最期まで見事な人でした2024年09月01日 18時20分

 ショックだった。昨日の昼前、いつもの眼科に行ったカミさんから衝撃的な情報を聞いた。悲しくて、残念で、心底がっかりした。
 いまもその感情が消えない。こうして書きだすとまたこみ上げてくる。
 このブログで、ひと月前に『あと1年、生かしてもらえたら』のタイトルで書いたばかりのK医師が、その10日後に亡くなっていた。
 ぼくと年齢も一緒で、同じすい臓がんの人である。あの人なら、必ずがんに打ち勝ってくれると信じていた。カミさんの話を聞いていた限りでは、がんに負ける気配なんか、まったく寄せつけていなかった。
 彼はステージ4から闘いつづけて、手術なしで4年が過ぎていた。
 ぼくには奇跡的な希望の星だった。抗がん剤の副作用がひどいときは、診察室の後ろの別室で休息をとりながら、それでも診察に当たっていた。最期まで患者を見捨てなかった。
 カミさんの話では、待合室にいた患者さんたちは異様に静まり返っていたという。
 Kさんががんばっているから、負けずにがんばろうとおもった。
 ぼくにはわかる。ぼくのことを知っていた彼も、きっとそうだったとおもう。
 こうして書くのは、こんな人がいたことを忘れてほしくないからである。生かされているわが身に与えられた役目のひとつだとおもっている。
 それにしても、ことしはなんという年だろうか。
 大切な人が立て続けにいなくなってしまった。初孫のK君の誕生だけが、名前の通りに、光でぼくたちの気持ちを明るくさせてくれている。
 落ち込んでいるカミさんが繰り返しつぶやいた。
「お父さん、K先生の分まで長生きしないといけないね」
 言われなくても、そうおもうようにしているが、こんなことばっかりだ。
 聞くところによれば、K眼科クリニックは、娘さんが跡を継いでいるらしい。Kさんは「生まれつき障害のある娘がいます」と言っていた。その女の子がハンディを背負いながら、立派な医師になって、患者との会話はスマホの画面を見ながらやっているという。
 きっと父親と同じように、患者さんから絶対的に信頼されて、みんなから好かれるいい医者になるに違いない。
 Kさんと知り会えてよかった。彼に伝えるとしたら、敬意と感謝の言葉しか思い浮かばない。
 Kさん! あなたは最期の最期まで、見事な人でした。

■このブログを書いているとき、カミさんが「上の階の人、引っ越しの最中よ」と教えてくれた。窓から外を見たら、トラックが2台止まっていた。同じ団地内の1階に引っ越すという。その部屋も、先日カミさんが「いいなぁ」と興奮していたバリアフリーに改装したばかりである。
 さて、次はどんな人がわが家の上に入居してくるだろうか。
 カミさんは、19時から始まる地元サッカーチームのアバスパ福岡VS神戸の試合にお出かけ。
 人が亡くなっても、陽は落ちて、また昇る。

