8月6日、9日、15日をおもう ― 2021年08月09日 10時31分

コロナ禍の下での平和の祭典・東京オリンピックが終わり、今日は6日の広島市に続いて、アメリカの爆撃機が長崎市に原子爆弾を落とした日。そして15日は敗戦の日。平和を願うひとりとして、心に映る事柄を整理しておきたい。
学生時代、ぼくは3畳間の下宿の小さな書架に、大江健三郎の「広島ノート」と「沖縄ノート」を並べていた。10月21日の国際反戦デーでは、ぼくら一般の学生たちも赤坂のアメリカ大使館の周辺で反戦歌の「暁の空に」や「勝利を我らに」を歌いながら、手をつないで大通りいっぱいに広がって歩くフランスデモをした。だが、幹線道路を占拠して、反米帝国主義を叫ぶ学生たちのなかには、お祭り気分の者も大勢いた。ぼくもそうでなかったとは言い切れない。
初めて広島の原爆資料館を訪れたとき、展示の前で立ち尽くしてしまった。その後、長崎の原爆資料館にも行った。現地を訪れた人なら、戦争が引き起こしたあまりにも不条理で残酷な事態に巻き込まれる恐ろしさや、なぜ、こんなことをしたのかという怒りが入り混じって、亡くなった人々を哀悼し、強く平和を願いたくなる気持ちはわかるだろう。
先の大戦を美化する人もいるようだが、原爆資料館の前で「あの戦争は正しかった」と言い切れるのだろうか。
いまの日本には、酔っぱらった末に、核兵器を使って戦争すればいいじゃないかと言い放ったバカな政治家がいる。ぼくはそういうアホウに、「どこかだれもいないところで、お前ひとりでやれ。ほかの人を巻き込むな」と言いたい。
週刊誌の記者になって、政治の取材をするようになり、さまざまな情報に触れていると、記者としてどう判断すればいいのか、迷うことが度々あった。そういうときにご意見拝聴と訪ねていたのが佐藤内閣の名官房長官といわれた故K代議士である。外相も務めた屈指の国際通で、見るからに知的でスマートな人だった。
彼のオフィスに行くと、飾り気のない広い部屋は深閑としていて、いつも窓際の大きなテーブルに向かって、書類に目を通している姿があった。
「取材は11時の約束だったね。まだ3分ある。少しそこで待っててください」
話を聞ける時間は長くて30分間。K氏に会う目的は、取材を重ねて、自分なりに組み立てたストーリーやモノの見方に偏向したところはないかをチェックするためだった。K氏もこちらの狙いは承知の上で、貴重な時間をとってくれた。彼の話はコメントに使わず、いわゆる「字の文」にするのである。
あるとき、ぼくは取材の関連で、核兵器という言葉を口にした。K氏は即座に反応した。
「これまでアメリカとソビエトが戦争にならなかったのは、どちらも核兵器を持っているからですよ。核は戦争の抑止力になっている」
ぼくは広島、長崎の原爆資料館のことが頭にあったから、核兵器廃絶論者で、そう言われたときは、いかにも自民党員らしい月並みな意見だと感じた。だが、同じ言葉でも、話す人によって説得力は違ってくる。
K氏は「沖縄の核抜き本土並み返還」に尽力したハト派のリーダーである。なぜ、K氏はぼくに「核兵器があるから戦争は起きない」という言葉を投げたのか。それは「いつも人の意見を聞くだけではなくて、自分でよく考えなさい」という切り返しの宿題だった。
その後、ぼくがたどりついた答えは「防衛力は必要だ。しかし、核兵器は使わせない、使わない」ということである。
外相も務めたK氏はおそらくそう言いたかったのだろう。だからこそ日本は外交が大事だよ、だれとでもオープンにつきあい、世界中から信頼される本当の国際国家になるんだよ、それが安全保障の基盤だと。
例え、佐藤栄作首相がニクソン米大統領との間で有事の際には沖縄に核を持ち込めるという密約を結んでいて、そのことをK氏がひた隠しにしていたとしてもだ。
