がん手術からちょうど1年 ― 2024年02月21日 15時42分

すい臓がんの手術から1年が経つ。いまも再発の不安は消えないが、こうして元気でいられるのが夢のようである。
ときどき手にする小林秀雄の本にこんなことが書いてある。
―ある人の個性とは、その人の癖でもなければ才能でもないだろう。変わった癖も面白そうな意見も、個性の証しとはなるまい。ある人の個性は、その人の過去に根を下ろしているより他はなく、過去が現に自己のうちに生きている事を、頭から信じようとしない人に、自己が生きて来た精神の糸を辿ろうする努力を放棄して了う人に、個性の持ちようはないわけだ―
彼の論でいけば、すい臓がんの体験はすでにぼくの個性に反映しているということか。うまく言えないが、確かにそうだとおもう。
区切りのいいこの日に、1年前の過去にいちど根を下ろして振り返るのは、自分という人間を知るためにも意味がある。そこで昨年のスケジュール帳に記した手術の前日、当日、翌日の3日間の走り書きをここに抜き書きしておく。
□2月20日(月)
・手術前日。時計の針はいつもと変わらず進んでいく。特に異変なし。
・談話室にH女医が訪ねてきた。血糖値コントロールのこと、手術のこと等、心配し、応援してくれている。
・N医師も来たが、ほんの10数秒ていど。いつにも増して目に力が入っていた。
・HからLineで声援。Iさんからはメール届く。返信。
・20時過ぎに△△子とビデオ電話、のちtelに切りかえる。△はまだ仕事。今日の出来事、明日のことを話す。
・現21:59。所望していた睡眠剤、つい先ほど受けとって飲む。もうすぐ消灯。
□2月21日(火)
・手術当日を迎える。下剤が効き、3:30ごろトイレへ。スマホに着信していた△△子のLineを読む。△に22才の彼女!!
・夜半過ぎだが、うれしいビッグニュースと返信す。心がすっと軽くなった。
(このあと午前9時に手術室へ。この走り書きはいったん中断。以降はいくらか体力が回復した2月26日に、それまでのことを思い出しながら書き留めた)
・浣腸。手術服を着て、車イスで手術室へ。明るい。
・麻酔が切れ、目が覚めてからが地獄の苦しみだった。N医師が、がんは散らばってなかった、きれいに全部とりました、安心して、という。
・集中治療室に移される。次から次に薬を投与。重苦しい疼痛、もうれつな吐き気。こんなに大変とは思わず。
□2月22日(水)
・痛み止めの点滴、注射、睡眠薬等で、なんとか耐える。それしかない。
・薬や看護師さんがいなければ、とうてい生きられない。つくづくそう思った。何度も、何度も。
・こんな状態なのに、20メートルほど歩かされる。
・午後、6Fの病室が空いたので移しますといわれる。いわれるまま。
・614号室の窓辺のベッドに運びこまれる。点滴。からだに管が巻き付いている。苦しくてならぬ。
・朝、△△子からLine着。昨夕、N医師から連絡あり、うれしかった、△と△(長男と次男)、姉たちにも知らせたという。
(※病室に移動したあと、やっとスマホの着信記録を見れるようになった)
・14:51 △△子からLine。病院に荷物を預けたという。ありがとうと返信。
・歯科から歯と口のクリーニングを受ける。
・歩行。右側のリハビリ室まで往復す。
その後も3月6日の退院の日まで、背中が痛くて眠れない、吐き気が止まらないなど、延々と苦闘の記述が続いている。
読み返して、こんなに元気になったいまに感謝しかない。
あのときのことをいつまでも忘れないでおこう。
■団地のなかにある桜の木に、カササギのつがいが小枝を集めて巣をつくっている。1羽が飛んできて、巣の左の枝に止まった。少しはなれたところに同じ大きさの巣がもうひとつある。
ときどき手にする小林秀雄の本にこんなことが書いてある。
―ある人の個性とは、その人の癖でもなければ才能でもないだろう。変わった癖も面白そうな意見も、個性の証しとはなるまい。ある人の個性は、その人の過去に根を下ろしているより他はなく、過去が現に自己のうちに生きている事を、頭から信じようとしない人に、自己が生きて来た精神の糸を辿ろうする努力を放棄して了う人に、個性の持ちようはないわけだ―
彼の論でいけば、すい臓がんの体験はすでにぼくの個性に反映しているということか。うまく言えないが、確かにそうだとおもう。
区切りのいいこの日に、1年前の過去にいちど根を下ろして振り返るのは、自分という人間を知るためにも意味がある。そこで昨年のスケジュール帳に記した手術の前日、当日、翌日の3日間の走り書きをここに抜き書きしておく。
□2月20日(月)
・手術前日。時計の針はいつもと変わらず進んでいく。特に異変なし。
・談話室にH女医が訪ねてきた。血糖値コントロールのこと、手術のこと等、心配し、応援してくれている。
・N医師も来たが、ほんの10数秒ていど。いつにも増して目に力が入っていた。
・HからLineで声援。Iさんからはメール届く。返信。
・20時過ぎに△△子とビデオ電話、のちtelに切りかえる。△はまだ仕事。今日の出来事、明日のことを話す。
・現21:59。所望していた睡眠剤、つい先ほど受けとって飲む。もうすぐ消灯。
□2月21日(火)
・手術当日を迎える。下剤が効き、3:30ごろトイレへ。スマホに着信していた△△子のLineを読む。△に22才の彼女!!
・夜半過ぎだが、うれしいビッグニュースと返信す。心がすっと軽くなった。
(このあと午前9時に手術室へ。この走り書きはいったん中断。以降はいくらか体力が回復した2月26日に、それまでのことを思い出しながら書き留めた)
・浣腸。手術服を着て、車イスで手術室へ。明るい。
・麻酔が切れ、目が覚めてからが地獄の苦しみだった。N医師が、がんは散らばってなかった、きれいに全部とりました、安心して、という。
・集中治療室に移される。次から次に薬を投与。重苦しい疼痛、もうれつな吐き気。こんなに大変とは思わず。
□2月22日(水)
・痛み止めの点滴、注射、睡眠薬等で、なんとか耐える。それしかない。
・薬や看護師さんがいなければ、とうてい生きられない。つくづくそう思った。何度も、何度も。
・こんな状態なのに、20メートルほど歩かされる。
・午後、6Fの病室が空いたので移しますといわれる。いわれるまま。
・614号室の窓辺のベッドに運びこまれる。点滴。からだに管が巻き付いている。苦しくてならぬ。
・朝、△△子からLine着。昨夕、N医師から連絡あり、うれしかった、△と△(長男と次男)、姉たちにも知らせたという。
(※病室に移動したあと、やっとスマホの着信記録を見れるようになった)
・14:51 △△子からLine。病院に荷物を預けたという。ありがとうと返信。
・歯科から歯と口のクリーニングを受ける。
・歩行。右側のリハビリ室まで往復す。
その後も3月6日の退院の日まで、背中が痛くて眠れない、吐き気が止まらないなど、延々と苦闘の記述が続いている。
読み返して、こんなに元気になったいまに感謝しかない。
あのときのことをいつまでも忘れないでおこう。
■団地のなかにある桜の木に、カササギのつがいが小枝を集めて巣をつくっている。1羽が飛んできて、巣の左の枝に止まった。少しはなれたところに同じ大きさの巣がもうひとつある。
最近のコメント