記者会見の見どころ ― 2023年07月29日 09時04分

中古車販売業大手のビッグモーターの詐欺にも等しい修理費の水増し事件。人の車によくもあんなことができるなぁ、やった後でどんな顔をしてお客に説明していたんだろう、そのときの顔を見てみたいものだと、あきれ返っていたが、先日同社のトップ以下の記者会見をテレビで見て、「ああ、こういう人か」と、その印象に輪をかけた気持ちになった。
案の定、ニュースの続報では世の中の道理に反する同社のやり口がぞろぞろ出てきた。一部の保険会社もグルになっていたらしい。整備された街路樹の無断撤去なども現場から中継されて、同社のブランドも信用もたちまち地に堕ちた。
不正問題の根っ子にあるのは、どうやら人並み外れた個人の欲望のようだ。××したい、××になりたい、という欲はだれしも持っているものだが、底知れない欲望と権力が合体すると人を人ともおもわなくなって、最後にはこんなことになる。その暴走の見本がまたひとつ加わったということだろう。
記者会見はやり直しのきかない一発勝負だから、人間性がモロに出てくることがある。当事者は想定問答を繰り返したうえで、記者たちの前に登場するのだが、ふっと気がゆるんだ本音のひと言やまだ何か隠しているなと勘づかれると、火に油をそそぐはめになる。
そうなったら最後で、記者たちは俄然、報道人としての使命感を燃やすのだ。とりわけ大きな社会的事件の場合は、はげしい取材競争の幕が切って落とされる。
ぼくにもこんな経験があった。細かい部分の記憶は定かではないが、早稲田大学で入試問題漏洩事件(1980年)がM新聞へのタレコミによるスクープで明らかになったときのこと、ぼくは独断で母校の記者会見場に駆けつけた。用意された会場は新聞、テレビの記者たちが殺到していた。
繰り返すが、取材に行ったのはぼくの判断で、デスクから指示されたわけではない。だが、事の重大性からどうしてもその場にいたかったのだ。
その夜遅く、単身である人を訪ねた。夜討ち取材というよりも、その人に会って、ひと言伝えておきたいことがあった。
訪問先は、母校の総長の自宅である。初対面だったが、彼は迷惑そうな顔ひとつせず、落ち着いた様子で、応接間に通してくれた。その場でぼくはこんな話をした。
「今日の記者会見場は、早稲田の卒業生の記者でいっぱいでした。みんな、なんでこんなことが起きたんだと衝撃を受けて、ふだん以上に取材の熱が入っています。M紙にスクープされたから、なおさらです。間違いなく取材合戦が始まります。そうなると記者たちは何から何まで徹底的に取材して報道します。
ですから、大学側の広報が非常に大事です。言えないこともあるでしょうが、隠すと余計に記者は燃えます。できるだけ隠さずに情報を発表してください。このことを言いたくてお邪魔しました」
あのころは30歳前後で、仕事にも自信がつき始めたころだった。だが、まだまだ青かった。よくもあんなことを言いに行ったものだとおもう。しかし、いまも企業や団体の広報に求める考え方は寸分も変わらない。
この事件もはげしい取材合戦になったが、ぼくはほんの少ししか関与していない。ただ、最高責任者の総長にわかりきったことの念を押しに行った行動については、自分でも肯定している。
地方にいるとなかなか体験できないが、政界を揺るがす疑獄事件や大きな社会的事件が明るみになると各社入り乱れての取材合戦が始まる。いったんそうなるとライバル各社に負けるなと取材は一気に熱を帯びて行く。毎日のようにどんどん新しい事実が出て来る。それがまた取材合戦をさらにはげしいものにする。記者たちの目は真っ赤になる。
そういう先輩たちを間近に見てきたし、こんなことは当たり前で、ぼくも前年に発覚したダグラス・グラマン事件では、その疑惑の関係者のパンツの値段まで、近所人から聞き出したことがあった。
だからこそ、最初の迅速な記者会見が大事なのである。記者会見は勝負の場なのだ。そこで少しでも言い逃れみたいなことをすると記者たちは黙っていない。調査報道が少なくなったことを懸念する声もあるが、いまもその伝統は続いているものと信じたい。
ぼくはたいした記者ではなかったけれど、記者会見のニュースを目にするたびに、会見している人の「人物評定」をしてしまう。企業は人である。トップを見たら、どんな会社なのかわかってしまうのだ。
■近くの公園は明るい小さな森のようで、野鳥たちもやって来る。上空5メートルほどの高さのクスノキの枝には、鳥の巣箱がくくりつけられている。だれだか知らないが、こしらえた人の期待感も伝わって来る。