タカ派の重鎮だった故中曽根康弘元首相は、自派のパーティーでの講演で、こんな話をしていた。
「他国から、わが国の領空を侵犯する軍用機が飛んで来ると自衛隊の戦闘機は、必ず二機が一緒にスクランブル発進します。なぜ二機なのか。それは一機が、その侵犯した戦闘機の前を横切る。そのとき相手が撃ってきたら、それを確かめた後で、はじめて味方のもう一機が攻撃するんです。これが日本の専守防衛です。絶対に、こちらから先に手を出してはいけない」
タカ派の代表格にしても、こうである。たぶん、あのバカな政治家の頭の構図は「核兵器は抑止力」ではなく、「核兵器は攻撃力」でできているのだろう。ぼくは「そんなに核を使って、皆殺しをやりたいのか。こっちだって皆殺しされるんだぞ」と言ってやりたい。「核兵器は抑止力」の言葉には「核兵器で報復する」がくっついているのだ。
中曽根氏は海軍短期現役組の元海軍主計中尉だった。短期現役組は、政界でもひとつのエリート集団だった。戦争はどんどんエスカレートして、最後は核兵器という1945年8月の現実を知っている政治家はいなくなってしまった。同時に、政治家の質も落ちた。
いまはチカラ対チカラの単一思考がじわじわと広がっているように感じる。こういう状況をつくりだしているのが隣国・中国であることは国際的にも明らかだ。
そのトップの顔も、国情もわかっている。こちら側が徒党を組んで絞り上げれば、はい、わかりましたと引き下がるような相手ではない。米国だってそうだ。自分の主義主張を言い張るアングロサクソンと漢民族が激突しているだから。このままではケンカ相手同士の米中の方が先にトップ会談をやりそうな雲行きである。
お隣さんの中国の懐に飛び込んで、この不気味な流れを外交の力で食い止めなくては、と立ち上がる国際派の日本の政治家の顔がまったく見えないのはどういうわけか。
8月になると原爆、敗戦、そして中国、米国との関係を考えてしまう。
学生時代、ぼくは3畳間の下宿の小さな書架に、大江健三郎の「広島ノート」と「沖縄ノート」を並べていた。10月21日の国際反戦デーでは、ぼくら一般の学生たちも赤坂のアメリカ大使館の周辺で反戦歌の「暁の空に」や「勝利を我らに」を歌いながら、手をつないで大通りいっぱいに広がって歩くフランスデモをした。だが、幹線道路を占拠して、反米帝国主義を叫ぶ学生たちのなかには、お祭り気分の者も大勢いた。ぼくもそうでなかったとは言い切れない。
初めて広島の原爆資料館を訪れたとき、展示の前で立ち尽くしてしまった。その後、長崎の原爆資料館にも行った。現地を訪れた人なら、戦争が引き起こしたあまりにも不条理で残酷な事態に巻き込まれる恐ろしさや、なぜ、こんなことをしたのかという怒りが入り混じって、亡くなった人々を哀悼し、強く平和を願いたくなる気持ちはわかるだろう。
先の大戦を美化する人もいるようだが、原爆資料館の前で「あの戦争は正しかった」と言い切れるのだろうか。
いまの日本には、酔っぱらった末に、核兵器を使って戦争すればいいじゃないかと言い放ったバカな政治家がいる。ぼくはそういうアホウに、「どこかだれもいないところで、お前ひとりでやれ。ほかの人を巻き込むな」と言いたい。
週刊誌の記者になって、政治の取材をするようになり、さまざまな情報に触れていると、記者としてどう判断すればいいのか、迷うことが度々あった。そういうときにご意見拝聴と訪ねていたのが佐藤内閣の名官房長官といわれた故K代議士である。外相も務めた屈指の国際通で、見るからに知的でスマートな人だった。
彼のオフィスに行くと、飾り気のない広い部屋は深閑としていて、いつも窓際の大きなテーブルに向かって、書類に目を通している姿があった。
「取材は11時の約束だったね。まだ3分ある。少しそこで待っててください」
