ひと仕事して、CT検査へ ― 2025年09月22日 17時36分

4時半に起床。気温は24度。机の横の開け放った窓から涼しい空気が入ってくる。一昨日から秋の彼岸入り。
赤鉛筆を手にして、もう一度、原稿を見直す。6時半、ようやく最終原稿の仕上げが終わった。その瞬間、この原稿とはサヨナラだ。
ああ、せいせいした。終わった、終わった。もう読む気がしない。脱稿した後はいつもこうなる。
ブラジルのNa君からは率直な読後感のメールが届いた。採点は辛かった。真剣に読んでくれたのだろう。
昼酒したSa君からは、「自分にも読ませて」のメール。高校時代に机を並べた仲間たちだから、まるで国語の時間の作文発表みたいな感じである。ふたりとも劣等生のぼくよりも、ずっと学業は優秀だった。
Sa君にも、「いいよ。了解」と返事した。
彼もゴマ擦り男ではない。評価はどうであれ、次回に飲むときの酒の肴になる。そんなものです、ぼくたちの付き合いは。
さて、今日は3か月ぶりにCT検査を受けた。
前回は、変化というほどのことはなかった。あのきつい化学療法を9回もやってきた今回はどうだろうか。
「こんなに頑張っているんだから、ちょっとでもいいから、よくなっていてほしいな」
「ほんとよね。よくなっていてほしいよね」
老夫婦の願いは単純である。交わす言葉も少なくて済む。
「あの短編、読んでくれた?」
「うん。読んだ」
「どうだった?」
「(書き直す)前より、よくなった」
「もう書き直さないからね」という言葉をぐっと飲み込んだ。
体調はいまも上昇中。さぁ、今夜はゆっくり酒でも飲むか。
だれか相手がいないかなぁ。
■通り過ぎるところだった。こんなところにカモのカップルがいた。このあたりの用水路にやって来るカモの夫婦連れは決まっている。やはり、近づいても逃げようとしなかった。
赤鉛筆を手にして、もう一度、原稿を見直す。6時半、ようやく最終原稿の仕上げが終わった。その瞬間、この原稿とはサヨナラだ。
ああ、せいせいした。終わった、終わった。もう読む気がしない。脱稿した後はいつもこうなる。
ブラジルのNa君からは率直な読後感のメールが届いた。採点は辛かった。真剣に読んでくれたのだろう。
昼酒したSa君からは、「自分にも読ませて」のメール。高校時代に机を並べた仲間たちだから、まるで国語の時間の作文発表みたいな感じである。ふたりとも劣等生のぼくよりも、ずっと学業は優秀だった。
Sa君にも、「いいよ。了解」と返事した。
彼もゴマ擦り男ではない。評価はどうであれ、次回に飲むときの酒の肴になる。そんなものです、ぼくたちの付き合いは。
さて、今日は3か月ぶりにCT検査を受けた。
前回は、変化というほどのことはなかった。あのきつい化学療法を9回もやってきた今回はどうだろうか。
「こんなに頑張っているんだから、ちょっとでもいいから、よくなっていてほしいな」
「ほんとよね。よくなっていてほしいよね」
老夫婦の願いは単純である。交わす言葉も少なくて済む。
「あの短編、読んでくれた?」
「うん。読んだ」
「どうだった?」
「(書き直す)前より、よくなった」
「もう書き直さないからね」という言葉をぐっと飲み込んだ。
体調はいまも上昇中。さぁ、今夜はゆっくり酒でも飲むか。
だれか相手がいないかなぁ。
■通り過ぎるところだった。こんなところにカモのカップルがいた。このあたりの用水路にやって来るカモの夫婦連れは決まっている。やはり、近づいても逃げようとしなかった。
『野風増』の夢を、今に ― 2025年09月20日 17時20分

目覚めていたが、4時40分に起床。カミさんが出勤した後、すぐ机に。気になっていた原稿を修正する。
大江健三郎のいうエラボレーション(入念につくること。言葉を磨くこと)をやっている。ぼくを取材のコンビに指名して、鍛えてくれた週刊誌のエース記者・Taさん流にいえば、「何度も何度も書き直すのは読者サービス」ということになる。
本当にありがたい。ずっとその言葉がぼくを支えている。
まだ朝の空気が立ち騒がないうちに、河島英五の『野風増』を、スマホの音量を上げて聴く。このところ、よくこの歌を聴いている。
「男は生意気ぐらいがちょうどいい。いいか、男はおおきな夢を持て」の歌詞に、「さぁ、やるか」と元気をもらう。「書の名人」でもあった恩師の田原先生から「夢」のおおきな筆字を額に入れて、送っていただいたときのいろんな思いもよみがえってくる。
『野風増』にも思い出がある。
福岡市内のスナックで、ふたりで飲んでいるときに、「お前が二十歳になったら」と声量豊かな美声を張り上げて歌ったのはSu社長だった。そのときこの歌をはじめて知った。
こんな人なら、社員もついて行くだろうな。すごい人だなぁ、知り合いになれてよかったとおもった。似たようなご縁は、駆け出しの記者時代から、いや、学生時代から、相手の職種や肩書き、年齢などは関係なく、よくあったことだ。
Suさんが率いていた企業は、下関市にある旧財閥の鈴木商店の系列会社で、当時、坩堝(るつぼ)の国内シェアはナンバーワンの優良企業である。取材のやりとりをしているときから波長が合って、福岡市内で経営者の勉強会がある日は、「ちょっと一杯、やりましょう」の電話がかかって来た。
あるとき、「K1にトレッキングに行くことになったので、一緒に行こうよ」と誘われた。
言わずもがなで、K1とはエベレストに次ぐ世界第2位の高さの名峰である。高校時代の一時期、学校の勉強はぜんぜんしないで、登山家の本を読み漁ったことがある。K1はあこがれの山だ。まさか、こんなチャンスが舞い込むとは。
だが、独立したばかりの30代で、幼い息子がいるぼくにはとても無理だと最初からわかっていた。
「男は夢を持て」の歌を聴くと、そのころの若さと馬力のままでいるような気持ちになる。
こんな文章が淀みなく、すらすら出てくるのは、やはり、連日のように原稿を書いていた効果にちがいない。ひとつの通過点として、このなんともしれない原稿は(テーマは、ぼくを育ててくれた「師」たちといったところか)、エラボレーションしないで、ブログに残しておこう。
■米が高騰しているなか、そんなことはなんにも関係ないポーズの稲穂たち。
大江健三郎のいうエラボレーション(入念につくること。言葉を磨くこと)をやっている。ぼくを取材のコンビに指名して、鍛えてくれた週刊誌のエース記者・Taさん流にいえば、「何度も何度も書き直すのは読者サービス」ということになる。
