冬眠カエル、新幹線に乗る ― 2022年03月02日 11時54分

春、三月。今日は朝から快晴。こたつ布団を片づけたら部屋がすっきりして広くなった。ついでに敷き布団も干す。
いまごろ団地のあちこちのベランダには布団や毛布が垂れ下がっていることだろう。高級マンションではご法度だが、ここは庶民たちの生活の場。ときどき風で飛ばされた女もののパンツが道の脇に落ちている。見てはいけないものを、見てしまったような気がして、ドキリ!とする。まぁ、たいがいはオバンパンツではあるが。
ぼくはこのブログを書いた後、散文の続きにとりかかる。何としても今月半ばまでには書き上げて、どこかの懸賞に応募するつもりだ。書いたからには外へ出さねば。それが記者時代からの習性である。懸賞狙いなどという身の丈知らずの行為ではなく、自分に課すケジメといったところか。
さて、先日テレビを見ていたらカエルが出てきた。交尾のシーンがあって、オタマジャクシの群れになるまで映していた。
カエルにはいろんな思い出がある。
正月休みが終わり、小倉駅から新幹線で東京に戻る車中でのことだった。通路側の席の足もとに置いていた荷物のまわりに、いつの間にか水溜りができていた。小さな池はだんだん大きくなって、ついに形が崩れた。流れはじめた水の舌先は車体の振動に合わせるように床をはって後ろの方へと伸びて行く。通路にできた細い川の流れは止まらない。
具合の悪いことに乗車率は100%強である。立っている人もいる。不思議な水の流れをたどって、乗客たちの目がぼくに届く。こうなると対案はひとつしかない。首をがくんと折って、タヌキ寝入りを決め込んだ。
車掌さんも、乗り合わせた皆さんも、まさに知らぬが仏で、この水、食用カエルの小便だった。九州出身の編集部の大先輩から頼まれて大量のカエルたちを運んでいたのだ。いきさつはこうである。
「おい、正月休みに九州へ帰るんだろ。あのな、冬はな、カエルがうまいんだ。お前、食ったことがあるか」
「いいえ、食べられるのは知っていますが、まだ食ったことはありません」
「うまいぞ。俺はトリよりもカエルの方が好きだな。そこでだ、お前に頼みがある。実はな、田舎の兄貴に冬眠中のカエルを獲ってくれと頼んでいる。そいつを小倉駅で受け取って、新幹線で持って来てくれないか」
ぼくは二つ返事で了解した。小倉駅の改札口で受け取った荷物はずっしり重かった。ビニール袋で厳重に包装されているので中身は見えないが、とても五匹や六匹ではない。10リットルのバケツいっぱいに、生きたカエルたちが詰め込まれている、そんな感じだった。
暗い穴倉の中でじっと冬眠しているところを、突然手づかみで御用となった気の毒な奴らである。カエルたちには降って湧いたような災難だが、この獲り立てほやほやの自然の味を待ち構えている先輩がいる。ぼくは珍しい土産を手にしている気分で車中の人になっていたのである。
埼玉の浦和駅からタクシーを飛ばして、先輩の自宅まで荷物を届けに行った。何重にも包まれたビニール袋を開けると、茶色と緑が混じったグロテスクなカエルたちが眠たそうな目をしていた。その姿を見て、まぁ、先輩のよろこんだこと。
「よし、いまからさばいて鍋にするから、お前も食って行け」
食用カエルを食べたことのある人はご存じのように、カエルの肉はくせがなく、淡泊な中に甘みがある。骨は細いので、からだの大きさの割には肉の量がある。あの鍋は本当にうまかった。
この先輩は経済部の名物記者で、ぼくたち夫婦が結婚したとき、旅行会社に手をまわして新婚旅行を手厚く応援してくれた。週刊誌の記者を辞めて、東京をはなれるときには、銀座にも連れて行ってもらった。そのとき福岡でゼロからスタートする心構えとして、こんな言葉をいただいた。
「東京風を吹かすな。これだけは気をつけろ。嫌われないようにな」
その忠告を守って、ぼくは政治も、事件も、スポーツも、新しい職場で東京時代の話はほとんどしなかった。いまでもそうしてよかったとおもっている。
■室見川の沿いの公園にツグミがいた。以前は団地のなかにもよく飛んで来たが、この冬は一羽も見かけなかった。昔の本にはツグミを獲って食べる話が出ていた。これもカエルと同じように、田舎の暮らしに根づいた食文化のひとつだとおもうのだが、野鳥たちは法律で守られ、いまはそんな文章を書く作家もいなくなってしまった。
