習慣化した言葉の魔力2024年02月09日 18時43分

 昨日の昼下がりにかかってきた電話の相手はにぎやかだった。
「Kです。いまOの家に来ています。あっ、いまいいですか」
 横浜にいる後輩君で、しばらく声を聞いていないのに、のっけから、つい先ほど別れたばかりのような話しぶりである。
「すい臓ガンだったんですってね。よくみつかったですね。あれはほとんど手遅れになるでしょ」
 彼の隣にいるはずのO君への年賀状に、初めて病気のことを書いたので、その情報を知ったのだろう。ひとしきりガンと糖尿病の話になった。(何度も書いたので、この部分はカットする。)
 ふたりから繰り返し言われたのは、「運がよかったですね」、「すごく運がつよいなぁ」という言葉だった。そのことをいちばん感じているのは当のぼく自身で、そういえば…と思い当たるフシがなくもないことに気がついた。
「習慣化した言葉の持つ力」とか、「口ぐせは人を変える」とか、よく自己啓発などの本に出てくるアレである。昔から知られているやり方で、こうなりたいと思っている言葉を口ぐせにしていると、それが意識の深いところで推進力になって、実際にそうなる、というもの。
 いつごろからか、ぼくも同じことをやっていて、「ついてる」という言葉がいちばんなじみ深い。いいことがあったときはもとより、困ったときでも、自動的に「オレはついてる」と自分に言い聞かせるのがほとんど癖になっている。
 そうするとこれまでもそうだったよなと、「ついている」ことが次々に浮かんできて、「オレはついている人間だ」と気持ちがずいぶん楽になる。人間の頭脳はそういうふうに都合よくできているらしい。
 今回の闘病生活は結果的にこの習慣がプラスに出たとおもう。運なんて、どっちみち雲をつかむような話だから、むずかしく考えずに、そういうことにしておこう。
 さて、このふたりの後輩君、予定では来月3月半ばに『青春18きっぷ』(料金は12,050円。JR全線の普通列車の普通車自由席が5回〈人〉乗り放題)を使って、福岡まで会いに来ることになっていた。小倉にいる学友も、一緒に飲むのを楽しみにしていたのだが、ある事情から家を空けられそうもなく(祝いごとです)、彼らの九州への旅は年末まで順延することにしたという。
 こちらも即座に了解した。こんな場合でも、ぼくは「ついてるな」と頭を切り替えるようにしている。それにしても71歳になって『青春18きっぷ』とは元気なものだ。
 おっと、今度来るときは72歳か。すごいな。なんだか会う楽しみが増えたような気がする。

■カミさんの誕生日に合わせて、新潟にいる姉(長女)と名古屋にいる姉(次女)から贈り物が届いた。この3姉妹はうらやましくなるほど仲がいい。
 それぞれの段ボール箱のなかに、新潟の姉からはカミさんが好きな鉢植えの花のセット(写真)が、名古屋からは静岡県掛川産のお茶と、もうひとつ不思議なことに煮干しを詰めた大きな袋が入っていた。
 なんで煮干しなの? 
 カミさんによれば、「お正月に、わが家に泊まりに来たときに作った朝のみそ汁がおいしかったんだって。だからじゃないの」ということらしい。
 どうもよくわからないけれど、これもきっと仲がいいからなのだろう。