本当にありがたい。ずっとその言葉がぼくを支えている。
まだ朝の空気が立ち騒がないうちに、河島英五の『野風増』を、スマホの音量を上げて聴く。このところ、よくこの歌を聴いている。
「男は生意気ぐらいがちょうどいい。いいか、男はおおきな夢を持て」の歌詞に、「さぁ、やるか」と元気をもらう。「書の名人」でもあった恩師の田原先生から「夢」のおおきな筆字を額に入れて、送っていただいたときのいろんな思いもよみがえってくる。
『野風増』にも思い出がある。
福岡市内のスナックで、ふたりで飲んでいるときに、「お前が二十歳になったら」と声量豊かな美声を張り上げて歌ったのはSu社長だった。そのときこの歌をはじめて知った。
こんな人なら、社員もついて行くだろうな。すごい人だなぁ、知り合いになれてよかったとおもった。似たようなご縁は、駆け出しの記者時代から、いや、学生時代から、相手の職種や肩書き、年齢などは関係なく、よくあったことだ。
Suさんが率いていた企業は、下関市にある旧財閥の鈴木商店の系列会社で、当時、坩堝(るつぼ)の国内シェアはナンバーワンの優良企業である。取材のやりとりをしているときから波長が合って、福岡市内で経営者の勉強会がある日は、「ちょっと一杯、やりましょう」の電話がかかって来た。
あるとき、「K1にトレッキングに行くことになったので、一緒に行こうよ」と誘われた。
言わずもがなで、K1とはエベレストに次ぐ世界第2位の高さの名峰である。高校時代の一時期、学校の勉強はぜんぜんしないで、登山家の本を読み漁ったことがある。K1はあこがれの山だ。まさか、こんなチャンスが舞い込むとは。
だが、独立したばかりの30代で、幼い息子がいるぼくにはとても無理だと最初からわかっていた。
「男は夢を持て」の歌を聴くと、そのころの若さと馬力のままでいるような気持ちになる。
こんな文章が淀みなく、すらすら出てくるのは、やはり、連日のように原稿を書いていた効果にちがいない。ひとつの通過点として、このなんともしれない原稿は(テーマは、ぼくを育ててくれた「師」たちといったところか)、エラボレーションしないで、ブログに残しておこう。
■米が高騰しているなか、そんなことはなんにも関係ないポーズの稲穂たち。
短編をブラジルの友に送る ― 2025年09月19日 17時33分

カミさんは休み。ひとり4時半過ぎに起きて、すぐパソコンに向かう。応募条件にある短編のあらすじ400字ていどを書き上げる。
もう一度、本文をざっと読み返して手を入れた。ようやくゴールが見えてきた。
A4のコピー用紙に、縦30字、40行の原稿を印刷して、総ページ数は16枚半。400字詰めの原稿用紙に換算すると49枚になる。
「書け、書け」と尻をたたいてくれたブラジルいる「西高3人組」の友のNa君に、「やったよ」という証拠を見せるために、この稚拙な原稿をメールで送った。
大笑いされても、どうってことはない。若いころ大きな声では言えないことを一緒にやったから、いまさら気どりや見栄とは無縁の仲である。
彼も歳をとって、だれもが避けられない事態に直面していた。彼を苦しませているのは、日本にいる肉親との「時間の壁」と「距離の壁」。すぐに駆けつけたくても、やっぱり、ブラジルは遠い国である。
N君からの返信メールには、「△△ ! 絶対死ぬなよ。美味い酒を飲もう ! なんとか来年の3月頃には 帰国するから ! 」とあった。あの元気者の「絶対に死ぬなよ ! 」の声が耳元で聞こえた。
この件で、三人組のHa君と電話で話す。
このごろ、ぼくたちは「死ぬ」という言葉をふつうに口にするようなった。それだけ慣れてきたのか。それとも慣れようとしているのだろうか。
からだの調子は予定通りに上昇中。食欲も出てきた。
昨日は少し自信があったので、ほど近い距離にいる、こちらも高校の同級生で、いつも心配していてくれるSa君に声をかけて、「長らくお待たせしました」とカミさんの留守中に昼酒をした。
午後1時前から6時ごろまでの延々5時間のたのしいロングラン。ふたりとも酒量は落ちたけれど、久しぶりのいいストレス解消になった。
友だちとはありがたいものだ。大切な人たちが少なくなっていくなか、これからも彼らとできるだけ長く付き合いたいから、そして、その気持ちはお互いによくわかっているから、もうひとふんばりする気力も湧き上がってくる。
■カミさんががんばって世話をしている画壇の花はあまりの暑さで、だいぶ枯れてしまったけれど、逆境を乗り越えた強い花もある。
もう一度、本文をざっと読み返して手を入れた。ようやくゴールが見えてきた。
A4のコピー用紙に、縦30字、40行の原稿を印刷して、総ページ数は16枚半。400字詰めの原稿用紙に換算すると49枚になる。
「書け、書け」と尻をたたいてくれたブラジルいる「西高3人組」の友のNa君に、「やったよ」という証拠を見せるために、この稚拙な原稿をメールで送った。
大笑いされても、どうってことはない。若いころ大きな声では言えないことを一緒にやったから、いまさら気どりや見栄とは無縁の仲である。
彼も歳をとって、だれもが避けられない事態に直面していた。彼を苦しませているのは、日本にいる肉親との「時間の壁」と「距離の壁」。すぐに駆けつけたくても、やっぱり、ブラジルは遠い国である。
N君からの返信メールには、「△△ ! 絶対死ぬなよ。美味い酒を飲もう ! なんとか来年の3月頃には 帰国するから ! 」とあった。あの元気者の「絶対に死ぬなよ ! 」の声が耳元で聞こえた。
この件で、三人組のHa君と電話で話す。
このごろ、ぼくたちは「死ぬ」という言葉をふつうに口にするようなった。それだけ慣れてきたのか。それとも慣れようとしているのだろうか。
からだの調子は予定通りに上昇中。食欲も出てきた。
昨日は少し自信があったので、ほど近い距離にいる、こちらも高校の同級生で、いつも心配していてくれるSa君に声をかけて、「長らくお待たせしました」とカミさんの留守中に昼酒をした。
午後1時前から6時ごろまでの延々5時間のたのしいロングラン。ふたりとも酒量は落ちたけれど、久しぶりのいいストレス解消になった。
