空を泳ぐ鯉、川で生きる鯉 ― 2023年05月01日 23時02分

五月晴れの雲ひとつない空に鯉のぼりが泳いでいる。空はどこまでも青く広がる海原のようだ。鯉のぼりは真横になって、からだを震わせたり、だらりとぶら下がったり。風の吹くままに身を任せて、意地を張ることもなく、ここちよさそうである。
こんな光景をめったに目にしなくなった。今日の午後の約1時間の散歩中に、鯉のぼりを上げていたのは1軒だけだった。
まわりにはひとつも見当たらない。端午の節句の出番がやってきたのに、屋根より高いところで一緒に泳ぐ仲間たちはいない。男の子の誕生と成長を願うシンボルもぽつんとしていて、どこか寂しげである。
そう言えば、先日夕方のローカルニュースで、近くの川でハヤが1匹だけ釣れたので、塩焼きにしましたという視聴者からの証拠写真が紹介されていた。
若い女性アナウンサーは「ハヤというお魚がいるんですね。わたし知りません」と言っていた。もうひとりの男性アナは「ハヤって、川で釣れるんですか?」。
ああ、ハヤが泳いでいるところを見たこともないのだ、世の中の動きを伝えるのが職業のこの人たちは。
昼下がり、さわやかな外の空気を吸いたくなって、室見川に出た。一昨日の雨で水量は少し増えていた。水辺では子どもたちが大きな声を上げて遊んでいる。
あの子たちのために、大切に守りたい景色があった。
このあたりの室見川の異変を知ったのは、ぼくが退院して数日後のことである。
そのときカミさんとふたりで、コンクリート製の堰でせき止められて、池のようになっている水のなかをのぞいていたら、見知らぬ男性から声をかけられた。
「鯉はおらんやろ」
どうやら、ぼくの目線を追っていたらしい。
「そうですね。いつもこのあたりに大きなやつが10匹以上は泳いでいましたよねぇ」
「そうよ、すぐ目の前にいっぱいいたんよ。パンを投げてやる人もいたから、人にも慣れていたんよ」
「50センチ以上の鯉もいたでしょ。どこに行ってしまったんですかねぇ」
「みんな食われたんよ。釣って食ったやつがいるんだよ。泥臭くて、とても食えたもんじゃないのに」
「ええ、食べた? あんなにいたのに。ぜんぶ、ですか」
「そう。1匹もおらんごとなってしもうた」
ぼくよりもちょっと年が若くて、うす汚れた灰色のブルゾンを羽織っていた男は怒っていた。
「ここで鯉を釣っている人たちは、釣るのが楽しみで来ている。だから釣った鯉は放して、家には持って帰らん。でも、あいつら××人は違うんだ。泥を吐かせなくても、すぐに食うんだよ」
その男性は「××人」、「××人」と何度も、何度も繰り返した。よそ者から自分たちの庭を荒らされたような気分なのだろう。
釣った魚を食べる人がいたって、別に不思議でもなんでもない。でも、食った、食ったと聞かされるたびに、ぼくはだんだん不快になった。
詳しい話は省くが、息子たちが小学校の低学年のころ、佐賀県の山中にある大きな池の水をぜんぶ抜いて、鯉のつかみ取り大会があった。
ふたりとも泥まみれになって、長男は30センチ余りの鯉をつかまえた。次男もどうにか小さなやつを押さえこんだ。2匹の鯉は、ぼくたち家族が別荘にしていた小学校の廃校の池で飼うことにした。
だが、溜り水のような狭いところで、鯉たちが生きていくのはだれの目にも無理だった。次男の鯉は早々と死んでしまった。
「ウロコも剥げているし、とても助からないからね」とぼくは嫌がる長男を説き伏せて、新潟の義母から得意料理の「鯉こく」のつくり方を教えてもらい、家族みんなで鯉の命を無駄にせずに、いただくことにした。
電話で教えてもらった通り、カミさんは頭から数えて7枚目のウロコのところに出刃包丁を当てた。目隠しされた鯉は、包丁の刃先が入っても、まな板の上でぴくりとも動かない。
子育てが初心者だったぼくは、息子に対してよりも、むしろ自分自身に向かって、これも教育だと言いくるめていた節があったとおもう。そんなぼくの考え方に、子どもたちもカミさんまでも巻き込んでしまった。
ところが、きちんと味噌仕立てにして、お椀によそった鯉の身は、2日や3日ほどきれいな水にはなしていても、泥臭くて、とても食えたものではなかった。
「食べないのなら……、捨てるんだったら、ぼくの鯉を殺さなくてもよかったのに」
精いっぱい、にらんだ幼い目から大粒の涙がぽたぽた、ぽたぽたと落ちた。いつもは陽気な次男も下を向いたまま黙り込んでいた。
室見川の河畔で、突然いなくなった鯉の話を聞いたとき、一瞬にしてあのときの思い出がよみがえった。たぶんカミさんも同じだったろう。
これからは急速に暖かくなる。室見川の遊歩道にもいたるところに蚊柱が立って、川面を小さな虫たちが飛び始める。そこへ毛バリを流すとハヤが飛びついてくる。
この地に移ってきたとき、よく毛バリでハヤを掛けたものだ。釣っても食べるわけでもないし、その遊びはすっかり止めてしまった。
待てよ、ああいう釣りの方法をやって見せるだけでも、いまどきの子どもたちはびっくりするかもしれない。そして、生きている魚をその幼い手に渡したとき、ぼくもそうだったように、きっと何かを感じとることだろう。
