カミさんが退社しました ― 2024年06月29日 18時50分

朝の6時半過ぎ。いつもより遅く起き出したカミさんがぽつんとつぶやいた。
「あーあ、失業か」
ため息が薄暗い部屋のなかで、はぐれ雲にようにしばらく浮かんでいた。
ぼくの相棒は五つ年下の68歳。世間の通り相場では、「やれやれ、やっと仕事から解放された。これからのんびり暮らせるね」というのが落ち着きどころだろう。
だが、そうではない家庭もある。わが家の実態も他人事ではない。
「私の人生って、おカネに縁がないよね」
「そうと決まったわけでもないさ。まぁ、しばらくはゆっくりしたらいいよ」
本日をもって、カミさんは13年間、契約社員として勤めてきた会社を退職した。半年ごとに繰り返される契約更新の関門をくぐり抜けて、職場では頭ひとつ突き出た最高齢者になっていた。まだまだ元気だし、「70歳まではいまの会社で働きたいなぁ」と言っていたのだが。
退社の理由は、「もう来なくていいですよ」と言い渡されたからではない。会社は、彼女たちのやっていたデータ処理の仕事を将来的にも採算がとれないと判断して、その事業をあっさり廃止したのだ。
これによって北海道から九州までの全支店で、キーパンチャーの人たちは正社員も契約社員も全員が職を失ってしまった。契約社員の退職金はどんなに仕事ができる人でも、正社員の1割未満だったという。よく見聞きする話がとうとうカミさんにもまわってきたのである。
将来の計画も木っ端みじんになって、明日からどうしたらいいのか、路頭に迷っている。
一緒に働いていた女性たち、とくに契約社員のなかには、こんな境遇の人が何人もいるとか。そのほとんどが50歳前後の独身女性という点も、いまの時代を物語っているようだ。彼女たちが安定して食べていける転職先をみつけるのは容易ではないだろう。
「私は歳だから、まだあきらめもつくけど、あの人たちはこれからが大変よね」
実は、会社からデータ処理部門の閉鎖の発表があったのは昨年の暮れだった。だが、「社外にも、家族にも絶対にもらすな」という厳しいかん口令が敷かれて、自分の立場がどうなるのかわかっていても、再就職への身動きがとりにくかったという。
ふと東京で週刊誌の記者をしていたときに、総合商社の安宅産業が倒産し、失業した元社員たちのその後を追って、名古屋や大阪に出張取材した当時のことを思い出した。
取材で会った人たちはみなたくましかった。いまさら会社の経営陣のせいにしてもしようがないと腹をくくって、それぞれが自分の力で新しい道を切り拓いていた。
印象深かったのは、彼らのまわりには、彼らが大手商社マンとして働いていたころの人柄やその仕事ぶりをよく知っている人たちが寄り添っていたことである。
そんなことが通用するのは働き盛りのころまでだろ、と言われるかもしれない。そしたら、ぼくはこの話とはなんの脈絡もないことは百も承知の上で、自分にも言い聞かせながら、次のように反論する。
五木寛之は91歳、黒柳徹子は90歳、加藤登紀子は80歳、タモリは78歳、ぐっと若返って、あの中島みゆきはまだ72歳だよ。
すい臓がんを体験したぼくは、生か死かの瀬戸際に立たされて、それまでの確信をいっそう深めている。
自分の将来を明るく見るか、それとも暗く見るのか。それによって自分の将来は決まる。
文章にすれば、そういうことである。
記者時代のぼくを育ててくれたエース記者のTさんは、ぼくたち夫婦がだれも知り合いのいない福岡に転居して、予想もしなかった苦しみに直面していたとき、こんな一文をしたためた年賀状をくださった。
「いまが人生の花だと思いなさい」
会えなくなっても、いつも寄り添ってくれる言葉がある。逆風に遭うたびに、「いまが人生の花だ」とおもうようにしている。
■室見川を渡ったところに、たんぼが広がっている。田植えが終わった後のあぜ道に、カモの夫婦が仲良く並んでいた。