友だちとはありがたいものだ。大切な人たちが少なくなっていくなか、これからも彼らとできるだけ長く付き合いたいから、そして、その気持ちはお互いによくわかっているから、もうひとふんばりする気力も湧き上がってくる。
■カミさんががんばって世話をしている画壇の花はあまりの暑さで、だいぶ枯れてしまったけれど、逆境を乗り越えた強い花もある。
ペンネーム決定までの着想 ― 2025年09月17日 17時29分

夜半、何度も目が覚めた。3時からは完全に意識あり。4時半、起床。
その前にふとんのなかでスマホを取り出して、思いついたことをメモする。それは短編のタイトルとペンネームのこと。薄暗い部屋のなかで、あることに気がついたのである。
まず、ペンネームから行こうか。
舞台のイメージは波当津。この浦(このあたりでは、集落を浦と呼ぶ。)の住所は、いまは佐伯市だが、以前は、大分県南海部(あまべ)郡。
次に、カミさんの実家は越後の六日町から山の方に入ったところで、かつての住所は、新潟県南魚沼郡だった。
なんじゃ、これは。
南海部と南魚沼。
「南の海」と「南の魚の沼」。いままで気がつかなかった。どちらにも名前の由来はあるのだろうが、九州と新潟なのに、よく似ているではないか。
ぼくたち夫婦がくっついたのは天命だったのか。これでいよいよ完全に目が覚めた。ならば、ペンネームは「南」が外せないという結論まで一直線。できたのは、実に安直というか、インパクトに欠けるものである。
次にタイトルは、「海」と「沼」のどちらにするか。
ここはやっぱり、「沼」ではなくて、「海」でしょう。それで、「海」のひと文字を入れることに決定。こちらも実に、なんの変哲もない、ありふれたタイトルになった。
その程度でしょうね、ぼくは。そう自分に話しかける。
だが、これで最後の課題は解決した。苦肉の策ではあるけれど、それなりに納得している。というか、受け入れている。
原稿の出来ははっきり言って、応募するのをためらうほどの幼稚なレベルである。審査する人に、とても読んでくださいと言えるものではない。でも、出すために書いたのだから、首尾一貫しなくては。
体調に合わせて、休んだり、ぶっ通しでパソコンに向かったりで、何度も、何度も、書きながら楽しませてもらった。次もやってみたい気持ちになっている。それが「元気の素」にもつながっていることも実感できた。
ふとんのなかにいるとき、「そうだ、エッセイの募集もあったな」と別の欲も出た。そこで、こんな書き出しのメモもした。
人が死んだら、片付けがはじまる。ぼくが死んだら、やっぱり、そうなる。
ここで止めた。この先をどうしようか。あなたなら、これから先の話の展開をどう料理するだろうか。
■この夏の異常な猛暑を生き抜いたカモたち。人間よりも強いのカモしれない。
その前にふとんのなかでスマホを取り出して、思いついたことをメモする。それは短編のタイトルとペンネームのこと。薄暗い部屋のなかで、あることに気がついたのである。
まず、ペンネームから行こうか。
舞台のイメージは波当津。この浦(このあたりでは、集落を浦と呼ぶ。)の住所は、いまは佐伯市だが、以前は、大分県南海部(あまべ)郡。
次に、カミさんの実家は越後の六日町から山の方に入ったところで、かつての住所は、新潟県南魚沼郡だった。
なんじゃ、これは。
南海部と南魚沼。
「南の海」と「南の魚の沼」。いままで気がつかなかった。どちらにも名前の由来はあるのだろうが、九州と新潟なのに、よく似ているではないか。
ぼくたち夫婦がくっついたのは天命だったのか。これでいよいよ完全に目が覚めた。ならば、ペンネームは「南」が外せないという結論まで一直線。できたのは、実に安直というか、インパクトに欠けるものである。
次にタイトルは、「海」と「沼」のどちらにするか。
ここはやっぱり、「沼」ではなくて、「海」でしょう。それで、「海」のひと文字を入れることに決定。こちらも実に、なんの変哲もない、ありふれたタイトルになった。
その程度でしょうね、ぼくは。そう自分に話しかける。
だが、これで最後の課題は解決した。苦肉の策ではあるけれど、それなりに納得している。というか、受け入れている。
原稿の出来ははっきり言って、応募するのをためらうほどの幼稚なレベルである。審査する人に、とても読んでくださいと言えるものではない。でも、出すために書いたのだから、首尾一貫しなくては。
体調に合わせて、休んだり、ぶっ通しでパソコンに向かったりで、何度も、何度も、書きながら楽しませてもらった。次もやってみたい気持ちになっている。それが「元気の素」にもつながっていることも実感できた。
ふとんのなかにいるとき、「そうだ、エッセイの募集もあったな」と別の欲も出た。そこで、こんな書き出しのメモもした。
人が死んだら、片付けがはじまる。ぼくが死んだら、やっぱり、そうなる。
ここで止めた。この先をどうしようか。あなたなら、これから先の話の展開をどう料理するだろうか。
■この夏の異常な猛暑を生き抜いたカモたち。人間よりも強いのカモしれない。
あんな小説を書けよ ― 2025年09月13日 14時45分

4時半、起床。今日もカミさんはがんばって出勤。こちらは頭がふーら、ふーら。倒れそうになって、見送るだけ。情けない。
短編はどうにか最終稿までたどり着いた。もう一度、チェックしてから、プリントアウトして、タイトルと400字1枚分のあらすじを書いて、ペンネームを決めればいい。
最初からタイトルを決めて書く方がテーマやコンセプトから逸脱しないし、物語の流れもつくりやすいのはわかっている。次回の反省点である。
書きながら、別のことも考えていた。
ずいぶん以前に、ブラジルにいる「西高3人組」のひとり、Na君から言われたことだ。彼は小学生のころ、母親が買ってくれた久保田譲治の子ども向きの小説をたくさん読んだという。おもしろくて、感動して、ものすごく影響を受けた、いまも忘れていないと言っていた。
その矛先がぼくに飛んできた。
「お前も、あんな小説を書けよ。書けるよ」
「児童小説を。おれ、記者だったからな。いろんな事件の取材もやったけど、小説は無理だよ。ルポとかならともかく。そんなの書けないよ」
だが、Na君の言葉はいまも頭の片隅から消えていない。彼の方がぼくの性格や得意なことをわかっているのかもしれない、いいところを突いているのかもしれないとおもうようになった。鋭い観察眼と独特のカンの持ち主で、ズバリ、核心を突くタイプなのだ。
