ。魚の目利きの確かさや鮮やかな包丁さばきにはあこがれを感じる。ほかのスーパーにも魚売り場で生き生きと働いている女性たちがいる。ちなみに、ぼくの息子は和食の料理人で、毎日、嫌というほど魚をさばいている。
■写真は波当津の浜辺。手前は石ころだらけだが、すぐ先から砂浜が広がっている。子どもころ、男たちは潜って大きなハマグリを獲っていた。その場で焼いて、食べさせてもらうのがうれしかった。
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