「あーあ、失業か」
ため息が薄暗い部屋のなかで、はぐれ雲にようにしばらく浮かんでいた。
ぼくの相棒は五つ年下の68歳。世間の通り相場では、「やれやれ、やっと仕事から解放された。これからのんびり暮らせるね」というのが落ち着きどころだろう。
だが、そうではない家庭もある。わが家の実態も他人事ではない。
「私の人生って、おカネに縁がないよね」
「そうと決まったわけでもないさ。まぁ、しばらくはゆっくりしたらいいよ」
本日をもって、カミさんは13年間、契約社員として勤めてきた会社を退職した。半年ごとに繰り返される契約更新の関門をくぐり抜けて、職場では頭ひとつ突き出た最高齢者になっていた。まだまだ元気だし、「70歳まではいまの会社で働きたいなぁ」と言っていたのだが。
退社の理由は、「もう来なくていいですよ」と言い渡されたからではない。会社は、彼女たちのやっていたデータ処理の仕事を将来的にも採算がとれないと判断して、その事業をあっさり廃止したのだ。
これによって北海道から九州までの全支店で、キーパンチャーの人たちは正社員も契約社員も全員が職を失ってしまった。契約社員の退職金はどんなに仕事ができる人でも、正社員の1割未満だったという。よく見聞きする話がとうとうカミさんにもまわってきたのである。
将来の計画も木っ端みじんになって、明日からどうしたらいいのか、路頭に迷っている。
一緒に働いていた女性たち、とくに契約社員のなかには、こんな境遇の人が何人もいるとか。そのほとんどが50歳前後の独身女性という点も、いまの時代を物語っているようだ。彼女たちが安定して食べていける転職先をみつけるのは容易ではないだろう。
「私は歳だから、まだあきらめもつくけど、あの人たちはこれからが大変よね」
実は、会社からデータ処理部門の閉鎖の発表があったのは昨年の暮れだった。だが、「社外にも、家族にも絶対にもらすな」という厳しいかん口令が敷かれて、自分の立場がどうなるのかわかっていても、再就職への身動きがとりにくかったという。
ふと東京で週刊誌の記者をしていたときに、総合商社の安宅産業が倒産し、失業した元社員たちのその後を追って、名古屋や大阪に出張取材した当時のことを思い出した。
取材で会った人たちはみなたくましかった。いまさら会社の経営陣のせいにしてもしようがないと腹をくくって、それぞれが自分の力で新しい道を切り拓いていた。
印象深かったのは、彼らのまわりには、彼らが大手商社マンとして働いていたころの人柄やその仕事ぶりをよく知っている人たちが寄り添っていたことである。
そんなことが通用するのは働き盛りのころまでだろ、と言われるかもしれない。そしたら、ぼくはこの話とはなんの脈絡もないことは百も承知の上で、自分にも言い聞かせながら、次のように反論する。
五木寛之は91歳、黒柳徹子は90歳、加藤登紀子は80歳、タモリは78歳、ぐっと若返って、あの中島みゆきはまだ72歳だよ。
すい臓がんを体験したぼくは、生か死かの瀬戸際に立たされて、それまでの確信をいっそう深めている。
自分の将来を明るく見るか、それとも暗く見るのか。それによって自分の将来は決まる。
文章にすれば、そういうことである。
記者時代のぼくを育ててくれたエース記者のTさんは、ぼくたち夫婦がだれも知り合いのいない福岡に転居して、予想もしなかった苦しみに直面していたとき、こんな一文をしたためた年賀状をくださった。
「いまが人生の花だと思いなさい」
会えなくなっても、いつも寄り添ってくれる言葉がある。逆風に遭うたびに、「いまが人生の花だ」とおもうようにしている。
■室見川を渡ったところに、たんぼが広がっている。田植えが終わった後のあぜ道に、カモの夫婦が仲良く並んでいた。
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