ぐいぐい押し込んで来るところがある。言われてみるとそうなのかもしれないとおもってしまう。そして、Na君の言ったことは、ぼくのなかで少しずつ根を張っている。
どうも気になって、久保田譲治の文庫本・『風の中の子供』、『子供の四季』はさっそく読んだ。
でも、久保田は、久保田。ぼくは、ぼくだ。
書くことは自分に向き合うことだ。書き進めているうちに、もしかしたら、Na君があれほど強調した路線が自分に向いているかもしれないな、そう考えはじめた。
ほぼ書き上げた短編は、Na君が言っていた対象から、もう少し年上のジャンルになった。彼の得意げな顔が見えるようだ。駄作は棚に上げて、笑われてもいいから、読んでもらいたいなとおもっている。
応募しても落選は確実だが、そんなことはどうでもいいのだ。なんだか雲が晴れたような気分である。
ああ、あいつたちと飲みたいなぁ。
(この谷間を抜けたら、少しずつ元気になります。ご心配なく)
■ちいさな伝馬船の櫓を押して、夏休みに素潜りに行っていた波当津の海。水平線の上に白波が立っているところがいつもの岩場。海のなかの景色の方がきれいである。短編は、その思い出をベースに書いてみた。自分自身のために。
短編はどうにか最終稿までたどり着いた。もう一度、チェックしてから、プリントアウトして、タイトルと400字1枚分のあらすじを書いて、ペンネームを決めればいい。
最初からタイトルを決めて書く方がテーマやコンセプトから逸脱しないし、物語の流れもつくりやすいのはわかっている。次回の反省点である。
書きながら、別のことも考えていた。
ずいぶん以前に、ブラジルにいる「西高3人組」のひとり、Na君から言われたことだ。彼は小学生のころ、母親が買ってくれた久保田譲治の子ども向きの小説をたくさん読んだという。おもしろくて、感動して、ものすごく影響を受けた、いまも忘れていないと言っていた。
その矛先がぼくに飛んできた。
「お前も、あんな小説を書けよ。書けるよ」
「児童小説を。おれ、記者だったからな。いろんな事件の取材もやったけど、小説は無理だよ。ルポとかならともかく。そんなの書けないよ」
だが、Na君の言葉はいまも頭の片隅から消えていない。彼の方がぼくの性格や得意なことをわかっているのかもしれない、いいところを突いているのかもしれないとおもうようになった。鋭い観察眼と独特のカンの持ち主で、ズバリ、核心を突くタイプなのだ。
ぐいぐい押し込んで来るところがある。言われてみるとそうなのかもしれないとおもってしまう。そして、Na君の言ったことは、ぼくのなかで少しずつ根を張っている。
どうも気になって、久保田譲治の文庫本・『風の中の子供』、『子供の四季』はさっそく読んだ。
でも、久保田は、久保田。ぼくは、ぼくだ。
書くことは自分に向き合うことだ。書き進めているうちに、もしかしたら、Na君があれほど強調した路線が自分に向いているかもしれないな、そう考えはじめた。
ほぼ書き上げた短編は、Na君が言っていた対象から、もう少し年上のジャンルになった。彼の得意げな顔が見えるようだ。駄作は棚に上げて、笑われてもいいから、読んでもらいたいなとおもっている。
応募しても落選は確実だが、そんなことはどうでもいいのだ。なんだか雲が晴れたような気分である。
ああ、あいつたちと飲みたいなぁ。
(この谷間を抜けたら、少しずつ元気になります。ご心配なく)
■ちいさな伝馬船の櫓を押して、夏休みに素潜りに行っていた波当津の海。水平線の上に白波が立っているところがいつもの岩場。海のなかの景色の方がきれいである。短編は、その思い出をベースに書いてみた。自分自身のために。
恩師の命日に決めたこと ― 2025年09月11日 15時02分

昨日までに、短編はとりあえず最後の1行まで書いた。途中で筋書きを変えた。登場人物のキーマンをとうとうあの世に送ってしまった。よく使われる手だなぁ。
きょうも早くから目が覚めて、5時半に机に着く。新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われて、ふとんにUターン。いびきをかいていたらしい。からだは正直なものだ。無理をするなという信号だろう。
わかっていても、自分の方からなにか仕掛けていかないと、副作用のきつい1週間はなにもしないままになる。なんといっても、病いは「気」からだ。
また、昨日は恩師の田原先生の命日だった。
あれから13年の月日が過ぎた。そのときの顔写真入りの訃報記事の切り抜きは、机の上に置いてある。「葬儀・告別式は近親者ですませた」の文をみて、福岡市内の住所は知っていたが、線香を上げにお伺いしないままだった。
ぼくは先生が認めてくれた門下生を自負している。あんなにお世話になったのに、なんという恩知らずだろうか。ずっとこのことが引っかかっていた。
先生の墓参りをしたい。
でも、もしも、お墓が遠い場所だったら、こんなからだで大丈夫だろうか。強気と弱気が胸のなかを交互に駆けめぐる。
意を決して、スマホに登録しておいた娘さんに電話を入れた。非礼を何度も詫びて、先生が衆院選に初出馬したときからの関係を説明した。こころよくお墓の在所を教えてもらった。「あんなところまで。ありがとうございます」と言われた。
やっぱり、菩提寺は出身地の大分の国東半島の中腹あたりにあるお寺だった。先祖代々の墓という。
国東半島は学生時代に関心があって、関連の本も何冊か読んだ。それだけでは足りずに、バスを乗り継いで、歩きまわったところだ。古代から中世、近世にかけて、「六郷満山」と呼ばれる天台宗の仏教文化が花開いた半島で、見上げるような摩崖仏もある。
国宝の富貴寺大堂は小ぶりで飾り気のない、シンプルな構造だが、九州では唯一、現存する平安建築として、京都の平等院鳳凰堂、岩手県の平泉中尊寺の阿弥陀堂と並び称されている。
大学1年か、2年生の夏休みに行ったときは、まったく観光地の片りんも、その匂いもなくて、風雨にさらされっぱなしの木造の建物は、ひとりぽつんと静かだった。
田原先生の菩提寺はそこからそう遠くない。天台宗の後から勢力を伸ばした禅宗の由緒あるお寺らしい。
ぼくが青春時代に歩いた六郷満山の里から、恩師は飛び立っていたのだ、星雲の志を持って。何回目かの衆院選のときのスローガンは「愛郷無限」だったことをおもいだす。
