タケノコに主導権を奪われる2024年04月22日 22時15分

 こまかい霧雨のなか、朝の9時ごろから室見川の河畔を歩いた。上流の方、すなわち南の方角に横たわっている背振山(標高1,054.6m)の山並みには灰色の雲がかかっている。山間部ではもっと強い雨が降っているようだ。
 この雨で山のふもとの竹林のなかでは、かわいいタケノコたちが勢い水を浴びたように元気よく伸びているはずだ。子どものころから竹藪のなかを歩きまわっていたぼくには、その様子が手にとるようにわかる。
 あたたかな雨の力は、「筍」から「旬」の文字をあっさり消し去って、「筍」はたちまち空を突く「竹」になる。
 ちなみに「夢」に「人」の文字がついたら、「儚い」になる。まったく漢字ってやつは、よくできているなぁ、とおもう。
「ことしはまだ1回しか食べてないね。早く買いに行かないとタケノコのシーズンが終わっちゃうね」
「そうだな。もたもたしていると食べそこなうな」
 葉桜の緑があざやかさを増すころに、毎年カミさんとこんな話をする。
 そこで一昨日の土曜日、歩いて10分ほどの農産品の直売店まで行って、茹でたタケノコを2本買ってきた。
 福岡は海も山も川も身近にあって、モウソウダケの林もあちこちにある。タケノコはそこらにある竹林のいたるところで、旬の時期を忘れていないように顔を出す。
 首尾よく手ごろなタケノコを手に入れて、自宅に戻って30分後。ひとりで留守番をしていたとき、玄関のチャイムが鳴った。
 ピンポーン! 
 いつものように玄関のドアを閉めたまま、いつものセリフを口にした。
「はぁーい。どちらさまですか?」
「すみませーん。お向かいのお隣のSです」
 隣の△△△号室の奥さんだった。2年ほど前に夫婦で越してきて、こんなふうに訪ねてきたのはそのときの挨拶以来だった。
 ぼくのカミさんよりも少し年配らしいSさんはおおきな皿を両手で支えていた。その皿には白っぽいものが重なっていて、ラップに包まれている。山盛りというか、ひと目みて、半端な量ではない。
「よかったら、このタケノコをもらっていただけませんか。友だちからいっぱいいただいたんです。とても私たち夫婦では食べきれなくて。よかったらどうぞ」
 申し訳なさそうな口ぶりだった。
 「わぁ、いただきます。家内の大好物です。ありがとうございます」
 山のようなタケノコを笊(ざる)に移して、急いで皿を洗って、よくふいてお返しした。
「すみません。なにもお返しするものがなくて」
 昼食にカレーを食べて、家に帰ったら、夕食はカレーだった。コメがなくなったので買って来たら、田舎からドサッと届いた。寿司を手土産にして戻ったら、冷蔵庫のなかにスーパーの寿司のパックが入っていた。
 人生、往々にして、こんなことがある。
 そんなこんなで、土曜日の夜から始まって、きょうで3日連続して、ぼくたちは飽きずにタケノコを食べている。
 それでも冷蔵庫にはまだ2本も残っている。早く食べないと傷んでしまう。まるでタケノコから急き立てられているようだ。
「よかったらどなたか、このタケノコをもらっていただけませんか」
 でも、こんなことを言ったら、バチが当たるんだろうな。

■桜が散って、葉桜になって、散歩中にふと見たら、もうヤマイチジくの実がいっぱいついていた。先日まで赤く熟れていたグミの実はただのひとつも残っていない。きっと野鳥が食べたのだろう。
 そうだ、あそこの野イチゴは丸々とふらんで、赤くなっているはず。
 それらの一つひとつにたのしい思い出があって、ぼくを元気づけてくれる。