奇人、変人だらけ2025年03月09日 10時13分

 夜明けから青い空、気持ちのいい朝である。もう草取り婆さんがしゃがみこんでいる。白い羊のようなその恰好を見て、ふと浮かんだ言葉は「奇人、変人」。
 奇人、変人には尊称の意味もあるのではないか。下記のような文章を目にすると、「やっぱり、そうか」と得心がいって、なんだかうれしくなる。
 夏目漱石の随筆、『正岡子規』にこんなくだりがある。このふたりは仲がよかった。漱石は子規の突拍子もない人柄をいとおしみ、友のありのままの姿を書き残しておきたくなって、ペンをとったのだろう。そのときの子規の得意げな様子が目に見えるようだ。

 其時分は冬だった。大将雪隠(せっちん)へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。

 まさか便所のなかでこんなことをする人はそんなにいないだろうが、ぼくのまわりにはどちらかといえば奇人、変人が多かった。この「多かった」と過去形で書くのはちょっと辛いものがある。
 ある友は学生時代の下宿の部屋に、だれが使ったものかもわからない洋式トイレを持ち込んで、どでかい灰皿にしていた。この男、ヨットを乗れば、風が止まってどうにもならないときに船を進めるのが得意だった。「凪(なぎ)の△△」と呼ばれていた。
 ある先輩は幼い息子を連れて田舎に里帰りしたとき、東京への戻りの列車に間に合わず、線路のなかで仁王立ちして、肩車した息子に両手を広げさせ、向かってくる列車を緊急停車させた。高校生のときには家から持ちだした日本刀を放課後の教室でふりかぶり、分厚い電話帳をバッサリ断ち切って、同級生の度肝を抜いたこともある。だれも教師にはタレコミをしなかった。そんなおおらかな時代があった。
 別の先輩はチリ紙交換のバイトをしているとき、スピーカーの音量を上げて、「毎度おなじみのチリ紙交換で~す」とやりながら、「そこのお嬢さん、ちゃんと信号を渡りましょう」、「ゴミを捨ててはいけません」と街の保安活動をやっていた。縄張りを荒らされて、ケチをつけたチンピラには、そやつの机の上を片足でドンと踏みつけて黙らせた。
 ある友は下宿の部屋を真っ暗にして、本を読みはじめたら二晩続けて徹夜して、翌日は丸一日寝て過ごすのが習慣になっていた。寝ている間は飯を食わずにすむ。本代がかさんでいつも金がなく、基本は一日一食。鍋で一度に三合の飯を炊き、おかずはサバやイワシの缶詰ひとつ。じつにうまそうに食っていた。彼は大学の授業をバカにしていた。
 みんなぼくの結婚式に来てくれた。人はさまざまだし、人を見る目もさまざまだから、もしかしたらこの世のなかは奇人、変人だらけなのかもしれない。
 
■先日の名古屋の姉の話。結局、テレビに出て来なかった。
 写真はヒヨドリ。カミさんがベランダで育てて、黄色い花がいっぱいついていたギンギョソウが丸裸になっていた。開いたままの花が10個以上も散らばっていた。どうやら留守のあいだにヒヨドリにやられたらしい。腹が減って、腹の足しになるものを探しまわっていたのだろう。写真のヒヨドリは「犯人」ではありません。

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