現地まで高速を使って、片道178キロ、往復で356キロ。それほどたいした距離ではないが、山のなかに入る。軽四で、休みやすみ、ゆっくり運転するから、往復で8時間はかかるだろう。
体調のいいときは大丈夫。涼しい日を選んで、用心しながら、行けばいい。自信がある。やっと行ける。たのしみだ。
絶対に、行くぞ。
きょうも早くから目が覚めて、5時半に机に着く。新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われて、ふとんにUターン。いびきをかいていたらしい。からだは正直なものだ。無理をするなという信号だろう。
わかっていても、自分の方からなにか仕掛けていかないと、副作用のきつい1週間はなにもしないままになる。なんといっても、病いは「気」からだ。
また、昨日は恩師の田原先生の命日だった。
あれから13年の月日が過ぎた。そのときの顔写真入りの訃報記事の切り抜きは、机の上に置いてある。「葬儀・告別式は近親者ですませた」の文をみて、福岡市内の住所は知っていたが、線香を上げにお伺いしないままだった。
ぼくは先生が認めてくれた門下生を自負している。あんなにお世話になったのに、なんという恩知らずだろうか。ずっとこのことが引っかかっていた。
先生の墓参りをしたい。
でも、もしも、お墓が遠い場所だったら、こんなからだで大丈夫だろうか。強気と弱気が胸のなかを交互に駆けめぐる。
意を決して、スマホに登録しておいた娘さんに電話を入れた。非礼を何度も詫びて、先生が衆院選に初出馬したときからの関係を説明した。こころよくお墓の在所を教えてもらった。「あんなところまで。ありがとうございます」と言われた。
やっぱり、菩提寺は出身地の大分の国東半島の中腹あたりにあるお寺だった。先祖代々の墓という。
国東半島は学生時代に関心があって、関連の本も何冊か読んだ。それだけでは足りずに、バスを乗り継いで、歩きまわったところだ。古代から中世、近世にかけて、「六郷満山」と呼ばれる天台宗の仏教文化が花開いた半島で、見上げるような摩崖仏もある。
国宝の富貴寺大堂は小ぶりで飾り気のない、シンプルな構造だが、九州では唯一、現存する平安建築として、京都の平等院鳳凰堂、岩手県の平泉中尊寺の阿弥陀堂と並び称されている。
大学1年か、2年生の夏休みに行ったときは、まったく観光地の片りんも、その匂いもなくて、風雨にさらされっぱなしの木造の建物は、ひとりぽつんと静かだった。
田原先生の菩提寺はそこからそう遠くない。天台宗の後から勢力を伸ばした禅宗の由緒あるお寺らしい。
ぼくが青春時代に歩いた六郷満山の里から、恩師は飛び立っていたのだ、星雲の志を持って。何回目かの衆院選のときのスローガンは「愛郷無限」だったことをおもいだす。
現地まで高速を使って、片道178キロ、往復で356キロ。それほどたいした距離ではないが、山のなかに入る。軽四で、休みやすみ、ゆっくり運転するから、往復で8時間はかかるだろう。
体調のいいときは大丈夫。涼しい日を選んで、用心しながら、行けばいい。自信がある。やっと行ける。たのしみだ。
絶対に、行くぞ。
アビスパ・サポーターのこころは ― 2025年09月10日 11時17分

チャンスをものにできる人、モノにできない人がいる。だが、チャンスをモノにした人が、必ずしもその後の人生が順風満帆とは限らない。逆もおおいにある。むしろ、その方がふつうではないか。
現在、5時40分。カミさんの仕事は休み。疲労と心労が続いている。ゆっくり寝ていてもらいたい。こちらは行動開始だ。
今朝は、サッカー男子日本代表の強化試合「日本×アメリカ」がある。会場はオハイオ州コロンバス。日本の秋田市とほぼ同じの北緯40度にあり、現在の気温を調べてみたら、福岡市と同じ26度である。
ということは、わがアビスパ福岡の本拠地の気温と同じではないか。
あーあ、安藤智哉(26歳)がいたらなぁ。万能型のディフェンダーとして、せっかく日本代表に選ばれていたのに。それらしいオーラも発散するようになって、力強い言葉にも拍手を送っていたのに。
愛知県出身の無名の選手が4年間で、J3からJ2、J1のアビスパまで駆け上がり、リーグ戦の開幕から半年もたたないうちに日本代表に選ばれた。彼の試合をはじめて観た解説者たちもほめちぎっている。
日本代表ゼロのアビスパの肩身の狭さも吹き飛ばしてくれた、期待と希望の星なのだ。それなのに、渡米する直前の試合(清水エスパレス戦)で、脚をケガしてしまった。出場辞退はこの瞬間で、あっけなく決まり。本人の悔しさはいかばかりか。
熱心なアビスパ・サポーターのカミさんと共有する夢は、元アビスパの冨安健洋と安藤がワールド・カップの晴れ舞台で、両者並んでピッチに立っている雄姿である。
冨安もケガが完治していない。だが、彼には不動のポジションが用意されている。安藤はそうではない。ふたりのキャリアにも、評価にも、明らかな差があることは歴然としている。
だが、安藤のことを、「チャンスをモノにできなかった男」のひと言で片づけるのは、まだまだ早い。日本を背負う隠れた逸材を、目を皿のようにして探している森保監督も見捨てていないと思いたい。
アビスパを引っ張っている闘将・奈良竜樹もオリンピック出場は確実と見られていた。その彼もケガで離脱を余儀なくされた。そんな不運に泣いた男たちが這い上がっていく様子を、安藤もたくさん見てきたことだろう。
最後に、当たり前のことをひと言だけ。
それは、「プロの選手はすごい」ということだ。技術や体力だけではなく、一流選手が発するオーラもすごい。中日のユニフォームを着た現役の星野仙一と後楽園球場のロッカー裏の通路ですれ違ったことがあった。そのときの空気はビリビリふるえていた。とにかく、カッコいいのだ。
安藤の顔つきも、雰囲気も、以前とは一目瞭然に変わっている。有望選手だから、ほか球団が目をつけても不思議ではない。
アビスパは資金力が弱い。安藤自身、さらなる高みを目指して、移籍を重ねてきた経歴がある。注目されるのはうれしいけれど、心配のタネがまた増えた。
今日の試合の結果は、2-0で、日本代表の完敗。内容もよくなかった。あーあ、安藤が活躍するシーンを見たかったなぁ。
現在、5時40分。カミさんの仕事は休み。疲労と心労が続いている。ゆっくり寝ていてもらいたい。こちらは行動開始だ。
