言葉をくれた赤トンボ ― 2021年08月23日 11時07分

昨日の夕方、雨上がりの草むらの細い葉先に、赤トンボがとまっているのを見つけた。スマホをとりだして、そっと接近して撮影する。
手前にある草が邪魔なので、気づかれないように息を殺して、手を伸ばしたとたん、小さな赤トンボはパッと飛んで行った。かわいい宝石が消えたようだった。
思いだせば、ずいぶん酷いことをしたものだが、子どもころ右手に棒切れを握りしめて、目の高さのところを群れになって飛んでいた赤トンボを、バシッ、バシッと打ち落として、まるで自分がチャンバラ映画の主人公になったみたいに、タァー、トゥーと声をあげながら、走りまわっていたことがある。
それでも赤トンボたちはぼくからはなれなかった。パラフィンのように薄くて透明な4枚の羽は夕陽を反射しながら、数えきれないほどのオレンジ色の閃光体となって、じゃれあうように飛びつづけていた。
あれは太陽の子どもたちだったのだろうか。トンボたちは怖くなかったのだろうか。
もう二度とトンボをたたき殺すのは止めたと決めてから、ぼくは赤トンボがもっとも愛おしい昆虫になった。
ここからはまったく個人的なつぶやきになるが、仕事でルポなどの原稿を書いていたとき、自然の中で育ってよかったなとおもうことが何度もあった。それは自然から学んだ知識の量ではなく、自然が感じさせる奥深さとか、勁(つよ)さと言ったもので、いわば自然との体験のことである。
話が前後するが、たまたま今朝、開いた本に以下の文章を見つけた。だから、こうして赤トンボの話を書くことにしたのだ。
「詩は行動のなかにも理解のなかにも消え去らぬ。最初描かれたそのままの姿を何時までも保存しています。保存している許りではなく、読む人により日に新たな味わいを生みます。恰も、自然が人間に、どんな行動の為に利用されようと、どんな形式の下に理解されようと、あるが儘の姿を保存し、例えば画家の眼に日に新たな美しさを提供している様なものだ。…(略)…文学者は、言葉を何かの符牒や記号としてではなく、どこまでも、色彩もあり目方もある自然物の様に扱っているものだと言えましょう」(出典: 小林秀雄『考えるヒント3』-文学と自分)
ぼくは文学者ではないが、これから先、赤トンボを見るとき、きっと新たな味わいや美しさを発見して、それを言葉にするだろう。この冒頭に書いた言葉とは違う言葉で。
そういうよろこびを、あのオレンジ色に輝いていた赤トンボたちは、ぼくにくれたのだとおもう。それにしても、こんなことに気づくまで、長い時間がかかるものだ。
■写真は、1枚だけ撮影できた赤トンボ。
手前にある草が邪魔なので、気づかれないように息を殺して、手を伸ばしたとたん、小さな赤トンボはパッと飛んで行った。かわいい宝石が消えたようだった。
思いだせば、ずいぶん酷いことをしたものだが、子どもころ右手に棒切れを握りしめて、目の高さのところを群れになって飛んでいた赤トンボを、バシッ、バシッと打ち落として、まるで自分がチャンバラ映画の主人公になったみたいに、タァー、トゥーと声をあげながら、走りまわっていたことがある。
それでも赤トンボたちはぼくからはなれなかった。パラフィンのように薄くて透明な4枚の羽は夕陽を反射しながら、数えきれないほどのオレンジ色の閃光体となって、じゃれあうように飛びつづけていた。
あれは太陽の子どもたちだったのだろうか。トンボたちは怖くなかったのだろうか。
もう二度とトンボをたたき殺すのは止めたと決めてから、ぼくは赤トンボがもっとも愛おしい昆虫になった。
ここからはまったく個人的なつぶやきになるが、仕事でルポなどの原稿を書いていたとき、自然の中で育ってよかったなとおもうことが何度もあった。それは自然から学んだ知識の量ではなく、自然が感じさせる奥深さとか、勁(つよ)さと言ったもので、いわば自然との体験のことである。
話が前後するが、たまたま今朝、開いた本に以下の文章を見つけた。だから、こうして赤トンボの話を書くことにしたのだ。
「詩は行動のなかにも理解のなかにも消え去らぬ。最初描かれたそのままの姿を何時までも保存しています。保存している許りではなく、読む人により日に新たな味わいを生みます。恰も、自然が人間に、どんな行動の為に利用されようと、どんな形式の下に理解されようと、あるが儘の姿を保存し、例えば画家の眼に日に新たな美しさを提供している様なものだ。…(略)…文学者は、言葉を何かの符牒や記号としてではなく、どこまでも、色彩もあり目方もある自然物の様に扱っているものだと言えましょう」(出典: 小林秀雄『考えるヒント3』-文学と自分)
ぼくは文学者ではないが、これから先、赤トンボを見るとき、きっと新たな味わいや美しさを発見して、それを言葉にするだろう。この冒頭に書いた言葉とは違う言葉で。
そういうよろこびを、あのオレンジ色に輝いていた赤トンボたちは、ぼくにくれたのだとおもう。それにしても、こんなことに気づくまで、長い時間がかかるものだ。
■写真は、1枚だけ撮影できた赤トンボ。
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