子は親に似るのか2023年11月03日 18時03分

 昨日の昼下がり、上の息子がつくね芋を2本持ってきた。手渡されたビニール袋には阿蘇山をのぞむ観光物産館のシールが貼られていた。こんな地味な食材を手土産に提げてくるということは、きっと親がよろこぶはずだとおもったのだろう。
 今朝は寝坊して7時過ぎに起床。朝食のみそ汁の具はカミさんの要望に応えることに決めていた。
 さっそく、つくね芋の小さいのを取り出して、表面の汚れた皮をタワシでこすり落として、手早くすりおろした。白い糊(のり)のようにくっついた塊をスプーンで切り取って、静かに沸騰しているみそ汁用の小鍋に入れる。たちまちでんぷん質が固まって、ふっくらした餅のようになる。よくみかける長芋ではこうはいかない。
 これなら歯の弱い人でも大丈夫。やわらかくて、なつかしい味がするりと喉もとをすべっていく。結婚して、カミさんはこんな食べ方があることを知って、すっかり気に入っている。
 できることなら、畑で栽培されたつくね芋よりも、野山に自生している山芋(自然薯)の方がいい。粘りけがもっと強くて、精力もついて、お椀に盛ったときの香りもちがう。
 調理をしながら、子どもころ父の後ろにくっついて、山の斜面の木々のあいだを歩きまわり、山芋のツルの見分け方や掘り方を教えてもらったことをおもいだした。
 ひと汗かいたあとの母が持たせてくれた水筒の麦茶がうまかった。木漏れ日がさす地べたに座って、野鳥の鳴き声を聞きながら食べた梅干し入りのおにぎりもおいしかった。
 美食という言葉も、そんなことに縁のある家でもなかったけれど、天然ウナギやイセエビなど、子どものころふつうに食べていたもので、いまでは美食に出世したものも多い。
 ぼくもふたりの息子に、父と同じことをいろいろやってみせた。よその子のように遊園地に連れて行ったことはなく、出かける先はいつも山、川、海だった。(ありがたいことに、遊園地は子どもの友だちの親御さんが連れて行ってくれた。)
 その行く先々で何かしらの獲物、たとえば山では沢ガニとかアケビ、川ではヤマメやアユ(これは新潟での話)、海では貝類、ウニなどを素手でとっていた。糸島半島の岩場でタコをつかまえたこともある。子どもたちに自然のなかで遊ぶおもしろさを伝えたかったのだ。
 息子がつくね芋を買って来たのも、山に連れて行って、山芋を掘ってみせて、とろろ汁を食べさせた影響があるのかもしれない。彼が釣りをやったり、アウトドアが好きなのも、波止場や防波堤で一緒に竿を出したり、あちこちで家族キャンプをやったことがあるからだろう。
 正月には待望の男の子が生まれる予定なので、家族の思い出がつまっている7人用のテント、タープ、野外用の調理台から器具類など、どれも安い買い物ではなく、きれいなままだから、みんな持って行ってもらいたいとおもっている。いつかこういう日がくるかもしれないと手元に置いていてよかった。
 それにしても父から教えもらったことのほんのかすり傷ほどしか、息子たちに伝授していない。ぼく自身がちゃんと受け継がなかったから、キノコの知識も、よく釣れるサビキの作り方も、投網を打つ技も途絶えてしまった。
 核家族や転勤族が増えるにつれて、親子代々守り続けてきた知識も技術も跡形なく雲散霧消してしまう。このぼくがいい例だ。
 もうひとつは言い訳みたいになるけれど、あのころとは身近なところにある自然がすっかり変わってしまった。同じことをしたくても、できなくなってしまった。
 (この項、次に続く)

■世話をしている花壇の花がひところの勢いをなくしてきた。日日草にはタネがいっぱいついていて、夏の花々も次世代へのバトンタッチの準備が進んでいる。

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