今朝は、サッカー男子日本代表の強化試合「日本×アメリカ」がある。会場はオハイオ州コロンバス。日本の秋田市とほぼ同じの北緯40度にあり、現在の気温を調べてみたら、福岡市と同じ26度である。
ということは、わがアビスパ福岡の本拠地の気温と同じではないか。
あーあ、安藤智哉(26歳)がいたらなぁ。万能型のディフェンダーとして、せっかく日本代表に選ばれていたのに。それらしいオーラも発散するようになって、力強い言葉にも拍手を送っていたのに。
愛知県出身の無名の選手が4年間で、J3からJ2、J1のアビスパまで駆け上がり、リーグ戦の開幕から半年もたたないうちに日本代表に選ばれた。彼の試合をはじめて観た解説者たちもほめちぎっている。
日本代表ゼロのアビスパの肩身の狭さも吹き飛ばしてくれた、期待と希望の星なのだ。それなのに、渡米する直前の試合(清水エスパレス戦)で、脚をケガしてしまった。出場辞退はこの瞬間で、あっけなく決まり。本人の悔しさはいかばかりか。
熱心なアビスパ・サポーターのカミさんと共有する夢は、元アビスパの冨安健洋と安藤がワールド・カップの晴れ舞台で、両者並んでピッチに立っている雄姿である。
冨安もケガが完治していない。だが、彼には不動のポジションが用意されている。安藤はそうではない。ふたりのキャリアにも、評価にも、明らかな差があることは歴然としている。
だが、安藤のことを、「チャンスをモノにできなかった男」のひと言で片づけるのは、まだまだ早い。日本を背負う隠れた逸材を、目を皿のようにして探している森保監督も見捨てていないと思いたい。
アビスパを引っ張っている闘将・奈良竜樹もオリンピック出場は確実と見られていた。その彼もケガで離脱を余儀なくされた。そんな不運に泣いた男たちが這い上がっていく様子を、安藤もたくさん見てきたことだろう。
最後に、当たり前のことをひと言だけ。
それは、「プロの選手はすごい」ということだ。技術や体力だけではなく、一流選手が発するオーラもすごい。中日のユニフォームを着た現役の星野仙一と後楽園球場のロッカー裏の通路ですれ違ったことがあった。そのときの空気はビリビリふるえていた。とにかく、カッコいいのだ。
安藤の顔つきも、雰囲気も、以前とは一目瞭然に変わっている。有望選手だから、ほか球団が目をつけても不思議ではない。
アビスパは資金力が弱い。安藤自身、さらなる高みを目指して、移籍を重ねてきた経歴がある。注目されるのはうれしいけれど、心配のタネがまた増えた。
今日の試合の結果は、2-0で、日本代表の完敗。内容もよくなかった。あーあ、安藤が活躍するシーンを見たかったなぁ。
早起きのライフスタイルへ ― 2025年09月09日 17時40分

今朝もカミさんに合わせて4時40分に起床。ふとんのなかにいるときも抗がん剤の点滴中で、ほとんど眠っていない。今月からカミさんの出勤日数が月の半分以上に増えた。だったら、こちらもそれに合わせた習慣を身に着けるのが自然の流れだろう。ライフスタイルを朝方に切り替える、そう決めた。
昨日の医者とのやりとりの主要な点を記しておく。
いつものように体調の変化を訊かれた。ひとつは舌がしびれて、味覚がわからなくなったことを告げた。これについては、「亜鉛を出しましす」との回答。
次に、相変わらず、頭がふらふらすること。「もしかしたら、脳の方に癌細胞がまわっているのではないか」と以前から恐れていたことをはじめて口にした。
医者の反応は、「うーん。まだ続くようなら、詳しい検査も考えましょう。でも、化学療法しか方法はないですよ」
その他、ぼくのほっぺたが饅頭のように膨れていることも話題にのぼった。原因は、薬に含まれているステロイドの影響ということだった。ふた月ほど前からはじまった足首と足の甲の腫れについては、よくわからないという。
こんな患者を来る日も、来る日も診察する医者にも、かなりストレスが溜まっているはず。外科部長の彼は、「(患者からは)絶対に、忙しくて、疲れているように見られないようにしています」という心構えの持ち主である。
次回の通院は2週間後の月曜日。3か月ぶりのCT検査だけを受ける。結果を聞くのは、その1週間後で、また点滴が待っている。
さて、早起きするようになって、原稿書きに向かう時間が格段に長くなった。
だが、2時間かけて書いた原稿がキーボードを打つミスで、アッという間もなく、画面から消えてしまった。応募要項をよくよく見直したら、指定されている原稿の枚数をまた感ちがいしていた。原稿をバッサ、バッサと削るどころか、もっともっと書き足さなくてはいけないことが判明した。バカみたい。どうかしている。
下手は承知の上だ。ここまで来たら、意地でもゴールしてやろう。やることのある方が、からだのために断然いい。長期戦に備えて求めていた「ふつうの生活」の形がようやく見えてきた。
昨日の医者とのやりとりの主要な点を記しておく。
いつものように体調の変化を訊かれた。ひとつは舌がしびれて、味覚がわからなくなったことを告げた。これについては、「亜鉛を出しましす」との回答。
次に、相変わらず、頭がふらふらすること。「もしかしたら、脳の方に癌細胞がまわっているのではないか」と以前から恐れていたことをはじめて口にした。
医者の反応は、「うーん。まだ続くようなら、詳しい検査も考えましょう。でも、化学療法しか方法はないですよ」
その他、ぼくのほっぺたが饅頭のように膨れていることも話題にのぼった。原因は、薬に含まれているステロイドの影響ということだった。ふた月ほど前からはじまった足首と足の甲の腫れについては、よくわからないという。
こんな患者を来る日も、来る日も診察する医者にも、かなりストレスが溜まっているはず。外科部長の彼は、「(患者からは)絶対に、忙しくて、疲れているように見られないようにしています」という心構えの持ち主である。
次回の通院は2週間後の月曜日。3か月ぶりのCT検査だけを受ける。結果を聞くのは、その1週間後で、また点滴が待っている。
さて、早起きするようになって、原稿書きに向かう時間が格段に長くなった。
だが、2時間かけて書いた原稿がキーボードを打つミスで、アッという間もなく、画面から消えてしまった。応募要項をよくよく見直したら、指定されている原稿の枚数をまた感ちがいしていた。原稿をバッサ、バッサと削るどころか、もっともっと書き足さなくてはいけないことが判明した。バカみたい。どうかしている。
