大酒飲みの流儀2021年08月04日 11時45分

 断酒をすることで、本来の頭のキレを取り戻そうとした人の筆頭格といえば、碁打ちの故藤沢秀行さんの顔が浮かぶ。
 彼は完全なアルコール依存症だった。酒だけではない、バクチや女の出入りも度が外れていた。それでも人気は抜群だった。とりわけ、ぼくがすごい人だとおもったのは、彼がここ大一番のときには好きな酒を断ち切る見事さである。
 秀行さんはタイトルの初物喰いでも有名で、第1期名人のほか、最高棋士決定戦と位置付けられた初代棋聖のタイトルも獲っている(1976年、52歳)。
 賞金額は当時の最高ランクで、億単位といわれた借金漬けの秀行さんは棋聖戦に生死をかける覚悟で臨んでいた。ふだんは朝からウィスキーの瓶を離さなかったが、タイトル戦の一か月前には、ピタリと酒を断った。そして、次々と挑戦してくる若手強豪を退けて、6連覇を達成した。
 この間、借金のために自宅を競売にかけられたが、賞金できれいに返済している。「酒を断って、本気になれば自分はやれるのだ」というお手本のような人である。
 その秀行さんに、一度だけ会ったことがある。確か自宅ではなく、仕事用のマンションの一室だった。そのときも秀行さんは酒臭かった。水の入ったコップを持つ手がぶるぶる震えていた。でも、話しぶりはやさしくて、愛嬌のある笑顔で相手をしてくれた。
 彼は若手をかわいがる人だった。中国の若手も惜しみなく指導した。いまでも秀行さんのことを慕う棋士は大勢いる。ファンは経営者にもいる。
 あんな破天荒な異才を受け入れる度量の広さが、ひと昔前の日本人にはあったのだ。
 酒と取材の話はいろいろあったが、いちばんきつかったのは「サントリーの角」である。
 あれは明治大学ラグビー部の創設者であり、初代監督の故北島忠治さんの特集企画を取材していたとき。エース記者のTさんとのコンビで、ぼくは現役選手とOBの取材を担当した。後に新日鉄釜石ラグビー部を率いる松尾雄治さんが4年生のときで、大学日本一と日本選手権初優勝に輝いた直前である。
 パンツ一枚になった松尾さんの鋼のような肉体にも驚いたが、酒と格闘した取材は、元日本代表のOBを自宅に訪ねたときだった。
 ポジションはFWのロックで、還暦を過ぎても、見るからに頑強なからだつき。座敷に通されて、挨拶をした後、彼はサントリーの角の、通常サイズの倍はあろうかという特大ビンを持ってきた。それを座卓の上にドンと置き、これも特大のグラスをふたつ、そして柿の種とポテトチップスの袋を皿に開けた。
「チュウさん(北島忠治さんの愛称)の取材なら、こいつをやらなくっちゃ、話が始まらんからね」
 そういって特大の角ビンから、特大のグラスのてっぺん近くまで、琥珀色の液体を注いだのだ。氷も水も入れてくれない。ストレートでやろうぜ、というわけだ。
 どう見ても軽く2合は入っている。酔ったらいかんぞと気を張りながら、相手のペースにあわせて飲んだ。昔話を聞き取りながら、30分ほどでなんとか空っぽにした。
 すると元日本代表さんは、がぜん調子に火がついたようにご機嫌になり、また特大の角ビンに手を伸ばしたのだ。
「一杯きり、というのはね、ぼくも、チュウさんも嫌いなんだよ」
 そのときの話題は、彼らラグビー部の部員たちが地まわりのやくざとケンカして、強烈なタックルをかまして、コテンパンにやっつけたという武勇伝の真っ最中だった。そして、そのヤクザたちが仕返しをするために、当日の夜、ドスを片手に八幡山の明大ラグビー部の合宿へ乗り込んできた。そんな話で大いに盛り上がっているときだった。
 ひとりで留守番をしていて退屈していた相手は、ぼくを小躍(こおど)りするようにして待ち構えていたのだ。ウィスキーが一杯だけで終わるはずはなかったのである。
 このケンカの結末も書いておこう。
 玄関で応対した北島監督は、顔色ひとつ変えずに、さっと刀を奪い取るやいなや、抜き手も見せずに、横にあった木製机の脚をピュッとけさがけに切り払った。おニイさんたちは顔面蒼白。その足下に刀をポンと放り投げた北島さんは、「帰れ! ここはお前らの来るところじゃない!」と大音響で一喝したという。
 その後、おニイさんたちは明大ラグビー部のファンになったというオチもついている。
 こんな映画のような事件も、ひと昔前だから大騒動にはならなかったのだ。いまは人の情が薄れて、何かといえばバッシングだ。人の世なのに、すっかり味気なくなってしまった。
 取材中に乱れることはなかったが、帰りのタクシーのなかで酔いがまわり、昼間に早退したのは後にも先にもこのときだけ。お恥ずかしい話で、記者失格といわれても仕方のない「酒の顛末」だった。

■「御大」の愛称で慕われていた同じ明大の野球部の名物監督・故島岡吉郎監督は取材の後で、ぼくに「きみ、飲めるか」と言い、「サントリーのロイヤル」を持たせてくれた。あのころは若手をかわいがる大人がたくさんいた。それだけ自分の信念に自信のある教育者が多かったのだとおもう。

■先の休日、室見川で子どもたちが水遊びをしていた(写真)。

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