だが、残念ながら野鳥たちのお気に召さないようで、きょうも空き家のままだ。
案の定、ニュースの続報では世の中の道理に反する同社のやり口がぞろぞろ出てきた。一部の保険会社もグルになっていたらしい。整備された街路樹の無断撤去なども現場から中継されて、同社のブランドも信用もたちまち地に堕ちた。
不正問題の根っ子にあるのは、どうやら人並み外れた個人の欲望のようだ。××したい、××になりたい、という欲はだれしも持っているものだが、底知れない欲望と権力が合体すると人を人ともおもわなくなって、最後にはこんなことになる。その暴走の見本がまたひとつ加わったということだろう。
記者会見はやり直しのきかない一発勝負だから、人間性がモロに出てくることがある。当事者は想定問答を繰り返したうえで、記者たちの前に登場するのだが、ふっと気がゆるんだ本音のひと言やまだ何か隠しているなと勘づかれると、火に油をそそぐはめになる。
そうなったら最後で、記者たちは俄然、報道人としての使命感を燃やすのだ。とりわけ大きな社会的事件の場合は、はげしい取材競争の幕が切って落とされる。
ぼくにもこんな経験があった。細かい部分の記憶は定かではないが、早稲田大学で入試問題漏洩事件(1980年)がM新聞へのタレコミによるスクープで明らかになったときのこと、ぼくは独断で母校の記者会見場に駆けつけた。用意された会場は新聞、テレビの記者たちが殺到していた。
繰り返すが、取材に行ったのはぼくの判断で、デスクから指示されたわけではない。だが、事の重大性からどうしてもその場にいたかったのだ。
その夜遅く、単身である人を訪ねた。夜討ち取材というよりも、その人に会って、ひと言伝えておきたいことがあった。
訪問先は、母校の総長の自宅である。初対面だったが、彼は迷惑そうな顔ひとつせず、落ち着いた様子で、応接間に通してくれた。その場でぼくはこんな話をした。
「今日の記者会見場は、早稲田の卒業生の記者でいっぱいでした。みんな、なんでこんなことが起きたんだと衝撃を受けて、ふだん以上に取材の熱が入っています。M紙にスクープされたから、なおさらです。間違いなく取材合戦が始まります。そうなると記者たちは何から何まで徹底的に取材して報道します。
ですから、大学側の広報が非常に大事です。言えないこともあるでしょうが、隠すと余計に記者は燃えます。できるだけ隠さずに情報を発表してください。このことを言いたくてお邪魔しました」
あのころは30歳前後で、仕事にも自信がつき始めたころだった。だが、まだまだ青かった。よくもあんなことを言いに行ったものだとおもう。しかし、いまも企業や団体の広報に求める考え方は寸分も変わらない。
この事件もはげしい取材合戦になったが、ぼくはほんの少ししか関与していない。ただ、最高責任者の総長にわかりきったことの念を押しに行った行動については、自分でも肯定している。
地方にいるとなかなか体験できないが、政界を揺るがす疑獄事件や大きな社会的事件が明るみになると各社入り乱れての取材合戦が始まる。いったんそうなるとライバル各社に負けるなと取材は一気に熱を帯びて行く。毎日のようにどんどん新しい事実が出て来る。それがまた取材合戦をさらにはげしいものにする。記者たちの目は真っ赤になる。
そういう先輩たちを間近に見てきたし、こんなことは当たり前で、ぼくも前年に発覚したダグラス・グラマン事件では、その疑惑の関係者のパンツの値段まで、近所人から聞き出したことがあった。
だからこそ、最初の迅速な記者会見が大事なのである。記者会見は勝負の場なのだ。そこで少しでも言い逃れみたいなことをすると記者たちは黙っていない。調査報道が少なくなったことを懸念する声もあるが、いまもその伝統は続いているものと信じたい。
ぼくはたいした記者ではなかったけれど、記者会見のニュースを目にするたびに、会見している人の「人物評定」をしてしまう。企業は人である。トップを見たら、どんな会社なのかわかってしまうのだ。
■近くの公園は明るい小さな森のようで、野鳥たちもやって来る。上空5メートルほどの高さのクスノキの枝には、鳥の巣箱がくくりつけられている。だれだか知らないが、こしらえた人の期待感も伝わって来る。
だが、残念ながら野鳥たちのお気に召さないようで、きょうも空き家のままだ。
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