芋と政治家のいい関係2022年10月07日 11時04分

 小腹が空いたので、サツマイモ(紅あずま)をレンジでチン! 火傷(やけど)しそうなぐらい熱いところを両手の指先で二つに割ったら、きれいな黄色でしっとりしていた。
 おぅ、こいつはいいぞ、当たりだな。
 サツマイモは猿と同じように、みなさん手でつかんで食べる。姿かたちは見るからに田舎育ちの容貌で、どこかノスタルジックな素朴さがある。どんなお偉いさんでも、芋の前では威張ってもしようがない。今日はそんな話を書いておく。
 ときは福田赳夫と大平正芳が自民党総裁選でしのぎを削っていたころ。大平を支持する田中軍団は、大票田の東京を中心に投票権を持つ自民党の党員に対して、戸別訪問のローラー作戦を敢行した。
 こんなことができたのは田中派だけだった。党本部が管理していた党員名簿をごっそり持ち出したのだ。当然のことながら大問題になった。
 怒りがおさまらないのは、大平に負けた福田派の面々。なかでも福田派の別動隊と言われていた中川一郎氏は、田中派のプリンス・竹下登氏を名指しで非難した。
 どちらもニューリーダーとして将来を嘱望されていたライバル同士で、仲がよかったふたりの関係は修復不能なほどこじれてしまった。
 そのことを心配したのが、このブログで取り上げたこともあるDさん。中川氏、竹下氏とも親しい間柄で、政界の人物を観る目には定評があり、政局の舞台裏の事情にも通じた知慮の人である。
 Dさんがぼくに教えてくれた話では、ある晩、彼は赤坂の料亭に中川氏と竹下氏を招いたという。それも別々に声をかけた。つまり、呼ばれた両者ともケンカの相手が同席することを知らないままだった。
 予想した通り、中川氏と竹下氏は料亭の部屋でむっつりしたまま。
 そこへ料理の一皿が運ばれてきた。皿に盛られていたのは、うっすら湯気を立てている数個のふかし芋。ただそれだけで、ビールも、酒もなし。
「まぁ、今夜は酒はなしで、芋でも食べましょう」
 年長のDさんに言われて、両人とも意表を突かれたようだった。
「ほう、芋ですか。こいつは珍しい、久しく食べていないなぁ」
「それにしても、芋とはねえ」
 中川氏は北海道生まれの九大農学部卒。竹下氏は島根県出身の早大卒で、若いころは地元の青年団に所属して、県議からのたたきあげ。
 ふたりは芋にかぶりついた。そして、目を見合わせたとたん、どちらとも笑い出した。
 これで一気にその場の空気が変わったという。Dさんの狙いは当たった。
「あのふたりをいつまでもケンカ別れさせておくわけにはいかないからね。ああいうときは酒じゃないんだよ。だから芋を用意させたんだ。芋を食いながら、ケンカする人はいないからね」
 中川氏と竹下氏の両雄の対立は政界の注目を集めていたが、この夜を境に元の間柄に治まった。
 ニューリーダーの手打ちには、こんな陰の立役者もいたのだが、赤坂の料亭で芋を食べた話はウワサにもならなかった。
 あのころの政界には、次代を担う人物だと衆目が認めるスターが何人もいた。そして、彼らの背後には、Dさんのような懐の深い名参謀もいたのである。
 芋ひとつで、人のこころを軽々と転換させる人がいた。だが、眼を凝らしてよく観れば、広い世間には、ハンカチひとつ、味噌汁の椀ひとつ、言葉ひとつで、人のこころを動かす名もない人が大勢いる。