自民党総裁選を「鳥の眼」でみる2024年09月04日 17時22分

 政界最大のイベント・自民党の総裁選がいまいち盛り上がらない。現時点で立候補を口にしたのは12人もいるのだが、人々の眼には「多士済々の天下取りの戦い」と映る以前に、政治家たちはどいつもこいつも信用できん、という不信感があるのだろう。
 後述するように、このことはブーメランのように戻って来て、ぼくたち自身に跳ね返ってくる。そこで総裁選と政治家たちの移り変わりを上空から「鳥の眼」で眺めてみたい。と言っても、ぼくのごく限られた狭い視界なのだが。
 時計の針を70年代に巻き戻す。
 週刊誌の記者をしていたとき、総裁選がらみの取材を何度もした。
 有名な三角大福中がいた。大平派、田中派の大番頭で、「双生児」とも言われていた鈴木善幸と二階堂進のコンビも健在だった。
 早くから注目されていた宮澤喜一、竹下登、安倍晋太郎、中川一郎、渡辺美智雄などのニューリーダーたち。そして、どこの派閥にも財界の論客たちが目をかけていたプリンスとか、ホープと呼ばれる将来の首相候補がいた。
 実業の社会もそうで、経験豊富な経営者が海のものとも、山のものともわからない若手をかわいがって育てる風土があった。ソフトバングの孫正義も、ユニクロの柳井正もこのプロセスを踏んでいる。
 失礼だが、当時に比べれば、政治家も経済人もずいぶん軽くなって小粒になったものだとおもう。メディアも無難な解説調の言いまわしに終始して、かつてほどの旺盛な批判精神が伝わってこない。
 思い出を美化するつもりはさらさらないが、ぼくたちのころなら、あの政治資金パーティーの裏金づくりの追及も、今度の総裁選のタイミングを逃さなかった。
「たぶん国会議員の決戦投票になる。決め手のひとつが裏金づくりで追い込まれたあいつらの票がどっちに動くかだ。それで時期政権の性格も決まってくる。次の総選挙の争点になるかもしれんな」
 こんなやりとりをして、別の切り口で追いかけていたとおもう。
 たとえば、「自民党総裁選の火薬庫。安倍派裏金議員5人組の逆襲がはじまった」といった感じの特集は、ごくふつうに編集会議で出てくる企画だった。
 行儀が悪いなぁと顔をしかめる向きもあるかもしれないが、一般読者よりも、当の政治家たちが飛びつくようにして読んでいたものだ。
 それだけ記者と政治家のあいだには、親しい仲にもいい意味の緊張感があった。政治家たちもこうした批判を受け入れて、若い記者を育てる懐の深さがあったとおもう。
 さて、いまはどうか。
 新聞や硬派の雑誌を読まない人々のあいだで人気がある政治家は、ズバリ、テレビ局がよろこぶ人。歴代首相のなかでは、たぶん小泉純一郎あたりが真っ先に浮かぶだろう。ひところなら、「あいつは軽いからなぁ」と見られがちだったタイプである。
 小泉もそうだったが、国会では自分の気に入らない意見にはいっさい耳を傾けず、まるで仇敵(かたき)のように切って捨てるリーダーが続いた。日本学術会議の良識のある人たちも、率直な意見を具申した優秀な官僚たちも、自分にとって目ざわりな存在は強権を使って次々に排除した。
 断絶と分断の社会である。そのすぐ隣に格差、貧困がある。
 まぁ、総大将が率先して、森友学園、加計学園、桜をみる会、旧統一教会とか、いろいろやっていたのだから示しのつくわけがない。
 言論の府、良識の府の看板が泣いている。
 それもこれも、いまから書くことが温床になっている。
 あの半藤利一さんが12前の終戦の日に著した『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』にこんな文章がある。
 ―いまリーダーシップがやたらに論ぜられている、要求されているのです。この先の見えない、浮遊している国家を何とかキチッとしたものにしてほしい。そうした人材よ出でよ、いまこそ、いうわけです。でもそんなに簡単に織田信長や徳川家康が出てくるはずはありません。いまの日本にこれといったリーダーがいないのは、日本人そのものが劣化しているからだと思います。国民のレベルにふさわしいリーダーしか持てない、というのが歴史の原則であるからです―
 ……、……、……、
 ぐうの音も出ない。

■先日、テレビ局の番組制作の会社を経営している大学の後輩くんから、長いメールが届いた。以前、彼も籍を置いていた某民放キー局の有名な看板番組の実情を明かしたもので、とても紹介できない関係者の恥ずべき行為の数々が書かれている。
 正義感の強い男だから、よほど頭に来ているのだろう。日本人が劣化している事例はこんなところにもある。