話を聞ける時間は長くて30分間。K氏に会う目的は、取材を重ねて、自分なりに組み立てたストーリーやモノの見方に偏向したところはないかをチェックするためだった。K氏もこちらの狙いは承知の上で、貴重な時間をとってくれた。彼の話はコメントに使わず、いわゆる「字の文」にするのである。
あるとき、ぼくは取材の関連で、核兵器という言葉を口にした。K氏は即座に反応した。
「これまでアメリカとソビエトが戦争にならなかったのは、どちらも核兵器を持っているからですよ。核は戦争の抑止力になっている」
ぼくは広島、長崎の原爆資料館のことが頭にあったから、核兵器廃絶論者で、そう言われたときは、いかにも自民党員らしい月並みな意見だと感じた。だが、同じ言葉でも、話す人によって説得力は違ってくる。
K氏は「沖縄の核抜き本土並み返還」に尽力したハト派のリーダーである。なぜ、K氏はぼくに「核兵器があるから戦争は起きない」という言葉を投げたのか。それは「いつも人の意見を聞くだけではなくて、自分でよく考えなさい」という切り返しの宿題だった。
その後、ぼくがたどりついた答えは「防衛力は必要だ。しかし、核兵器は使わせない、使わない」ということである。
外相も務めたK氏はおそらくそう言いたかったのだろう。だからこそ日本は外交が大事だよ、だれとでもオープンにつきあい、世界中から信頼される本当の国際国家になるんだよ、それが安全保障の基盤だと。
例え、佐藤栄作首相がニクソン米大統領との間で有事の際には沖縄に核を持ち込めるという密約を結んでいて、そのことをK氏がひた隠しにしていたとしてもだ。
タカ派の重鎮だった故中曽根康弘元首相は、自派のパーティーでの講演で、こんな話をしていた。
「他国から、わが国の領空を侵犯する軍用機が飛んで来ると自衛隊の戦闘機は、必ず二機が一緒にスクランブル発進します。なぜ二機なのか。それは一機が、その侵犯した戦闘機の前を横切る。そのとき相手が撃ってきたら、それを確かめた後で、はじめて味方のもう一機が攻撃するんです。これが日本の専守防衛です。絶対に、こちらから先に手を出してはいけない」
タカ派の代表格にしても、こうである。たぶん、あのバカな政治家の頭の構図は「核兵器は抑止力」ではなく、「核兵器は攻撃力」でできているのだろう。ぼくは「そんなに核を使って、皆殺しをやりたいのか。こっちだって皆殺しされるんだぞ」と言ってやりたい。「核兵器は抑止力」の言葉には「核兵器で報復する」がくっついているのだ。
中曽根氏は海軍短期現役組の元海軍主計中尉だった。短期現役組は、政界でもひとつのエリート集団だった。戦争はどんどんエスカレートして、最後は核兵器という1945年8月の現実を知っている政治家はいなくなってしまった。同時に、政治家の質も落ちた。
いまはチカラ対チカラの単一思考がじわじわと広がっているように感じる。こういう状況をつくりだしているのが隣国・中国であることは国際的にも明らかだ。
そのトップの顔も、国情もわかっている。こちら側が徒党を組んで絞り上げれば、はい、わかりましたと引き下がるような相手ではない。米国だってそうだ。自分の主義主張を言い張るアングロサクソンと漢民族が激突しているだから。このままではケンカ相手同士の米中の方が先にトップ会談をやりそうな雲行きである。
お隣さんの中国の懐に飛び込んで、この不気味な流れを外交の力で食い止めなくては、と立ち上がる国際派の日本の政治家の顔がまったく見えないのはどういうわけか。
8月になると原爆、敗戦、そして中国、米国との関係を考えてしまう。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ichi-yume.asablo.jp/blog/2021/08/09/9407022/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。