■椿の実の固い皮が乾いて、はじけて、なかの種子がこぼれ落ちそうになっている。子どもころは「かたし」と呼んでいた。いまごろ山栗の実もこうなっているのだろうな。

地獄の釜の蓋(ふた)が開いた2022年10月11日 09時32分

 7月8日、奈良市で起きた安倍晋三元首相の狙撃事件が旧統一協会(現世界平和統一家庭連合)と政治家たちの黒い関係をあぶり出して、岸田政権を直撃している。
 同じようなことが過去にもあった。地獄の釜の蓋が開いたのだ。
 ときの権力者にすり寄って、自己の欲望を満たそうとするものがいる。すり寄ってくる相手を利用してやろうという政治家もいる。もちろん、そこにはおいしい貢ぎ物が待っているし、その見返りも用意されている。持ちつ持たれつの関係だから、保身のための口の固さはお互いさまで、しっぽも出さないし、まずバレることはない。
 ところが、ある日突然、その密室をふさいでいる蓋がパカリと開く。なかをのぞいたら、いるわ、いるわ、甘い蜜を吸っている者たちが。
 あのロッキード事件がそうだった。記者時代に、当時の騒動を「地獄の釜の蓋が開いた」と例えていたものだ。今回の旧統一教会と一部国会議員たちの関係もこの言葉を連想させる。
 歴史は繰り返すという。そこで、過去の歴史を少しおさらいしておく。
 ロッキード事件が白日の下にさらされたのは1976年(昭和51年)2月。事件の内容は省略するが、これに関与した顔ぶれが人々の度肝を抜いた。
 逮捕されたのは、当時の最大権力者だった田中角栄前首相、橋本登美三郎元自民党幹事長、佐藤孝行運輸政務次官。時効成立で起訴されなかった、いわゆる灰色議員には二階堂進、福永一臣、加藤六月、佐々木季世などがいた。
 さらに全日空と丸紅のトップや幹部たち、右翼の超大物だった児玉誉士夫や田中角栄の刎頸(ふんけい)の友・国際興業社主の小佐野賢治も逮捕、起訴された。
 地獄の釜の蓋を開けてみたら、庶民とはかけはなれた著名な人物たちがウヨウヨうごめいていたのだ。しかも、このロッキード事件の奥には、まだ隠されている本丸の疑惑があって、それは軍用機のP3Cをめぐるもっと大規模な贈収賄事件だとささやかれていた。しかし、その固く閉ざされた地獄の蓋はとうとう手をかけられないままだった。
 1988年(昭和63年)6月に発生したリクルート事件もそうだった。
 江副浩正リクルート前社長がリクルートコスモスの未公開株を政治家や財界人たちに譲渡したもので、藤波孝生元官房長官らが起訴された。藤波は近い将来の総理総裁は間違いなしと言われていたが、この一件で完全に政治生命を絶たれてしまった。
 このときの未公開株をもらった顔ぶれもすごかった。
 当時のポストは省くが、政治家では中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、小淵恵三、安倍晋太郎、渡辺美智雄、橋本龍太郎、梶山静六、加藤紘一、森喜朗、野田毅など。まるで自民党のオールスターである。
 官僚では、高石邦夫前文部事務次官ほか。経済界からは真藤恒や牛尾治朗、諸井虔といった論客たち、日経新聞の森田康社長までいた。
 名高い学者の公文俊平の名前が出たときには、みんな金には困っていないだろうに…とあきれ果て、良識という壁が音を立てて崩れ落ちたようで、日本沈没かとおもった。
 リクルート事件が発覚したのは、川崎駅西口の再開発における便宜供与を目的として、川崎市助役へ株を譲渡した事実を朝日新聞がスクープしたから。このことがなければ、人々の尊敬を集めたまま生涯を終えられた人もいただろうに。
 そして、今回の旧統一教会をめぐる異常な事態である。
 旧統一協会との接点が確認されている国会議員は、岸信介、安倍晋三、細田博之、山際大志郎のほか、自民党議員だけでも180名にのぼる。故人の元首相がふたり、現職の衆院議長と経済再生大臣をはじめ、こんなに大勢いたのだ。もはや政界汚染、と言っていい。
 ここでも、こんな事実関係がバレるまで、ぼくたちは何も知らないままだった。
 だから疑ってしまうのだ。地獄の釜の蓋はもっとあるに違いないと。

■朝方、近くの室見川の遊歩道を散歩した。そこへ流れ込む小さな支流に架けられている橋の手すりの部分にカタツムリがいた。
 おい、お前は何を知っているのかな。
 スマホを片手に歩いていると、いろんなものが目に入ってくる。

