抗がん剤よ、効いてくれ ― 2023年08月23日 17時22分

先の月曜日は、再発防止のための化学療法の日。ほぼ2週間に1回のペースで抗がん剤の点滴を受けている。
この日、外科の担当医から「そろそろCTを撮りましょう」と言われた。
「ドキドキしますね」
「そうですね」
まるで他人ごとのように、「そうですね」はないだろうと思ったが、もしもぼくの癌細胞が転移していたら、自分のやってきた治療がうまく行かなかったことになる。医者だって、やっぱりドキドキするんだろうなと考え直した。
4月の半ば過ぎに抗がん剤を打ち始めてから約4か月、点滴の回数は合計9回になる。
すい臓癌が見つかって、すい臓の半分とそれにつながっている脾臓、リンパの一部を切除された。精神的にも、肉体的にもどん底できつかった。思い出すだけで胸が苦しくなる。
とにかく、CT検査を受けた後の「大丈夫ですよ」のひと言がほしい。
午後からは休みをとっていたカミさんを車に乗せて、彼女のかかりつけのK眼科医院に連れて行った。ぼくも何度かお世話になったことがある。定期的な診断なので、別に緊張感はなかった。
医院長のK先生はとても人柄のよい人で、診察の説明も的確でわかりやすく、安心感がある。ぼくたち夫婦は間違いなく名医だと絶大な信頼を寄せている。
カミさんによれば、K先生はここ1年間ぐらい、ときどき姿を見せない日もあって、彼の診察する日は患者が多いということだった。先生も年をとって、髪の毛が真っ白になって、少しやせたみたいという話を聞いていた。
ところが、診察を終えたカミさんから、まったく予想もしなかった現実を知らされたのだ。
患者の出入りがひと息ついたようで、診察が終わったばかりのカミさんに、K先生の方から話しかけてきたという。肝心なところを再現すると-、
「実は癌だとわかって、九大病院で治療を受けているんですよ」
「ええっ、うちの主人も癌が見つかって、この前、手術をしたばかりなんですよ」
「ほんとうですか。どこの癌ですか」
「すい臓癌です」
「じゃあ、同じだ。わたしもすい臓癌なんですよ。ステージは4です」
ショックだった。彼とぼくとは同じ歳である。よりにもよって同じすい臓癌とは。ぼくはステージ2だったから、まだよかった方で手術ができた。
だが、彼の方はもっと進行していて、ステージ4だという。手術ができるような状況ではない。ご自分でもよくわかっているはずだ。
仲のよかったノンフィクション作家の黒岩比佐子さんも、すい臓癌が見つかったときはステージ4だった。彼女は東大病院で抗がん剤治療を受けていたが、自著の出版を見届けてすぐに亡くなった。6年前に亡くなった叔母も手遅れだった。
すい臓癌は生存できる確率が低い。癌のなかでもいちばんと言っていいほど始末が悪い。K先生も駄目かもしれない。即座にそうおもった。先のブログで書いた歯科医は大腸癌だったが、あの人も発見が遅かった。
「ステージ4か。抗がん剤治療もむずかしいだろうな」
「でもね、今日は体調がいいそうよ。顔色もよかったし、そういう日はいっぱい食べることにしているんだって。抗がん剤もいまはいい薬があるだってね。体重も40キロ台から50キロ台まで回復してきたって。お父さんと同じだね」
抗がん剤もいい薬がある、そこは希望の持てる話だ。ぼくにとっても朗報だった。
「自分が癌だということも隠さずに話すようにしているんだって。そうしたら、ほとんどの患者さんの身のまわりにも癌の人がいることがわかって、みなさんが励ましてくれるって。お父さんが自分と同じ年齢で、同じすい臓癌だとわかって、最後に、ご主人によろしく伝えてください、と言ってたよ」
そういう顔は明るかったという。同じ癌のもっと重篤(じゅうとく)なはずの人からの「よろしく伝えてください」のひと言に、胸のなかに温かいものがじわりと流れて、やさしく締めつけられるようだった。
一緒に戦う仲間ができた。一緒に戦っている仲間がいる。抗がん剤よ、効いてくれ。
ぼくよりも症状が進んでいる、もっと深刻な人から、元気を、勇気をいただいた。
こころのこもった応援のメッセージはありがたく、しっかり頂戴した。
「がんばりましょう。一緒に戦って、お互いにもっと長生きしましょう」のエールを、精いっぱいの敬意を込めてお返ししたい。
■室見川沿いにある近くの公園。子どもの字で、「ホルトの木」と書いた札がある。「サクラ」や「クスノキ」もある。子どもたち、木登りもしたかな。
