シロウオがいなくなった2024年02月15日 18時29分

 買い物に行くときも、そのときの気分で室見川沿いの遊歩道を歩くことがある。すこし遠まわりになるけれど、車も来ないし、信号もない。右手に川の流れを見ながら、カモがいれば立ち止まり、野鳥のうつくしいさえずりが聴こえれば、どこにいるのかとあたりを探す。そんなそぞろ歩きがいい気分転換になる。
 ここから2キロ足らずの河口近くには、例年ならシロウオ漁のヤナが仕掛けられているはずだった。残念なことに不漁続きで、昨年に続いて漁は取り止めになった。
 シロウオのメスは川底にある石の裏側に産卵する。ところが、近年は川の流れに勢いがなくなって、大量の砂が堆積するようになり、卵を産みつける石が砂に埋まってしまった。シロウオがいなくなるはずである。
 だが、なかには立ち上がる人たちもいて、シロウオが産卵のためにやってくる前に、地元の大学生やボランティアのみなさんが砂に埋もれた石を掘り出して、産卵場を整備している。数年前からやっているのだが、現場に集合するのは1日限り、それも数時間の手作業では、その努力に頭はさがるけれど、とてもかつてのような漁獲量の回復は無理だろうなぁとおもってしまう。
 もう少し上流の様子を見れば、そう考えても仕方のないことはだれの目にも明らかだろう。
 いつ起きても不思議ではないゲリラ豪雨による洪水に備えて、室見川でも大型の重機を何台も使い、何週間も、何か月もかけて、川幅を拡張し、堆積している土砂をきれいにさらってきた。
 ところが、そのぶん水深は浅くなり、水流も弱くなる。たちまち砂が積もりだして、いまも川のなかに家が何十軒も立てられる広さの陸地ができている。こうなることはわかっていても、人の力ではどうすることもできない。この繰り返しだ。
 雨が降るたびに大量の砂は下流へ、下流へと運ばれる。シロウオが卵を産みつける石は掘り上げても、掘り上げても、ほどなくまた砂地のなかに飲み込まれる宿命にある。
 ぼくは子どもころからきれいな川や海のなかを見ながら遊んでいたから、川岸から眺めるだけで、川底の様子や魚たちがどこにいるかぐらいの見当はつく。
 砂が増えれば、アユも卵を産めなくなる。魚たちの食糧である水生昆虫も棲めなくなる。水中に生える水草もなくなる。そして、すでに室見川の下流域はそうなってしまった。
 あんなにいたナマズはもういない。食料にする小魚が減った証拠だ。シロウオに群がっていたユリカモメの大集団も、水草や藻類が好物のカモも激減した。
 今日も川風を受けながらジョギングやウォーキングをたのしんでいる人たちがいる。室見川が好きな人たちは多いけれど、どれだけの人が異常気象と、目の前の川の流れと、生き物たちの関係の変化に気がついているだろうか。
 田舎の自然のなかで遊びまくって育った眼には、ぶらぶら歩いていても気になる景色があちらこちらにある。

■ここ両日の福岡市の最高気温はほぼ20度。種類はわからないが、室見川の河畔に、この暖かさで一気に咲いた桜の木がある。ちいさなミツバチが花から花へ忙しそうに飛びまわっていた。