いまごろ団地のあちこちのベランダには布団や毛布が垂れ下がっていることだろう。高級マンションではご法度だが、ここは庶民たちの生活の場。ときどき風で飛ばされた女もののパンツが道の脇に落ちている。見てはいけないものを、見てしまったような気がして、ドキリ!とする。まぁ、たいがいはオバンパンツではあるが。
ぼくはこのブログを書いた後、散文の続きにとりかかる。何としても今月半ばまでには書き上げて、どこかの懸賞に応募するつもりだ。書いたからには外へ出さねば。それが記者時代からの習性である。懸賞狙いなどという身の丈知らずの行為ではなく、自分に課すケジメといったところか。
さて、先日テレビを見ていたらカエルが出てきた。交尾のシーンがあって、オタマジャクシの群れになるまで映していた。
カエルにはいろんな思い出がある。
正月休みが終わり、小倉駅から新幹線で東京に戻る車中でのことだった。通路側の席の足もとに置いていた荷物のまわりに、いつの間にか水溜りができていた。小さな池はだんだん大きくなって、ついに形が崩れた。流れはじめた水の舌先は車体の振動に合わせるように床をはって後ろの方へと伸びて行く。通路にできた細い川の流れは止まらない。
具合の悪いことに乗車率は100%強である。立っている人もいる。不思議な水の流れをたどって、乗客たちの目がぼくに届く。こうなると対案はひとつしかない。首をがくんと折って、タヌキ寝入りを決め込んだ。
車掌さんも、乗り合わせた皆さんも、まさに知らぬが仏で、この水、食用カエルの小便だった。九州出身の編集部の大先輩から頼まれて大量のカエルたちを運んでいたのだ。いきさつはこうである。
「おい、正月休みに九州へ帰るんだろ。あのな、冬はな、カエルがうまいんだ。お前、食ったことがあるか」
「いいえ、食べられるのは知っていますが、まだ食ったことはありません」
「うまいぞ。俺はトリよりもカエルの方が好きだな。そこでだ、お前に頼みがある。実はな、田舎の兄貴に冬眠中のカエルを獲ってくれと頼んでいる。そいつを小倉駅で受け取って、新幹線で持って来てくれないか」
ぼくは二つ返事で了解した。小倉駅の改札口で受け取った荷物はずっしり重かった。ビニール袋で厳重に包装されているので中身は見えないが、とても五匹や六匹ではない。10リットルのバケツいっぱいに、生きたカエルたちが詰め込まれている、そんな感じだった。
暗い穴倉の中でじっと冬眠しているところを、突然手づかみで御用となった気の毒な奴らである。カエルたちには降って湧いたような災難だが、この獲り立てほやほやの自然の味を待ち構えている先輩がいる。ぼくは珍しい土産を手にしている気分で車中の人になっていたのである。
埼玉の浦和駅からタクシーを飛ばして、先輩の自宅まで荷物を届けに行った。何重にも包まれたビニール袋を開けると、茶色と緑が混じったグロテスクなカエルたちが眠たそうな目をしていた。その姿を見て、まぁ、先輩のよろこんだこと。
「よし、いまからさばいて鍋にするから、お前も食って行け」
食用カエルを食べたことのある人はご存じのように、カエルの肉はくせがなく、淡泊な中に甘みがある。骨は細いので、からだの大きさの割には肉の量がある。あの鍋は本当にうまかった。
この先輩は経済部の名物記者で、ぼくたち夫婦が結婚したとき、旅行会社に手をまわして新婚旅行を手厚く応援してくれた。週刊誌の記者を辞めて、東京をはなれるときには、銀座にも連れて行ってもらった。そのとき福岡でゼロからスタートする心構えとして、こんな言葉をいただいた。
「東京風を吹かすな。これだけは気をつけろ。嫌われないようにな」
その忠告を守って、ぼくは政治も、事件も、スポーツも、新しい職場で東京時代の話はほとんどしなかった。いまでもそうしてよかったとおもっている。
■室見川の沿いの公園にツグミがいた。以前は団地のなかにもよく飛んで来たが、この冬は一羽も見かけなかった。昔の本にはツグミを獲って食べる話が出ていた。これもカエルと同じように、田舎の暮らしに根づいた食文化のひとつだとおもうのだが、野鳥たちは法律で守られ、いまはそんな文章を書く作家もいなくなってしまった。
コメント
_ 大高典文 ― 2022年03月16日 15時04分
水の舌先始めて聞く表現に感動です。
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