習慣は、力なり2022年10月30日 17時25分

 しばらくブログを書かなかった。理由は自覚している。ひと言でいえば、ブログを書く習慣がきちんと身についていないのだ。
 ひと昔前、ベストセラーになった『七つの習慣』をはじめ、『習慣』と銘打った本が乱発されたことがあった。だが、いくらそんな本を読んだからといって、効果てきめんにいい習慣が身に着くものではない。だからこそ、この種の本がいつまでも売れるのだろうが。
 さて、主夫業をやっているぼくの習慣のひとつに、朝刊に挟まれている近隣のスーパーのチラシのチェックがある。先着100名様限り、といった目玉商品もあるから、朝のうちに特売品を見つけておくのだ。
 たまご、マヨネーズ、サラダ油、しょうゆ、お茶漬け、米、パン、コーヒー、ツナ缶、洗剤、ラップ、それから肉類、野菜、冷凍食品、おすすめの惣菜などに、ぼくの目は走る。どこがいちばん安いかも比較する。そして、冷蔵庫や収納ケースのなかの在庫もチェックしておく。
 チラシを見ながら、頭の片隅では晩ご飯の献立を考えている。特売品で、その日の夜のメニューが決まるときもある。そんなときは安上がりでよかったとうれしくなる。これでもそれなりに頭を使っているんだよね。
 ところが、である。最近、その頼りのチラシに異変が生じた。
 わが家の近くには、食品スーパーは3軒あるのだが、そのすべてが申し合わせたように新聞の折り込みチラシを止めてしまったのだ。いまのご時勢だから、スーパーにも大手メーカーからの値上げの通告が押し寄せているに違いない。薄利多売のスーパーにとって、チラシ代の経費削減は止むを得なかったのだろう。
 財布を預かる主夫として、いちばんの関心事は、やはり諸物価の値上がりに尽きる。
 実感として、1万円札の価値はガクンと落ちたとおもう。そもそも消費税が8%、10%なのだから、1万円の実質的な価値は9千円ほどしかないのだ。福沢諭吉も、樋口一葉も、野口英世も、アッという間に財布から消えてしまい、1万円札が7、8千円の値打ちしかないような感じすらする。
 いまの日本は、年収300万円(手取りでは約240万円)以下の所得層が全体の約4割を占めている。その人たちの気持ちはよくわかる。日本中からお金のやりくりに苦労しているため息が聞こえてきそうだ。
 ぼくたちの日々の生活に密着したミクロ経済がこのありさまである。そこへもってきて、ロシアのウクライナへの侵略戦争や急激な円安の影響などで、いよいよマクロ経済も怪しくなってきた。
 どうしてこんなことになってしまったのか。おもわず「犯人探し」をやりたくなる。
 まったくの私見だが、そこには「目に見えない犯人」として、「習慣化」の影響もあるのではとおもう。
 いちばんの習慣化は、不況時の対策は財政出動の一点張りで、何十年も続いている赤字国債の大量発行にすっかり慣れてしまったこと。すでに国の借金は1,000兆円を超えている。もはや「儲かったら返します」という楽観的な段階はとっくに過ぎた。
 アベノミクスと歩調を合わせる黒田日銀になってからは、財政出動に超低金利政策も加わった。どんなに赤字国債を発行しても、超低金利だし、しかも日銀が文句も言わずに買い取ってくれるから、もうやりたい放題である。
 故安倍晋三元首相が「日銀は政府の子会社です」と、とんでもないことを言ってのけたのは、彼の本音だろう。専門家のなかにも「日本国民の預貯金は巨額ですから、赤字国債はいくら発行しても大丈夫です」と断言する人もいる。
 ちょっと待ってくれよ。先の大戦中にもいたよな、「それ行け、どんどん」という手合いが。
 習慣化もここまで来れば、もはや固定化というほかはない。そして固定化は柔軟な思考を封じて、いつかは破綻する。その先に待っているのは、手を替え、品を変えての「増税」というしっぺ返しか。
 習慣化にも良し悪しがある。停止されたスーパーのチラシの背後には、見たくもないこんな景色がちらほら見えていたようにおもう。

■口直しに、ほんわりした景色をひとつ。ヨモギの葉っぱの上で、人目もはばからずに、ちいさな蝶のカップルがラブラブしている。スマホを接近しても、おふたりは取り込み中のようで、じっとしたまま。恋の邪魔だてをしては怒られそうだから、そっと2回だけシャッターを押して、立ち去ることにした。