下手は承知の上だ。ここまで来たら、意地でもゴールしてやろう。やることのある方が、からだのために断然いい。長期戦に備えて求めていた「ふつうの生活」の形がようやく見えてきた。
石破首相、ついに観念する ― 2025年09月08日 18時42分

昨日の日曜日に石破首相が退陣表明した。一夜明けて、今日の月曜日は総裁選の前倒しをやるかどうかの結論が出ることになっていた。各種の情勢分析によれば、前倒しの賛成数が多く、そうなると石破が退陣に追い込まれるのは確実視されていたという。
どんなにあがいてみても、解散するぞと脅してみても、このままでは間違いなくアウトである。総裁ともあろう者が、党内情勢の読みの甘さがもろに出て、あわや満座の前で大恥をさらすところだった。前日に急きょ、記者会見を開いて、それだけはやらずにすんだ。
こういうのも、「ぎりぎりセーフ!」というのだろうか。
以前、このブログで、彼についてこんなことを書いた。案外、外れていなかったのかもしれない。話のついでに、ちょっと再録しておこう。
石破茂が新しい総裁に決まったとき、「紙一重の差で、ラストチャンスをつかまえたけど、当たりくじではなく、貧乏くじを引いたなぁ」とおもった。味方が少ないのに、外からも内からも袋だたきにされて、いままでのツケを払うことになった責任重大なリーダーに対して、政治家としてどうのこうのではなく、こう見えても少しは同情しているのである。(2024.10.23)
参院選で惨敗して、退陣を迫られている石破首相が尊敬する政治家は石橋湛山という。優れたジャーリストの湛山は、総理総裁の椅子を手中にしてまもなく病に伏した。そして、あっさり自ら退陣した。わずか65日の短期政権だった。置かれている事情は異なるけれど、もし湛山だったら、どうしただろうか。
石破さん、わかっているよね。(2025.7.26)
これからの政局の焦点は、ポスト石破の一点に絞られる。またもや権力闘争のはじまりだ。
個人的には、いまの段階では、絶対的な本命はいないとみる。人気なんて、どう転ぶかわからない。ぼくのように覚めた目で眺めている人はたくさんいるだろう。
ぼくの記者時代と決定的に異なるのは、総裁選に臨む候補者たちの政治経験の差である。まぁ、毎度同じことを言っても仕方がないか。
個人的な見方になるけれど、現在、下馬評にのぼっている候補者のなかで、豊富なキャリアで比較するなら、旧宏池会で官房長官の林芳正、それに旧田中派の流れをくむ茂木敏充が控えているのだが。昔日の影は薄くなっているけれど、どちらも保守本流である。
五度目の挑戦で、やっと首相の椅子をつかえた石破は数々の敵をつくってきた。そして、この期に及んでも、石破は敵対する議員と腹を割って話を聞くことをしなかった。努力していると言いながら、命がけで体当たりしなかった結果がこれだ。
このブログは病院の化学療法室のベッドの上で、点滴を受けながら書いている。ぼくよりも年上の男性がいる。常連さんのようで、看護師さんとにぎやかに話をしている。笑い声も聞こえる。とても癌の人とは思えない。
ああいう人が元気をくれるんだろうな。
どんなにあがいてみても、解散するぞと脅してみても、このままでは間違いなくアウトである。総裁ともあろう者が、党内情勢の読みの甘さがもろに出て、あわや満座の前で大恥をさらすところだった。前日に急きょ、記者会見を開いて、それだけはやらずにすんだ。
こういうのも、「ぎりぎりセーフ!」というのだろうか。
以前、このブログで、彼についてこんなことを書いた。案外、外れていなかったのかもしれない。話のついでに、ちょっと再録しておこう。
石破茂が新しい総裁に決まったとき、「紙一重の差で、ラストチャンスをつかまえたけど、当たりくじではなく、貧乏くじを引いたなぁ」とおもった。味方が少ないのに、外からも内からも袋だたきにされて、いままでのツケを払うことになった責任重大なリーダーに対して、政治家としてどうのこうのではなく、こう見えても少しは同情しているのである。(2024.10.23)
参院選で惨敗して、退陣を迫られている石破首相が尊敬する政治家は石橋湛山という。優れたジャーリストの湛山は、総理総裁の椅子を手中にしてまもなく病に伏した。そして、あっさり自ら退陣した。わずか65日の短期政権だった。置かれている事情は異なるけれど、もし湛山だったら、どうしただろうか。
石破さん、わかっているよね。(2025.7.26)
これからの政局の焦点は、ポスト石破の一点に絞られる。またもや権力闘争のはじまりだ。
個人的には、いまの段階では、絶対的な本命はいないとみる。人気なんて、どう転ぶかわからない。ぼくのように覚めた目で眺めている人はたくさんいるだろう。
ぼくの記者時代と決定的に異なるのは、総裁選に臨む候補者たちの政治経験の差である。まぁ、毎度同じことを言っても仕方がないか。
個人的な見方になるけれど、現在、下馬評にのぼっている候補者のなかで、豊富なキャリアで比較するなら、旧宏池会で官房長官の林芳正、それに旧田中派の流れをくむ茂木敏充が控えているのだが。昔日の影は薄くなっているけれど、どちらも保守本流である。
五度目の挑戦で、やっと首相の椅子をつかえた石破は数々の敵をつくってきた。そして、この期に及んでも、石破は敵対する議員と腹を割って話を聞くことをしなかった。努力していると言いながら、命がけで体当たりしなかった結果がこれだ。
このブログは病院の化学療法室のベッドの上で、点滴を受けながら書いている。ぼくよりも年上の男性がいる。常連さんのようで、看護師さんとにぎやかに話をしている。笑い声も聞こえる。とても癌の人とは思えない。
ああいう人が元気をくれるんだろうな。
床屋談義のすすめ ― 2025年09月04日 21時18分

3か月ぶりに床屋に行った。前回、スポーツ刈りのように、うんと短く切ってもらったのがよかったので、きょうも馴染みの大将に、「思いきり、短くして」と頼んだ。
頭のてっぺんがハゲ山に近づいている。髪の毛を長く伸ばして、頭の側面からむりやりに引っ張って、カミさんの言葉を借りるなら、「すだれ満月」にするよりも、いっそのこと坊主頭にした方がいいとおもう。まぁ、好きずきだけど。