こんな光景をめったに目にしなくなった。今日の午後の約1時間の散歩中に、鯉のぼりを上げていたのは1軒だけだった。
まわりにはひとつも見当たらない。端午の節句の出番がやってきたのに、屋根より高いところで一緒に泳ぐ仲間たちはいない。男の子の誕生と成長を願うシンボルもぽつんとしていて、どこか寂しげである。
そう言えば、先日夕方のローカルニュースで、近くの川でハヤが1匹だけ釣れたので、塩焼きにしましたという視聴者からの証拠写真が紹介されていた。
若い女性アナウンサーは「ハヤというお魚がいるんですね。わたし知りません」と言っていた。もうひとりの男性アナは「ハヤって、川で釣れるんですか?」。
ああ、ハヤが泳いでいるところを見たこともないのだ、世の中の動きを伝えるのが職業のこの人たちは。
昼下がり、さわやかな外の空気を吸いたくなって、室見川に出た。一昨日の雨で水量は少し増えていた。水辺では子どもたちが大きな声を上げて遊んでいる。
あの子たちのために、大切に守りたい景色があった。
このあたりの室見川の異変を知ったのは、ぼくが退院して数日後のことである。
そのときカミさんとふたりで、コンクリート製の堰でせき止められて、池のようになっている水のなかをのぞいていたら、見知らぬ男性から声をかけられた。
「鯉はおらんやろ」
どうやら、ぼくの目線を追っていたらしい。
「そうですね。いつもこのあたりに大きなやつが10匹以上は泳いでいましたよねぇ」
「そうよ、すぐ目の前にいっぱいいたんよ。パンを投げてやる人もいたから、人にも慣れていたんよ」
「50センチ以上の鯉もいたでしょ。どこに行ってしまったんですかねぇ」
「みんな食われたんよ。釣って食ったやつがいるんだよ。泥臭くて、とても食えたもんじゃないのに」
「ええ、食べた? あんなにいたのに。ぜんぶ、ですか」
「そう。1匹もおらんごとなってしもうた」
ぼくよりもちょっと年が若くて、うす汚れた灰色のブルゾンを羽織っていた男は怒っていた。
「ここで鯉を釣っている人たちは、釣るのが楽しみで来ている。だから釣った鯉は放して、家には持って帰らん。でも、あいつら××人は違うんだ。泥を吐かせなくても、すぐに食うんだよ」
その男性は「××人」、「××人」と何度も、何度も繰り返した。よそ者から自分たちの庭を荒らされたような気分なのだろう。
釣った魚を食べる人がいたって、別に不思議でもなんでもない。でも、食った、食ったと聞かされるたびに、ぼくはだんだん不快になった。
詳しい話は省くが、息子たちが小学校の低学年のころ、佐賀県の山中にある大きな池の水をぜんぶ抜いて、鯉のつかみ取り大会があった。
ふたりとも泥まみれになって、長男は30センチ余りの鯉をつかまえた。次男もどうにか小さなやつを押さえこんだ。2匹の鯉は、ぼくたち家族が別荘にしていた小学校の廃校の池で飼うことにした。
だが、溜り水のような狭いところで、鯉たちが生きていくのはだれの目にも無理だった。次男の鯉は早々と死んでしまった。
「ウロコも剥げているし、とても助からないからね」とぼくは嫌がる長男を説き伏せて、新潟の義母から得意料理の「鯉こく」のつくり方を教えてもらい、家族みんなで鯉の命を無駄にせずに、いただくことにした。
電話で教えてもらった通り、カミさんは頭から数えて7枚目のウロコのところに出刃包丁を当てた。目隠しされた鯉は、包丁の刃先が入っても、まな板の上でぴくりとも動かない。
子育てが初心者だったぼくは、息子に対してよりも、むしろ自分自身に向かって、これも教育だと言いくるめていた節があったとおもう。そんなぼくの考え方に、子どもたちもカミさんまでも巻き込んでしまった。
ところが、きちんと味噌仕立てにして、お椀によそった鯉の身は、2日や3日ほどきれいな水にはなしていても、泥臭くて、とても食えたものではなかった。
「食べないのなら……、捨てるんだったら、ぼくの鯉を殺さなくてもよかったのに」
精いっぱい、にらんだ幼い目から大粒の涙がぽたぽた、ぽたぽたと落ちた。いつもは陽気な次男も下を向いたまま黙り込んでいた。
室見川の河畔で、突然いなくなった鯉の話を聞いたとき、一瞬にしてあのときの思い出がよみがえった。たぶんカミさんも同じだったろう。
これからは急速に暖かくなる。室見川の遊歩道にもいたるところに蚊柱が立って、川面を小さな虫たちが飛び始める。そこへ毛バリを流すとハヤが飛びついてくる。
この地に移ってきたとき、よく毛バリでハヤを掛けたものだ。釣っても食べるわけでもないし、その遊びはすっかり止めてしまった。
待てよ、ああいう釣りの方法をやって見せるだけでも、いまどきの子どもたちはびっくりするかもしれない。そして、生きている魚をその幼い手に渡したとき、ぼくもそうだったように、きっと何かを感じとることだろう。
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