植村直己さんの「少年のような目」2022年02月16日 16時24分

 記者になったら絶対に会いたい人がいた。冒険家の植村直己さんである。
 ぼくが高校生のころから、彼は有名人だった。すでにモンブラン、キリマンジャロ、アコンカグアの名峰に登っていた。大学に入学した1970年には、エベレスト、マッキンリー(現デナリ)の山頂にも立って、五大陸の最高峰登頂に世界で初めて成功している。
 若いころから地球上の秘境を駆けめぐり、アマゾン川6,000キロの筏(いかだ)下り、犬ぞりを使ったグリーンランドからアラスカまでの北極圏1万2,000キロの踏破、同じく北極点到達など、想像を絶することを立て続けにやり遂げていた。しかも、そのほとんどが自己責任の単独行である。同じ人間なのに、すごい人がいるとおもった。
 彼の後を追うように、いろんな冒険家たちが登場した。秘境を訪ねるテレビの冒険番組も流行ったものだ。日活映画の女優が北極点に到達して、大騒ぎになったこともあった。リュックサックひとつを背負い、たったひとりでヒッチハイクをしながら海外を旅する若者たちもいっぱい出て来た。そういう時代の空気とも、植村さんはどこかで共鳴していたとおもう。
 念願かなって、植村さんを取材したのは、1980年の7月ごろ(取材メモは全部捨てたので、正確ではないかもしれない)。場所は東京・竹橋にある毎日新聞会館の一室だった。
 立ち上がって挨拶した彼の身長は162センチ。これがあの冒険家と疑うほどの小柄で、テレビで見た通りの、ひとなつっこい顔だった。少年のような目をしていた。会って見て、そうだ、この目に会いたかったんだ、と気がついた。
 このとき植村さんは南米大陸最高峰のアコンカグア(6,960m)の冬季登頂を目指していた。12年前の1968年にも登っているのに、なぜ、また同じ山に登るのか。
 彼は遠征用のさまざまな小道具を入念に確認する手を休ませることなく、ていねいに答えてくれた。
 「冬のエベレスト(8,848m)に登るための準備です。厳冬期のエベレストの山頂ふきんは氷点下数十度まで下がり、風速数十メートルのものすごい風に遭うときがあります。怖いところです。命を落とすかもしれません。だから、その前に厳冬期のアコンカグアに登って、少しでも似たような状況を体験しておきたいのです」
 ぼくはびっくりした。こちらは厳冬期のアコンカグア登山の取材に行ったのだ。ところが、彼の目的は冬のエベレストだった。そのためにわざわざ地球の裏側のアルゼンチンとチリの国境近くの山奥まで行って、南米の最高峰に歩いて登って来るという。そうしなければ、エベレストには行けません、というのだ。
 彼は、あの口癖になっていた言葉を何度も繰り返した。
 「冒険は、まず生きて帰ることが大前提です。意地でも生き延びなくちゃいけないと思っています。ぼくは人一倍、怖がり屋なんですよ。だからその不安を解消するために、あらゆる準備をします」
 80年8月13日。植村さんはアコンカグアの登頂に成功した。そして、同じく80年10月30日、母校の明治大学山岳部OBを中心とした日本冬季エベレスト登山隊の隊長として、日本を出発した。
 だが、この遠征隊はひとりの隊員の死亡と悪天候に阻まれて途中撤退している。あれほどの準備をしても、最後はうまくいかなかった。人智を越えた自然の脅威が、彼の挑み続けた先々で待ち受けていたということなのだろう。
 植村さんは冒険人生のなかで、たった二回だけ負けたと言われている。一回目がこの冬季エベレスト登山だった。そして、二回目が1982年の南極大陸の単独横断計画の挫折。それまで順調に進んでいたが、土壇場になってアルゼンチンとイギリスの間でフォークランド紛争が勃発し、アルゼンチンの協力が得られなくなってしまったのである。
 それでも植村さんは南極大陸単独横断の夢をあきらめなかった。その事前準備のために選んだのがマッキンリー(6,194m)だった。
 1984年2月12日、世界で初めて厳冬期のマッキンリーの単独登頂に成功。折しも43歳の誕生日だった。
 翌13日。下山中の彼からの無線連絡はぷっつり途絶えた。日本からも捜索隊が出て、必死に探したが、ついに見つからなかった。
 いま植村さんはどこで眠っているのだろうか。彼の命日は2月13日。あの少年のような目が瞼(まぶた)からはなれない。

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