今日11月8日は「幸運の日」 ― 2023年11月08日 16時39分

今日は1年前にすい臓がんが見つかった日。あれから無事に1年が過ぎた。
決めたことがある。「11月8日は幸運の日」にすると。
昨年のこの日、がんが見つからなかったら、確実に手遅れになっていた。奇跡的に早く見つかって、本当に運がよかった。「幸運の日」としか言いようがない。
昨年のスケジュール帳を開けてみると、11月8日はこう記している。(前日は近くのクリニックに行って、総合病院を紹介された経緯がある。)
現7:50。8:30前には白十字病院へ。血糖値が待ったなしに高いので、最終的な手段・インスリンを覚悟して行く。
白十字で入院のための検査。すい臓がん(の疑い)が発見。約2cm強でかなり大きい。
明日、外科医で検査することに。△子にLineで休みをとってもらうよう連絡。
夕食時、△子に糖尿病のことしか話さず。まだわからないのだから悲しませることはない。食欲なし。
今日を「幸運の日」にしようと思いついたのは、つい昨日のことである。
福岡で一緒に飲んで、ブラジルに帰る高校時代の同級生が中継地のダラス空港からLINEを送ってきて、それを機に小倉にいる同じ同級生2人に電話を入れたのがきっかけだった。
数年ぶりに聞く友の声。すい臓がんのことを打ち明けた。やはり、ぼくだけではなく、友にも大きな変化が起きていた。
ひとりは5年半ほど前から腎臓を患って、人工透析を受けているという。週3回、病院に通って、1回につき5時間もかかるそうだ。自宅から往復する時間を入れたら、1日がつぶれてしまう。ずっとそんな生活をしているのだ。なにも知らなかった。
クラスでもバツグンの元気男で、いつも人を大笑いさせる冗談を飛ばして、彼がいるだけで、パッとまわりがあかるくなる。こちらがからだのことを心配すると、あのころと変わらない大きな声で笑って返された。
「小倉に出て来いよ。飲もうや。土曜日は人工透析がない日だから、オレはかまわんからな」
「いいのかよ」
「オレ、元気っちゃ。ふだんはどうもないっちゃ。この前は娘のいる大阪まで行って、大学時代の友だちと飲んだんよ。出て来いよ、な。こっちから博多に行ってもええぜ」
友とはありがたいものだ。病気を口実にじっとしたまま下を向いていられないとおもった。
もうひとりの友はクラスの世話役が板についていて、同期会の話になった。
「コロナで何年も会っていないからな。そろそろ一度ケジメをつけようやという話が出とるんよ。決まったら、連絡するから」
「ケジメって、なんだよ。あれか、ここで会っておかないと、みんなどんどん死んでしまって、もう会えなくなるということか」
「まぁ、そんなところだ。みんな歳だからな、オレもいろいろあるっちゃ」
2年前にはぼくたちの恩師が亡くなったという。ほかにも同期生の訃報の情報を知っているのかもしれない。すい臓ガンのことを話しても、それほど驚かれなかった。
夜の10時近くになっていたが、こちらもご無沙汰続きのたいへんお世話になった人にも電話した。一杯やろうと誘われた。この人もガンからの生還者である。
ずいぶん会っていないのに、3人ともさっき別れたばかりのように変わっていない。こんなことなら、もっと早く電話すればよかった。
それぞれから「運がよかったなぁ」と言われて、「11月8日はがんがみつかった日ではなく、幸運の日なのだ」とおもうようになった。「幸運の日」とスケジュール帳にも書き込んだ。
なんていい名称なのだろう。このアイデアは、われながらよく思いついたものだと、とても気に入っている。
■先日のルヴァンカップの決勝戦。期待通りに、わがアビスパ福岡がビッグチームの浦和レッズに勝った。夢だった舞台の国立競技場の主役は、ぼくたちのアビスパ福岡の選手、監督、コーチ、スタンドをネービーブルーに染め上げたサポーターたちだった。
こんな日が来るとは。涙がとまらず、カミさんとティッシュペーパーを何枚も濡らした。弱くて、下手で、チームもバラバラで、負けるのがふつうで、いいカモにされていた歴史は無駄ではなかった。
カミさんは一昨日に開催された祝勝会にも参加した。スタジアムに通い続けていた彼女の思いもやっと報われた。胸にたまっていたものが一度に吹っ切れた気がする。