この日、外科の担当医から「そろそろCTを撮りましょう」と言われた。
「ドキドキしますね」
「そうですね」
まるで他人ごとのように、「そうですね」はないだろうと思ったが、もしもぼくの癌細胞が転移していたら、自分のやってきた治療がうまく行かなかったことになる。医者だって、やっぱりドキドキするんだろうなと考え直した。
4月の半ば過ぎに抗がん剤を打ち始めてから約4か月、点滴の回数は合計9回になる。
すい臓癌が見つかって、すい臓の半分とそれにつながっている脾臓、リンパの一部を切除された。精神的にも、肉体的にもどん底できつかった。思い出すだけで胸が苦しくなる。
とにかく、CT検査を受けた後の「大丈夫ですよ」のひと言がほしい。
午後からは休みをとっていたカミさんを車に乗せて、彼女のかかりつけのK眼科医院に連れて行った。ぼくも何度かお世話になったことがある。定期的な診断なので、別に緊張感はなかった。
医院長のK先生はとても人柄のよい人で、診察の説明も的確でわかりやすく、安心感がある。ぼくたち夫婦は間違いなく名医だと絶大な信頼を寄せている。
カミさんによれば、K先生はここ1年間ぐらい、ときどき姿を見せない日もあって、彼の診察する日は患者が多いということだった。先生も年をとって、髪の毛が真っ白になって、少しやせたみたいという話を聞いていた。
ところが、診察を終えたカミさんから、まったく予想もしなかった現実を知らされたのだ。
患者の出入りがひと息ついたようで、診察が終わったばかりのカミさんに、K先生の方から話しかけてきたという。肝心なところを再現すると-、
「実は癌だとわかって、九大病院で治療を受けているんですよ」
「ええっ、うちの主人も癌が見つかって、この前、手術をしたばかりなんですよ」
「ほんとうですか。どこの癌ですか」
「すい臓癌です」
「じゃあ、同じだ。わたしもすい臓癌なんですよ。ステージは4です」
ショックだった。彼とぼくとは同じ歳である。よりにもよって同じすい臓癌とは。ぼくはステージ2だったから、まだよかった方で手術ができた。
だが、彼の方はもっと進行していて、ステージ4だという。手術ができるような状況ではない。ご自分でもよくわかっているはずだ。
仲のよかったノンフィクション作家の黒岩比佐子さんも、すい臓癌が見つかったときはステージ4だった。彼女は東大病院で抗がん剤治療を受けていたが、自著の出版を見届けてすぐに亡くなった。6年前に亡くなった叔母も手遅れだった。
すい臓癌は生存できる確率が低い。癌のなかでもいちばんと言っていいほど始末が悪い。K先生も駄目かもしれない。即座にそうおもった。先のブログで書いた歯科医は大腸癌だったが、あの人も発見が遅かった。
「ステージ4か。抗がん剤治療もむずかしいだろうな」
「でもね、今日は体調がいいそうよ。顔色もよかったし、そういう日はいっぱい食べることにしているんだって。抗がん剤もいまはいい薬があるだってね。体重も40キロ台から50キロ台まで回復してきたって。お父さんと同じだね」
抗がん剤もいい薬がある、そこは希望の持てる話だ。ぼくにとっても朗報だった。
「自分が癌だということも隠さずに話すようにしているんだって。そうしたら、ほとんどの患者さんの身のまわりにも癌の人がいることがわかって、みなさんが励ましてくれるって。お父さんが自分と同じ年齢で、同じすい臓癌だとわかって、最後に、ご主人によろしく伝えてください、と言ってたよ」
そういう顔は明るかったという。同じ癌のもっと重篤(じゅうとく)なはずの人からの「よろしく伝えてください」のひと言に、胸のなかに温かいものがじわりと流れて、やさしく締めつけられるようだった。
一緒に戦う仲間ができた。一緒に戦っている仲間がいる。抗がん剤よ、効いてくれ。
ぼくよりも症状が進んでいる、もっと深刻な人から、元気を、勇気をいただいた。
こころのこもった応援のメッセージはありがたく、しっかり頂戴した。
「がんばりましょう。一緒に戦って、お互いにもっと長生きしましょう」のエールを、精いっぱいの敬意を込めてお返ししたい。
■室見川沿いにある近くの公園。子どもの字で、「ホルトの木」と書いた札がある。「サクラ」や「クスノキ」もある。子どもたち、木登りもしたかな。
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