■室見川の河畔を上流に向かって散歩した。日中はまだ暑いが、夕方ちかくはだいぶ涼しくなった。川は風の通り道でもある。下流の博多湾の方から、いい風が吹いている。

26年ぶりに初恋の人に会った2024年09月13日 16時26分

 コロナに感染してから咳が止まらない。午前中に近くのクリニックに行って、咳止めと痰に効く薬をもらってきた。咳による体力の低下に伴って、やる気もすぐに萎えてしまう。先週末に小倉であった高校の同期会は欠席して正解だった。
 ここ1週間ほど、いいことと悪いことが続いている。
 先週の木曜日。宮崎にいる父方の叔母が亡くなった。
 翌金曜日。陽が傾けかけたころ、すぐ近くに救急車、ミニパトカー、鑑識車が駆けつけてきた。警察官の緊迫した様子と気配から、あきらかに変死だとわかる。やはり、1階にいた独り暮らしの男性老人がだれにも気づかれることなく亡くなっていた。
 ご近所の、あの「草取り婆さん」の話では、死亡したのは台風10号が接近していたころらしい。たぶん熱中症だろう。つい3週間前にも独居老人の孤独死が発見されたばかり。ああ、またか、である。
 同日、音信不通だったサンパウロにいる高校時代の同級生からメールが届いた。来月帰国するので、いつもの3人組で一緒に飲もうという。よかった、生きていたんだ。ほっとした。
 土曜日。小倉で高校の同期会。欠席。
 貸し倉庫の中に置いていた洗濯機、冷蔵庫、本、こわれたパソコン、父の遺品の釣り竿などをぜんぶまとめて業者に回収してもらった。結局、ひと財産かけた本はどこも買い取ってくれなかった。
 こちらの思いとカネのモノサシがモノをいう世間の評価はまるっきりズレていた。ぼちぼち終活にとりかかっているぼくたち夫婦はこんな経験をすることがままある。
 日曜日。昨日の同期会から足を伸ばして、「初恋の人」が福岡にやってきた。ことしはじめに亡くなったO君、彼女、ぼくの3人は中学の同級生で、彼女がいる大阪で一緒に会って以来のこと。あれからもう26年も過ぎた。
 彼女(Y . Kさん)はO君が亡くなった後も、彼の奥さんを手紙で励ましている。ぼくもいろいろ応援してもらったことがあるので、そのお礼も言いたかったし、O君のこともゆっくり話したいとおもっていた。
 Yさんとの会話は、O君のことから、ぼくのすい臓がんの話、そして昨日会った同期生たちやまわりの人たちの健康状態まで発展した。初恋のほのかな思い出に浸るどころではなく、「意識不明」とか、「余命宣告」とか、とうとう仕舞いには「いっぱい死んだよ」の言葉が出てきた。
 そんな話をしながら、彼女はお目当ての「イカの活き造り」をおいしそうに食べていた。
 人のことは言えない。生きているとはこういうことだとおもう。
 Yさんも、ご主人が脳溢血で倒れて左半身が麻痺し、杖と車椅子の生活を送っている。
「K子ちゃんも、ご主人の介護で大変だね」
 そういったら、ストレートで打ち返された。
「大変ね、とよく言われるけど、大変なのは自由に動けなくなった本人よ。わたしはね、どこも悪いところがなくて元気だから、ぜんぜん大変じゃないの。女の方が強いのよ」
 言われてみれば、確かにその通り。
 相変わらず、しっかりしているなぁ、と感心していたら、またまたドキリとすることをさりげなく言った。
「△△君、わたしのまわりに未亡人はいっぱいいるわよ。今夜、泊まりに行く幼友だちもそうなの」
「そうだよなぁ。男の方が先に死ぬからなぁ」
 こんな文章を書いていると、この歳まで無事に生きていることが奇跡なのかもしれないとおもえてきた。
 最後に誤解のないように言っておく。彼女は初めて出会った中学生のころから、よく気がつく、こころやさしい人である。今回もわざわざ手作りのおいしいパンを待ってきてくれた。

■先日、外科の定期健診を受けた。結果は、「今回も異常はありませんね」。いつものことながら、カミさんを安心させる報告ができてうれしい。

■車で信号待ちしていたら、ベンチの日陰で寝そべっている白いネコがいた。首を持ち上げて、じっと後ろを見ているのは、やや腰の曲がったお婆ちゃんがヨタヨタ近づいているから。はたして、ネコはベンチから飛び降りて、一目散に逃げたかどうかは知らない。

選挙に勝てる顔って、どんな顔?2024年09月19日 18時40分

 候補者9人が表舞台に出そろって、いくらか熱を帯びてきた自民党の総裁選。こちらは党員ではないので、その他大勢の人々と同様に、ただ見ているしかない。
 だが、いくら関与できないとはいえ、次期首相が決まってしまうのだから、そうそう無関心でもいられない。そこで、こんなときに役立ちそうな「先賢たちのためになる考え方や見方」について触れておこう。
 某紙の調査によると、現時点での党員・党友票(地方票)の動向は下馬評どおりに小泉進次郎がトップで、以下は高市早苗、石破茂と続いている。
 まず一発、言っておきたいことがある。
 先日、紹介した半藤利一さんはリーダー像について、同じ本のなかにこんな一文を書き残している。
「ためしに使ってみよう、あるいは瀬踏みのつもりでやらせてみよう、若輩なのだからしくじってもしようがない、などと思った覚えはありませんか。これがもっともよくない」
 見識豊かな先人の知恵とはありがたいものだ。まるで今日の総裁選の顔ぶれを見通していたかのような助言ではないか。このひと言だけでも、ちょっと待てよ、と別の角度で考えてみるきっかけになる。
 次に、作家の大江健三郎が残した文章を抜粋して紹介する。少し長くなるが、なるほどなぁ、と思い当たることがあるのではとおもう。(『「話して考える」と「書いて考える」』より)
「バブル崩壊後に続く、あきらかに政府に責が帰せられねばならない永い経済不況のなかで、国民から圧倒的な支持を受けた首相が小泉純一郎でした。小泉は、その実態を示すことなくかかげた「構造改革」というトレード―マークと、やはり内容をともなわない口頭表現の切れ味のよさによって人気を得たのでした。」
 そして、石原慎太郎、田中真紀子との共通性に触れた上で、こう書き進めている。
「石原の――また、かれと多様な側面で共通する資質の田中の――単純だが明確な定義を持たない言葉の並列は、普通なら批判的中立をたもつべきトーク・ショーの司会者によってにこやかに支持されてきました。司会者は、ただ座談会の場の協調の気分を守るための役割なのです。」
 さすがに文章を磨き続けていた作家だけあって、耳から入ってくる話し言葉のあやうさをよく知っている。政治記者やこの道の解説者たちとは、人物や世のなかの変調を見抜く観察力でも鋭さが違う。そして、その目線はぼくたちにも向けられている。
「マスコミ社会のヒーローたちが、出版においてであれ、政治においてであれ、有効な武器としている特性(※小泉の「内容をともなわない口頭表現」とか、石原や田中の「単純だが明確な定義を持たない言葉の並列」のこと)は、かれらがテレビのトーク・ショーに出演する時、異様なほど似かよって表れます。受け手――つまり日本の民衆が――同一である以上、それはいかにも当然のことかもしれません。」
 半藤も、大江も、この国の目にあまる劣化に、黙っていられなかったことがよくわかる。その場その場をリアルタイムに追いかけるテレビや新聞などでは、まず見られない指摘である。
 小泉純一郎が初の総裁ポストを射止めたときの総裁選では、あの田中真紀子が抱きつかんばかりに応援団長を買って出た。その派手な千両役者ぶりは、世間からやんやの喝采を浴びて、小泉は圧勝した。
 歴史の教訓(?)で言えば、あれこそが今どきの「選挙に勝てる顔」である。
 総裁選は最終的には候補者9人の組み合わせの数で決まる。権力闘争は打算や陰謀がつきものだ。表舞台の裏側で、キングメーカーになりたがっている人物もいるだろう。
 まだきっとひと山、ふた山ある。何が起きても不思議ではない。
 今日は見物席から、「こんな見方もあるのだ」という立ち位置で、独りごとを書いた。