今日は床屋でよくしゃべった。相手の方はぼく以上だった。猛暑続きのこの夏は、部屋のなかに閉じこもることが多くて、人に会って話すことがなかった。その反動もあったのだろう。
ぴかびかの坊主頭の大将は、まずトランプを攻撃した。続いて中国の軍事パレードに顔をそろえた習近平、プーチン、金正恩の、大将いわく、「悪(ワル)の三人組」。標的は日本に舞い戻って、いまどきの政治家は小粒ばっかりで、頼りになりませんねとバッサリ。この話題については、ぼくの方がリードした。
世の中がこんなふうだから、なかなかいい話は出てこない。
続いて異常気象の話になった。「北極の氷がどんどん溶けて、もう元のように凍らんでしょ」。はい、その通り。同感、同感。
何を投げても、大将か、奥さんが打ち返してくれる。たかが床屋ふぜいとみくびったら、大間違いだ。もとより専門家ではないけれど、いろんなことを知っている。市井のちいさな情報にも詳しい。これだから床屋談義はおもしろい。
最後はぼくたちの懐ろを直撃している物価高の話になった。
「ラーメン一杯が1,000円なんて、食べに行けないですよ。ふつうで700円もするでしょ。わたしの頭のなかは、いまでも300円ですからね」
「そうだよね。値段が跳ね上がっているのが怖くてね。ラーメンも、庶民の味じゃあなくなったからなぁ」
「このあいだ回転寿司に行ったんですよ。そしたらシャリも、ネタもちいさくなっていて、あれも値上げですもんね」
「ある、ある。値段は変えないけど、量を減らしてね。どんどんちいさくなっているよね」
「びっくりしたのは、寿司の飯が、ふわっとしているんですよ。固く握っていないんです。箸でつまんだら、飯がぼろっと崩れて、ネタごと床に落ちたんです。そこまでやるか、ですよ。でも、温暖化で魚がとれなくなっているし、寿司屋もたいへんだとおもいますよ」
この大将は、いい意味での頑固者である。言っていることに筋が通っている。
頭も顔もすっきりして、料金を払うときの彼の言葉が痛快だった。
「うちのシニア料金はずっと1,470円。34年間、ただの一度も値上げはしていません!」
「偉い! ご立派! 開店以来のお付き合いだからなぁ。がんばってよ。お店をやめないでね」
職種 ・ 床屋(とこや)。
いかにも古めかしい名称だが、いつまでも残しておきたい言葉である。その意味を調べてみた。井上ひさしが推奨していた角川必携国語辞典によれば、、「男性の髪を切ったり、整えたりする店。理髪店。また、それを仕事にしている人」とある。
対象は、「オトコ」なのだ。この大将は、いまも「男の世界」に生きているのである。
トランプやプーチンたちに対して、ウソをつくな、男らしくないぞ、と言いたいその気持ち、同年配のぼくにはよくわかる。
この床屋さんは34年間も通い続けている、ぼくの隠れ家なのである。
■お父さん、早く、来て、来て。夕焼けがすごいよ。虹も出てるよ。
その声で、ベランダに出て、慌てて東の空の写真を撮った。みるみるうちに暗くなっていった。秋を感じた。
頭のてっぺんがハゲ山に近づいている。髪の毛を長く伸ばして、頭の側面からむりやりに引っ張って、カミさんの言葉を借りるなら、「すだれ満月」にするよりも、いっそのこと坊主頭にした方がいいとおもう。まぁ、好きずきだけど。
今日は床屋でよくしゃべった。相手の方はぼく以上だった。猛暑続きのこの夏は、部屋のなかに閉じこもることが多くて、人に会って話すことがなかった。その反動もあったのだろう。
ぴかびかの坊主頭の大将は、まずトランプを攻撃した。続いて中国の軍事パレードに顔をそろえた習近平、プーチン、金正恩の、大将いわく、「悪(ワル)の三人組」。標的は日本に舞い戻って、いまどきの政治家は小粒ばっかりで、頼りになりませんねとバッサリ。この話題については、ぼくの方がリードした。
世の中がこんなふうだから、なかなかいい話は出てこない。
続いて異常気象の話になった。「北極の氷がどんどん溶けて、もう元のように凍らんでしょ」。はい、その通り。同感、同感。
何を投げても、大将か、奥さんが打ち返してくれる。たかが床屋ふぜいとみくびったら、大間違いだ。もとより専門家ではないけれど、いろんなことを知っている。市井のちいさな情報にも詳しい。これだから床屋談義はおもしろい。
最後はぼくたちの懐ろを直撃している物価高の話になった。
「ラーメン一杯が1,000円なんて、食べに行けないですよ。ふつうで700円もするでしょ。わたしの頭のなかは、いまでも300円ですからね」
「そうだよね。値段が跳ね上がっているのが怖くてね。ラーメンも、庶民の味じゃあなくなったからなぁ」
「このあいだ回転寿司に行ったんですよ。そしたらシャリも、ネタもちいさくなっていて、あれも値上げですもんね」
「ある、ある。値段は変えないけど、量を減らしてね。どんどんちいさくなっているよね」
「びっくりしたのは、寿司の飯が、ふわっとしているんですよ。固く握っていないんです。箸でつまんだら、飯がぼろっと崩れて、ネタごと床に落ちたんです。そこまでやるか、ですよ。でも、温暖化で魚がとれなくなっているし、寿司屋もたいへんだとおもいますよ」
この大将は、いい意味での頑固者である。言っていることに筋が通っている。
頭も顔もすっきりして、料金を払うときの彼の言葉が痛快だった。
「うちのシニア料金はずっと1,470円。34年間、ただの一度も値上げはしていません!」
「偉い! ご立派! 開店以来のお付き合いだからなぁ。がんばってよ。お店をやめないでね」
職種 ・ 床屋(とこや)。
いかにも古めかしい名称だが、いつまでも残しておきたい言葉である。その意味を調べてみた。井上ひさしが推奨していた角川必携国語辞典によれば、、「男性の髪を切ったり、整えたりする店。理髪店。また、それを仕事にしている人」とある。
対象は、「オトコ」なのだ。この大将は、いまも「男の世界」に生きているのである。
トランプやプーチンたちに対して、ウソをつくな、男らしくないぞ、と言いたいその気持ち、同年配のぼくにはよくわかる。
この床屋さんは34年間も通い続けている、ぼくの隠れ家なのである。
■お父さん、早く、来て、来て。夕焼けがすごいよ。虹も出てるよ。
その声で、ベランダに出て、慌てて東の空の写真を撮った。みるみるうちに暗くなっていった。秋を感じた。
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