「角福戦争」と中曽根政権2021年03月22日 14時44分

 先に田中角栄と福田赴夫との「角福戦争」について少しふれた。「角」と「福」の戦い。見方によっては、組織運営の参考になる発想を秘めている。その視点に立って、当時の政界のエピソードを記しておこう。
 ぼくのもう一人の「政治の恩師」に政治評論家のIさんがいる。すでに鬼籍に入られたが、ときの有力政治家たちの知恵袋だった。取材にうかがうと、有名な砂場の蕎麦やうな重の出前をとってくれたりと、とてもかわいがってもらった。
 そのIさんが中曽根政権の誕生にまつわる秘話を教えてくれた。中曽根が田中角栄の後押しを受けて、鈴木善幸から政権を引き継いだときの裏話である。
 第一次中曽根内閣は、田中の懐刀の後藤田正晴を官房長官に据え、ロッキード裁判に批判的だった元警視総監の秦野章を法相にした。それまで内閣の大番頭の官房長官は、首相の派閥から出すのが不文律だったから、後藤田の起用は衝撃的だった。
 この露骨な人事は世間の反発を買い、マスコミも大々的に取り上げて、中曽根内閣のことを「直角内閣」とか「角影内閣」と呼ぶほどだった。こうしたこともあって、中曽根政権はスタートのときから短命説がつきまっていたのである。
 さて、ここからがIさんの内緒話になる。
 組閣の人事を固める前に、中曽根はIさんに会った。そして、次のような相談をしたという。その用件とは-、
 -佐藤栄作の長期政権の後、「三角大福中」の政争が続いて、みな短命内閣に終わった。田中には借りがあるし、後藤田の起用には腹をくくっている。だが、そうすると世間から袋叩きにあうのは目に見えている。自分の内閣は短命で終わりたくない。何かいい知恵はないだろうか-
 それに対して、政界随一の参謀と目されていたIさんの答えは明快だった。
 -「人事の佐藤」と呼ばれた佐藤元総理のやり方が参考になる。佐藤は福田と田中をカウンターパートナーとして使った。福田が蔵相のとき、田中は幹事長。福田も幹事長にしたし、田中も蔵相をやった。最後は、福田が外相、田中は通産相をしている。
 そうして、いつも同格で張り合わせることで、ふたりはお互いを意識して、自分の方があいつよりも上だ、次の総理にふさわしいのは自分だと汗をかくし、互いに牽制し合って、ときの最高権力者に歯向かうことはしない。福田と田中をカウンターパートナーとして扱ったことが、佐藤の長期政権の秘訣だ。
 だから、あなたも同じように、次の総理候補と衆目が認めるライバルふたりを起用して、常に同等の扱いで内閣や党の要職につけておいたらいい。そのふたりとは、同期当選組の竹下登と安倍晋太郎だ-
 中曽根は言われた通りにした。竹下蔵相、安倍外相のコンビは政権発足から3年半以上も固定され、最後は竹下幹事長、安倍総務会長のコンビで締めくくっている。どちらが上でも、下でもない。終始、カウンターパートナーの関係だった。
 これには後日談がある。ある席で、中曽根がIさんのところにやって来て、こう言ったという。
 「あなたの忠告通りに、竹下と安倍をカウンターパートナーとして使ったから、お陰様で長期政権の基盤ができました」
 もう少し説明しておくと、Iさんのいうカウンターパートナーとは、相対するふたりのバランスをとることが肝要で、どちらか一方が欠けると全体が壊れるという意味もある。次代を担う人材の中から、だれもが認めるライバル関係の実力者をふたり選び、いつも同列の要職のポストにつけて、甲乙つけがたい状態のままにして競わせることが政権の政策の実行と安定に寄与するという人事戦略だ。
 きょうは「角福戦争」のもうひとつの側面を書いた。歴史をひもとけば、こういう事例は散在しているとおもう。カウンターパートナーの考え方は、ひとつの組織運営術としても通用しそうである。

■写真は、オキザリスの花。鉢の土を捨てたところから芽が出て、かわいい花が咲いた。

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