■写真は、先日の夕方にスマホで撮影したもの。久しぶりに、ザアーッときた雨があがったので、カミさんといつものように散歩に出たら、東の空に二重の虹がかかっていた。
 空にかかった虹を見るとその足元に走って行って、七色の丸くておおきな橋の上を歩いてみたくなる。そのときのぼくは、子どものころに帰っている。

カミさんが白内障の手術を受けた2024年09月22日 14時40分

 ここ2、3日、カミさんのテンションがやけに高い。いや、高いとおもったら、突然、急降下することもある。
 そうなった理由は、白内障の手術をしたから。まだ左の目だけなのだが、片方の目だけでも「ワタシ、世界が変わったわ」なんて言っている。
 手術した翌朝、左のまぶたの上にペタンと貼られていた白い眼帯をはずしたときの第一声は、「ワァー、こんなに小さな字がはっきり見える」だった。
 それからは動きまわる先々で、「トレニアの花の青やバラの赤はこんなにきれいだったんだ」、「前から歩いてくる人の顔がはっきりわかる」、「あのクルマのナンバーも読めるよ」、「遠くのあの山の一つひとつの尾根の形もくっきり見える。あんな形だったんだね」、「景色が変わって見えるわ、別世界にいるみたい」など、まぁ、にぎやかなこと。
 だが、いいことばかりではないようで、化粧品を並べている小部屋に入った直後、「キャアー」の叫び声が聞こえた。どうやら鏡に自分の顔を映して見たらしい。
「きたなーい。シミだらけじゃない。ワッ、腕にも小さなシミがこんなにいっぱいあったんだ」
 恐れていた矛先は、たちまちぼくにも向けられた。
「ワッ、お父さんの顔も汚いねぇ」
 この日の午前中、カミさんは親子ほど歳のはなれた知人の女性から、「これ、シミにいいわよ」と教えてもらった化粧水を買い求めに、ドラッグストアまで出かける始末。
 数年前におなじ白内障の手術をした新潟にいる姉に電話したら、「なるべく鏡を見ないようにしている」とアドバイスされたとか。
 ぼくは15年も前に白内障の手術を受けた体験者だから、びっくりするほどくっきり見えるのはわかっている。だから、こうなることも予想していた。その予見がバチバチ当たるから、脇から見ていて、けっこうたのしい。
 今週中にカミさんは右目の手術をする。いまよりも、もっとくっきり、はっきり見えるはず。
 さぁ、どうなることやら。こちらも心の準備をしておかねばなるまい。
 若い人たちには、歳をとったら、こんなおもしろいこともあるんだよ、とでも言っておこう。

■日中の青い空と白い雲の空模様が一変し、夜半、稲妻(いなづま)が光って、ゴロゴロと雷鳴が響き、はげしい雨が通り過ぎて行った。元旦に大地震が発生した能登半島はその傷跡を深く残したまま、今度は線状降水帯による豪雨に襲われて、復旧まで気の遠くなるような被害が出ている。
 情け容赦もない自然からの仕打ちが多くなった。本当にお気の毒だなぁ、とおもいながら、いつかはわが身と感じる人もいるのではあるまいか。