決めたことがある。「11月8日は幸運の日」にすると。
昨年のこの日、がんが見つからなかったら、確実に手遅れになっていた。奇跡的に早く見つかって、本当に運がよかった。「幸運の日」としか言いようがない。
昨年のスケジュール帳を開けてみると、11月8日はこう記している。(前日は近くのクリニックに行って、総合病院を紹介された経緯がある。)
現7:50。8:30前には白十字病院へ。血糖値が待ったなしに高いので、最終的な手段・インスリンを覚悟して行く。
白十字で入院のための検査。すい臓がん(の疑い)が発見。約2cm強でかなり大きい。
明日、外科医で検査することに。△子にLineで休みをとってもらうよう連絡。
夕食時、△子に糖尿病のことしか話さず。まだわからないのだから悲しませることはない。食欲なし。
今日を「幸運の日」にしようと思いついたのは、つい昨日のことである。
福岡で一緒に飲んで、ブラジルに帰る高校時代の同級生が中継地のダラス空港からLINEを送ってきて、それを機に小倉にいる同じ同級生2人に電話を入れたのがきっかけだった。
数年ぶりに聞く友の声。すい臓がんのことを打ち明けた。やはり、ぼくだけではなく、友にも大きな変化が起きていた。
ひとりは5年半ほど前から腎臓を患って、人工透析を受けているという。週3回、病院に通って、1回につき5時間もかかるそうだ。自宅から往復する時間を入れたら、1日がつぶれてしまう。ずっとそんな生活をしているのだ。なにも知らなかった。
クラスでもバツグンの元気男で、いつも人を大笑いさせる冗談を飛ばして、彼がいるだけで、パッとまわりがあかるくなる。こちらがからだのことを心配すると、あのころと変わらない大きな声で笑って返された。
「小倉に出て来いよ。飲もうや。土曜日は人工透析がない日だから、オレはかまわんからな」
「いいのかよ」
「オレ、元気っちゃ。ふだんはどうもないっちゃ。この前は娘のいる大阪まで行って、大学時代の友だちと飲んだんよ。出て来いよ、な。こっちから博多に行ってもええぜ」
友とはありがたいものだ。病気を口実にじっとしたまま下を向いていられないとおもった。
もうひとりの友はクラスの世話役が板についていて、同期会の話になった。
「コロナで何年も会っていないからな。そろそろ一度ケジメをつけようやという話が出とるんよ。決まったら、連絡するから」
「ケジメって、なんだよ。あれか、ここで会っておかないと、みんなどんどん死んでしまって、もう会えなくなるということか」
「まぁ、そんなところだ。みんな歳だからな、オレもいろいろあるっちゃ」
2年前にはぼくたちの恩師が亡くなったという。ほかにも同期生の訃報の情報を知っているのかもしれない。すい臓ガンのことを話しても、それほど驚かれなかった。
夜の10時近くになっていたが、こちらもご無沙汰続きのたいへんお世話になった人にも電話した。一杯やろうと誘われた。この人もガンからの生還者である。
ずいぶん会っていないのに、3人ともさっき別れたばかりのように変わっていない。こんなことなら、もっと早く電話すればよかった。
それぞれから「運がよかったなぁ」と言われて、「11月8日はがんがみつかった日ではなく、幸運の日なのだ」とおもうようになった。「幸運の日」とスケジュール帳にも書き込んだ。
なんていい名称なのだろう。このアイデアは、われながらよく思いついたものだと、とても気に入っている。
■先日のルヴァンカップの決勝戦。期待通りに、わがアビスパ福岡がビッグチームの浦和レッズに勝った。夢だった舞台の国立競技場の主役は、ぼくたちのアビスパ福岡の選手、監督、コーチ、スタンドをネービーブルーに染め上げたサポーターたちだった。
こんな日が来るとは。涙がとまらず、カミさんとティッシュペーパーを何枚も濡らした。弱くて、下手で、チームもバラバラで、負けるのがふつうで、いいカモにされていた歴史は無駄ではなかった。
カミさんは一昨日に開催された祝勝会にも参加した。スタジアムに通い続けていた彼女の思いもやっと報われた。胸にたまっていたものが一度に吹っ切れた気がする。
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