ネコ好きにもほどがある2025年03月16日 15時27分

 ネコがいる家で育ったカミさんは、大のネコ好きである。
 あーあ、ネコを飼いたいなぁ、撫ぜたいな。よくそう言っているけれど、団地の決まりであきらめるしかない。せめてものなぐさめか、先ほどまでカミさんはニャンコが出ているテレビ番組の録画をみながら、ときどき噴き出していた。
 ぼくもたまには付き合うのだが、主役は人間不信の塊みたいな保護ネコで、「シャーッ!」とやったり、ハンガーストライキをしたり、とうとう根負けして恐る恐る檻から出て来るのは毎回同じ。スタジオにいるタレントたちが「キャー!」とか、「グスン!」とやるのもいつものことで、こんなにワンパターンの番組がそんなにおもしろいのだろうかと不思議におもってしまう。
 別に目くじらを立てているのではない。こうみえても動物愛護の啓蒙活動につながる意義はちゃんと評価しているのだ。ぼくはイヌ派だが、実家でネコを飼っていたこともあるし、ネコがゴロゴロ喉を鳴らしながら、ふとんのなかにはいってくるのもうれしかった。
 ネコが出てくる番組はいくつもある。それだけ愛猫家が多いのだろう。そこで、ネコ好きにもほどがある、という一例をあげておこう。
 小説家の村松梢風(1961年没)の随筆『猫料理』にこんな文章がある。タイトルこそ『猫料理』だが、なにもネコをとって食おうというのではない。全文を紹介したいのだが、さわりだけを抜粋する。
 ちなみに鎌倉市に住んでいた村松氏がこの短い文章を書いたとき、彼は自宅に迷い込んだネコの子孫たちや別の迷いネコを合わせて、10匹のネコを飼っていた。

 さてこの猫たちの食物だが、最初から、私のところでは飯はやらずに魚だけで育てた。初めのうちはほとんど小アジばかりであったが、段々贅沢になり、今では魚だけでも毎日六、七種になる。鎌倉名物の小アジのナマと塩なしの干物、これは主食のようなものである。ほかに季節によって多少の変化はあるが、キス、ヒラメ、カツオ、ナマリ節、マグロのさし身、夏は開きドジョーも焼いてやる。それに卵の黄身、牛乳は欠かさず、ビフテキ、レバーなども時々やる。カツオ節もかいてやる。飯へかけるのではなく、カツブシだけ食べるのだ。(略)
 朝夕二回魚屋が私の家へ運ぶ魚の量は大変なものだ。さし身でも何人前かを、人間の場合と同じようにツマからワサビまでつけ飾りを立てて持ってくる。(略)
 砂箱はいたるところにあって毎日その砂を取り替えるから、月に一度大トラックで海浜の清潔な砂を運んできて、帰りに古い砂を持ち去る。横浜から有名な獣医さんが十日目ごとに全員の健康診断に来る。

 初めて読んだとき、本当だろうかと疑った。だれにともなく、「どうだ、参ったか。オレの右に出るやつはいないだろう」と言わんばかりである。
 それにしても、ネコはどうして人間をこんなふうにさせてしまうのだろうか。

■写真は、「室見川のいちばん桜」。この名前はぼくが勝手につけた。毎年、室見川沿いの桜のなかで真っ先にピンク色の花を咲かせる。
 冬鳥のカモはぽつりぽつりになって、代わりにツバメたちが飛びまわっている。枯れ草のなかから顔を出したばかりのツクシをとっている人もいる。

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