用心のためにやりましょう2023年05月12日 11時03分

 先日の朝8時過ぎ、少し早めに自宅を出て、2週間ぶりに病院に行った。前回に続いて、抗がん剤の点滴を受けた。手術はうまくいったのに、また抗がん剤を打たれる。ほかの病気と違うところである。
「再発の可能性があるので、用心のためにやりましょう」
 昨年11月の初診のときの医師の話がずっと胸に刺さったままだ。
 「再発の可能性」、「用心のために」という言葉に、この病気の特徴があますところなく込められている。同じ目に遭っている人なら、逃げ出したくなるほど身にしみておわかりだろう。
「手術で目に見えるがんはぜんぶ取っても、目に見えないがん細胞はまだ残っている可能性があります。いつ、どこで再発するかわかりません。ですから、手術が終わった後も、抗がん剤でまだ残っているかもしれないがん細胞をたたくことをお勧めします。でも、それでも再発する人もいます。しない人もいます。よろしいですか」
「ぜひ、お願いします」
 あのとき、こんなやりとりがあった。その後も繰り返し言われた。
 医者の説明は文句のつけようがない、ごくまともな話である。
 いつかは発がんのメカニズムも解明されて、予防医学が確立される日も来るのだろうが、それがいつのことか、さっぱりわからない。だが、世の中、先がわからないのは当たり前のことで、何もかもわかって都合よく生きたいなんて、夢のようなおめでたい注文なのだ。そもそも最初から答えのわかっている人生なんて、何のために生まれてきたのかわからないではないか。
 (うん。このあたり、だんだん風のひょう吉らしくなってきた)
 それにしても「病は気から」とはよく言ったものだ。再発防止の抗がん剤治療が始まってから、「よし、やるぞ」という気持ちになって、そのせいか、ぼくの体調はこれまでにないペースで回復してきた。
 腹の傷の痛みはまだとれないが、それでもだいぶ痛みを飼い慣らして、縦に18センチもある生々しい傷跡も、からだの一部として同化してきた感がある。
 抗がん剤を打たれても、いまのところ何ともない。だるくもならないし、吐き気もしない、食欲も落ちない。しかし、この先半年も、1年も続くとなると、どんな副作用が出てくるか、これもまたわからない。
 カミさんは、「お父さん、頭がハゲたら、ハゲが見えないように、すっぽり隠せる帽子を買ってあげるね」、なんて言っている。
 そんなところまで、よく気がつくなぁ。でも、もしかしたら、ぼくのハゲ頭を見てみたくて、あんなことを言ったのだろうか。
 ここまで触れなかったが、初診のときの医師はぼくが退院した後に転勤して、彼の上司である外科医が新しい担当になった。この人こそ、ぼくの手術のリーダーで、腹を開いて、ぜんぶのがんを切り取ってくれた当人である。
 初めて会ったときも、初対面の気がしなかった。ここでは「頼りになる、いい医者にめぐり会えた」とだけ書いておこう。
 さぁ、新しいチームで、再発防止の長い戦いがはじまった。担当医は「××さんは、手術ができただけでも幸運ですよ」と言っている。
 その言葉も、この胸の奥にしっかり抱きしめて歩いて行きたい。

■散歩の途中、妙なところに置いてある白い棒が目に入った。
 なにかな? スマホを取り出してシャッターを押した。すると、この白い棒はひとりで右に傾いて、また元に戻った。ひと呼吸おいて、小さな三角形が二つ出てきた。
 そっと忍び寄って、のぞいてみた。
 白い棒はニャンコの右の前脚だった。三角形は耳だとわかった。右脚をまっすぐ上に伸ばして、白いお腹をていねいになめていたのだ。そのまましばらく、ぼくらはじっと見つめ合った。

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