中古のノートパソコンを買った2024年04月09日 15時45分

 中古のノートパソコンを買った。大きな画面の15.6型で、このサイズを選んだ理由は、原稿を縦書きで書きたかったから。本を開いたときのように縦書きの文章がひとつの画面に納まる機種がほしかった。
 いまもこうして使っているノートパソコンは軽くて、薄くて、これまでいろんなところへ一緒に旅をした。でも、こいつの泣きどころは画面が小さいことで、横書きなら長い文章でも対応するけれど、縦書きだとすぐに文字が画面からはみ出してしまう。縦書きには不向きなのだ。
 仕事で書く原稿はほとんど横書きだから、これまではなにも問題なかった。しかし、これからは縦書きでも書きたいのだ。
 日本語の文章の見た目の美しさやリズム感は縦書きだからこその味わいだとおもう。志賀直哉の小説が横書きだったら、とても読む気になれそうもない。
 ところで、ものごとをはじめるときに、カタチから入る方がはやく身につくことがある。
 やったことはないが、ゴルフや囲碁などはそうだろう。新聞記事もそうで、書き方の基本的なパターンがある。
 同じ記事でも、週刊誌の原稿はそうではない。そこには書き手の一人ひとりの考え方や感性が出てくる。
 それでもやっぱり、「いいカタチ」はあって、駆け出しのぼくの原稿がまったく使いものならないときにやったのは、読みやすい原稿を書いていた先輩や同僚の記事を原稿用紙に書き写すことだった。やっているうちにだんだんコツが飲み込めてきた。
 「カミソリみたいな切れ味の原稿を書く」と言われていた名文家のYデスクから赤字だらけにして差し戻された原稿を、毎回、毎回、清書したのも、この業界で代々受け継がれてきたもっとも効果的な練習法だったとおもう。
 ぼくはいまでもときどき文中に、「ちなみに」とか、「判で押したように」という言葉を使ったりする。あれはYデスクが赤のボールペンでたびたび書きこんでいた文言である。同じ言葉を書くたびに、鍛えてくれたYさんの顔が出てくる。
 福岡に来て、地元新聞社の関連会社に入社して、数年後のある日のこと。上京した折に、さんざん手間を取らせて育ててくれたYさんを、大手町にある新聞社の編集部まで訪ねたことがあった。彼は編集の責任者になっていた。
 スポーツ刈りの頭、濃紺のスーツと同じ色の細身のネクタイはあのころと寸分も変わっていない。ぼくの顔をみると椅子から立ち上がって、ニコニコしてやってきた。
「Yさん、劣等生が挨拶にきました。こんなぼくでも、九州では戦力になっているようです。担当している企画はわりと評判がいいんですよ」
 間髪入れずに、おもいがけない言葉が返ってきた。
「当たり前だ!」
 はじめてほめてもらった。
 あんなことがあったから、いまでもこうして駄文を書き続けていられるのかもしれない。
 春、4月。こうして書きながら、これまでの経験や思い出はぜんぶいまにつながっているんだなと感じている。

■カミさんと面倒をみている団地の花壇も春真っ盛り。色とりどりに咲いて、けっこうそれらしくなってきた。

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