本の処分に悩む ― 2023年08月10日 17時47分

沖縄の周辺を何日ものろのろ、うろちょろしていた台風6号がここ福岡でも強風と本降りの雨でひと暴れして、ようやく過ぎ去った。今度は7号が日本列島に近づいている。
台風の当たり年になったら嫌だなぁ。カミさんが働きに出ていて、食品などの買い物はぼくがやっているから、毎日の食事に欠かせない野菜まで値上がりすると困ってしまうのだ。主婦のみなさんの気持ちが肌身でわかるようになってきた。ため息の出るときもあるが、それだけ見る目が多角的になったということだろう。
「さてと、気分転換に、本屋にでも行くか」
雨が上がったので、一発気合いを入れて、歩いて10分ほどのブックオフに行って来た。目当ては1冊110円の文庫本である。ラッキーなことに、お盆セールの初日で、全商品が2割引きだった。とくに欲しい本はなかったけれど、よく読まれていそうな本を3冊買った。
新古本とでも言うのだろうか、みな新品同様にきれいである。裏表紙を見たら、570円、470円、370円の値札の上に、110円の札が貼ってある。賞味期限切れが迫った食品を安値で販売しているスーパーのお買い得コーナーのようなものだ。
数年前は、ぼくがゴーストライターで書いた単行本も110円均一の棚に並んでいた。ページをめくったら、ところどころにボールペンの黒い線が引いてあった。曲がりくねった乱暴な線だった。すぐ閉じて棚に戻した。
こんな商売が成り立つのだから、世間には本の処分に困っている人がゴマンといるらしい。ぼくもここ2年ほどの間に600冊から700冊ぐらい廃品回収に出した。古本屋に持って行っても買ってもらえないのだから、泣く泣くそうするしかなかった。それでもまだ借りている貸倉庫のなかだけでも2,000冊ほどある。
倉庫代がもったいないし、カミさんには「とっておいても、もう読まないでしょ」と冷たく言われるし、どうして処分するか、考えたくもないことでずっと悩んでいる。
本が増えるのは仕方のないことだった。さまざま人を取材して原稿を書いていたから、それらのテーマに関する知識がどうしても必要になる。そこで、テーマが決まると、あの立花隆さんのやり方を見習って、入門書を1冊とより詳しく書かれた本を2冊買って、やっつけ勉強をしていた。テーマはそのときどきで変わるから、本も雑誌もどんどん増えて行った。編集ライター稼業の宿命のようなものである。
80年代のはじめ、福岡に転居してきたころの東京と地方都市の情報格差はとてつもなく大きかった。
書店もそうだった。大手企業が密集している東京・丸の内にあった書店と福岡・天神のそれとでは、とりわけビジネスマンを対象にした本の品ぞろえがまるで違っていた。
東京にいるときには気がつかなかったけれど、福岡市にはないビジネス関係の本がいろいろ山積みされていた。「この本は会社の研修で読んだな。とても参考になったね」と連れに話しかけているサラリーマンの声も耳にしたことがある。
横からそっとのぞくと、その本の筆者の名前をぼくは知らなかった。これはいかんと焦った。中央と地方の情報格差の現実を前にして、「都落ち」という言葉の苦い味を噛みしめたのは二度や三度ではない。
最後に、本にまつわる忘れられない話をもうひとつ。
高校時代の友だちの父親は難関の一流国立大学卒とかで、学生時代に試験が終わったら、「ぜんぶ頭に入っているから、もうこの本も、この本も要らんわい」と言って、授業で使っていた本をぽんぽん池に投げ捨てたという。
本を手にするとき、よくこの話を思い出す。
当方はお恥ずかしい次第で、読む端から忘れてしまう。それも処分しきれない要因で、買い集めた本の内容を聞かれたら、何も答えられずに黙ってうつむくしかない。
本棚に収まり切れずに、ホコリをかぶっている本たちを見ながら、あの友だちのオヤジサンのアタマがオレにもあったらなぁと、何度おもったかしれない。
■長男に、待望の子どもが生まれてくるとわかって、とっておいた本の行き場がひとつ見つかった。処分しないでよかった、そう勝手に決め込んでいる。
その本とは毎月2冊ずつ刊行されていた岩波書店の世界児童文学集(全30巻)。ふたりの息子によれば、「だって子どもころは本しかなかったもん」ということらしいが、兄弟仲良く、何度も繰り返し読んでいた。
でもなぁ、あのころはスマホも、ゲームもなかったからなぁ。はたして生まれてくる子はおもしろがって読んでくれるだろうか。
