おでんを食べよう2024年03月19日 20時03分

 朝食のあと片付けが終わって、ひと息つく間もなく、重たい大根を長さ3、4センチほどに断ち切って、皮をむき、丸い断面に十字の切れ目を入れる。そのあいだにゆで卵を4個つくった。卵をゆでた小鍋を洗って、こんにゃくをぐらぐらたぎらせて灰汁(あく)をとる。
 朝っぱらから、また、おでんの仕込みである。おでんの前に、「また」がつくのは、また客が来て、またおでんを出すことになって、またそれをぼくが作るという三重の意味がある。
 人さまに食べていただくのだから、失敗は許されない。もう少しうすくち醤油を足した方がいいかなと何度も味見をしているうちに、舌の感覚が麻痺して、着ている服にもおでんの汁の匂いが染みついて、もうおでんなんか食べなくてもよくなった。
 きょうもまたこんなどうでもいいようなことを書いているのだが、なにも書かないでいると、ときには騒ぎになる。
 先日は、高校時代の友からめずらしく電話がかかってきた。
「ブログ、3月9日からずっと更新していないけど、からだの方は大丈夫なのか」
 予想もしなかった言葉にちょっとジーンときた。でも、こんな電話は二度や三度ではない。
 彼は腰の手術をして入院中だという。あっちもこっちもガタがきている者同士のよくある話になって、「75歳の壁を越えたら、80歳までは大丈夫だ」というウソかマコトかわからない流説に落ち着いた。ぼくたちの年代の会話はだいたいこうなる。
 さて、同じ書くのなら、おカネになる方がいいなとおもい、ここ数日、インターネットで、自分にもできそうな仕事を探している。その方面のホームページを開けば、書き手を募集している情報はゴマンとあるのだ。
 だが、それら仕事の説明文には、ABCでつづられた専門用語や略語、カタカナがあふれていて、さっぱり意味がわからない。インターネットの仕事を探すたびに、時代に取り残されたような疎外感を味わっている。
 ちょっと肩の凝りそうな話になるが、たとえばポートフォリオという言葉が出てくる。ぼくは、ボストンコンサルティングが発案した、あの有名な経営戦略の話だなとおもう。
 そこから成長曲線や市場のポジショニング、事業の絞り込み、ナンバーワン戦略といったおなじみの経営戦略の話へと展開していく。ポートフォリオと聞けば、頭のなかにそんな思考回路が出来上がっているのだ。
 そうだとばかりおもっていた。ところが、いまネットで目にするポートフォリオは違っている。いわば自分の実績をアピールするものだった。まぁ、得意技というジャンルでくくれば当てはまるのだが、それだけこちらの頭が固くなっているのだろう。
 そうそう、おでんの話だった。おでんからインターネットまで飛んでしまった。
 明日は同じ団地住まいの仲良し夫婦がわが家に来ることになっている。真っ昼間から飲み会をする約束で、そのこと自体は楽しみなのだが、どうもぼくたち夫婦が作る予定の料理は古いというか、華やかさに欠けている。
 若い人たちのあいだで、どんなしゃれた料理が流行っているのか、まるっきり知識がない。たぶん見たことも、食べたこともないものがいっぱいあるんだろうな。ぼくのじいちゃん、ばあちゃんがそうだった。
 こちらが用意する料理は、おでん、菜の花とシイタケのおひたし、漬け物、それに豚肉とニラの……。
 ま、いいか。やっぱり、おでんを食べよう。

■室見川の遊歩道をヨチヨチ歩きで横断しているカモたち。おおぜいの仲間たちはとっくに北へ帰って行った。
 もしかしたら、このまま居残るのだろうか。猛暑が来るんだぞ。大丈夫か、お前たち。