今年も年を越せる ― 2024年12月31日 23時59分

2024年がまもなく終わる。
夫婦ふたりきりの年越しなので、カミさんにはゆっくりしてもらいたいのだが、朝のうちからコトコトコトコト、なにかを細かく刻む音がしたり、いますぐやらなくてもよさそうなのに風呂場のタイルを漂白したり、花の挿し木の水を取り替えたりして、片時もじっとしていない。
「ちょっとゆっくりしたら」と声をかけると、いつも同じ返事がくる。
「やることがいっぱいあるもん」
ガスコンロの汚れも、カーテンの裾の薄い黒ずみも、白内障の手術をしてからはバッチリ見えるようになって、カミさんのやる仕事は終わりがなくなった。
こちらものんべんだらりとしているわけにいかず、1時間ほど台所を占領して、母から受け継いだ豚肉のカレー風味の揚げ焼きを大量に作った。明日の昼食に長男家族と次男が来るので、残ったら持たせて冷凍するように勧めるつもりである。
わが家ではもう十年近く、おせち料理はほんの雰囲気を付け加えるだけで、スーパーの総菜の小さなパックで代用している。九州のお正月には欠かせないブリとか、見た目のいい立派なエビ、定番のカズノコ、色とりどりのカマボコなどは値札を興味深く見て、年末商法のやり口を半ば呆れながら通り過ぎるだけで、まず買わない。平常の倍以上のカネを出して、それほど旨くもないのに、もったいぶってありがたく食う気になれない。
別に拗ねているわけではない。民俗学のフィールドワークの研究を持ち出すまでもなく、伝統にはそれぞれの固有の文化がある。日本文化のおせち料理も地方によっても、また家ごとでも違う。
そんなふうにそれぞれだから、結婚する相手によって、お正月の雑煮も違ってくる。そのご縁が運んでくれる新しい発見がたのしい。カミさんが作る雪国の雑煮は、それを初めて食べたぼくのおふくろもいっぺんに大好きになった。
話は脱線するが、おせち料理の材料はあれもこれもが冷凍の輸入品になった。そのことを棚に上げて、子どもたちから日本の食文化の継続について突っ込まれたら、さて、どうしたものか。
だからね。日本は世界中の国と仲良くならなくてはいけないのだよ。その仲のいいシンボルがお正月のおせち料理なんだよ。ここにはね、世界の平和を願う気持ちがぎっしりと詰まっているんだよ。
なんて、正月らしく丸くおさめておくしかないか。
先ほどまで、いつもは見ないNHKの紅白歌合戦を少しだけ見た。名前も顔も歌う曲も知らない歌手が次から次に出てきた。とてもあんな早いテンポの横文字交じりの歌は覚えることも、歌うこともできないけれど、一生懸命に歌っている姿を見て、いまの流行りはこういうことなのだと合点した。
ぼくの時代感覚はかなりズレているのだろうか。
でも、それでもいっこうにかまわない。
ことしは大切なO君、Mさんが亡くなって、新しい命のKo君が生まれた。ぼくはガンの再発の怖さを忘れることなく、時代の変化も感じつつ、2024年をもうすぐ乗り越える。
■いつもの室見川のカモ。陸地に上がって、草を食べている。
夫婦ふたりきりの年越しなので、カミさんにはゆっくりしてもらいたいのだが、朝のうちからコトコトコトコト、なにかを細かく刻む音がしたり、いますぐやらなくてもよさそうなのに風呂場のタイルを漂白したり、花の挿し木の水を取り替えたりして、片時もじっとしていない。
「ちょっとゆっくりしたら」と声をかけると、いつも同じ返事がくる。
「やることがいっぱいあるもん」
ガスコンロの汚れも、カーテンの裾の薄い黒ずみも、白内障の手術をしてからはバッチリ見えるようになって、カミさんのやる仕事は終わりがなくなった。
こちらものんべんだらりとしているわけにいかず、1時間ほど台所を占領して、母から受け継いだ豚肉のカレー風味の揚げ焼きを大量に作った。明日の昼食に長男家族と次男が来るので、残ったら持たせて冷凍するように勧めるつもりである。
わが家ではもう十年近く、おせち料理はほんの雰囲気を付け加えるだけで、スーパーの総菜の小さなパックで代用している。九州のお正月には欠かせないブリとか、見た目のいい立派なエビ、定番のカズノコ、色とりどりのカマボコなどは値札を興味深く見て、年末商法のやり口を半ば呆れながら通り過ぎるだけで、まず買わない。平常の倍以上のカネを出して、それほど旨くもないのに、もったいぶってありがたく食う気になれない。
別に拗ねているわけではない。民俗学のフィールドワークの研究を持ち出すまでもなく、伝統にはそれぞれの固有の文化がある。日本文化のおせち料理も地方によっても、また家ごとでも違う。
そんなふうにそれぞれだから、結婚する相手によって、お正月の雑煮も違ってくる。そのご縁が運んでくれる新しい発見がたのしい。カミさんが作る雪国の雑煮は、それを初めて食べたぼくのおふくろもいっぺんに大好きになった。
話は脱線するが、おせち料理の材料はあれもこれもが冷凍の輸入品になった。そのことを棚に上げて、子どもたちから日本の食文化の継続について突っ込まれたら、さて、どうしたものか。
だからね。日本は世界中の国と仲良くならなくてはいけないのだよ。その仲のいいシンボルがお正月のおせち料理なんだよ。ここにはね、世界の平和を願う気持ちがぎっしりと詰まっているんだよ。
なんて、正月らしく丸くおさめておくしかないか。
先ほどまで、いつもは見ないNHKの紅白歌合戦を少しだけ見た。名前も顔も歌う曲も知らない歌手が次から次に出てきた。とてもあんな早いテンポの横文字交じりの歌は覚えることも、歌うこともできないけれど、一生懸命に歌っている姿を見て、いまの流行りはこういうことなのだと合点した。
ぼくの時代感覚はかなりズレているのだろうか。
でも、それでもいっこうにかまわない。
ことしは大切なO君、Mさんが亡くなって、新しい命のKo君が生まれた。ぼくはガンの再発の怖さを忘れることなく、時代の変化も感じつつ、2024年をもうすぐ乗り越える。
■いつもの室見川のカモ。陸地に上がって、草を食べている。
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