同じように孫を育てる自信はまったくありません。
台風の当たり年になったら嫌だなぁ。カミさんが働きに出ていて、食品などの買い物はぼくがやっているから、毎日の食事に欠かせない野菜まで値上がりすると困ってしまうのだ。主婦のみなさんの気持ちが肌身でわかるようになってきた。ため息の出るときもあるが、それだけ見る目が多角的になったということだろう。
「さてと、気分転換に、本屋にでも行くか」
雨が上がったので、一発気合いを入れて、歩いて10分ほどのブックオフに行って来た。目当ては1冊110円の文庫本である。ラッキーなことに、お盆セールの初日で、全商品が2割引きだった。とくに欲しい本はなかったけれど、よく読まれていそうな本を3冊買った。
新古本とでも言うのだろうか、みな新品同様にきれいである。裏表紙を見たら、570円、470円、370円の値札の上に、110円の札が貼ってある。賞味期限切れが迫った食品を安値で販売しているスーパーのお買い得コーナーのようなものだ。
数年前は、ぼくがゴーストライターで書いた単行本も110円均一の棚に並んでいた。ページをめくったら、ところどころにボールペンの黒い線が引いてあった。曲がりくねった乱暴な線だった。すぐ閉じて棚に戻した。
こんな商売が成り立つのだから、世間には本の処分に困っている人がゴマンといるらしい。ぼくもここ2年ほどの間に600冊から700冊ぐらい廃品回収に出した。古本屋に持って行っても買ってもらえないのだから、泣く泣くそうするしかなかった。それでもまだ借りている貸倉庫のなかだけでも2,000冊ほどある。
倉庫代がもったいないし、カミさんには「とっておいても、もう読まないでしょ」と冷たく言われるし、どうして処分するか、考えたくもないことでずっと悩んでいる。
本が増えるのは仕方のないことだった。さまざま人を取材して原稿を書いていたから、それらのテーマに関する知識がどうしても必要になる。そこで、テーマが決まると、あの立花隆さんのやり方を見習って、入門書を1冊とより詳しく書かれた本を2冊買って、やっつけ勉強をしていた。テーマはそのときどきで変わるから、本も雑誌もどんどん増えて行った。編集ライター稼業の宿命のようなものである。
80年代のはじめ、福岡に転居してきたころの東京と地方都市の情報格差はとてつもなく大きかった。
書店もそうだった。大手企業が密集している東京・丸の内にあった書店と福岡・天神のそれとでは、とりわけビジネスマンを対象にした本の品ぞろえがまるで違っていた。
東京にいるときには気がつかなかったけれど、福岡市にはないビジネス関係の本がいろいろ山積みされていた。「この本は会社の研修で読んだな。とても参考になったね」と連れに話しかけているサラリーマンの声も耳にしたことがある。
横からそっとのぞくと、その本の筆者の名前をぼくは知らなかった。これはいかんと焦った。中央と地方の情報格差の現実を前にして、「都落ち」という言葉の苦い味を噛みしめたのは二度や三度ではない。
最後に、本にまつわる忘れられない話をもうひとつ。
高校時代の友だちの父親は難関の一流国立大学卒とかで、学生時代に試験が終わったら、「ぜんぶ頭に入っているから、もうこの本も、この本も要らんわい」と言って、授業で使っていた本をぽんぽん池に投げ捨てたという。
本を手にするとき、よくこの話を思い出す。
当方はお恥ずかしい次第で、読む端から忘れてしまう。それも処分しきれない要因で、買い集めた本の内容を聞かれたら、何も答えられずに黙ってうつむくしかない。
本棚に収まり切れずに、ホコリをかぶっている本たちを見ながら、あの友だちのオヤジサンのアタマがオレにもあったらなぁと、何度おもったかしれない。
■長男に、待望の子どもが生まれてくるとわかって、とっておいた本の行き場がひとつ見つかった。処分しないでよかった、そう勝手に決め込んでいる。
その本とは毎月2冊ずつ刊行されていた岩波書店の世界児童文学集(全30巻)。ふたりの息子によれば、「だって子どもころは本しかなかったもん」ということらしいが、兄弟仲良く、何度も繰り返し読んでいた。
でもなぁ、あのころはスマホも、ゲームもなかったからなぁ。はたして生まれてくる子はおもしろがって読んでくれるだろうか。
同じように孫を育てる自信はまったくありません。
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