団地に百日紅を植えた人 ― 2024年11月08日 18時07分
今日は「幸福の日」。2年前の11月8日、自宅から歩いて30分の総合病院ですい臓がんが見つかった日である。手遅れにならずに、いまもこうして生きていられるので、「幸福の日」と名付けた。
昼食後にひとつ、いいことをした。
前の町内会長のUさんから電話があって、「いま百日紅(サルスベリ)の木のところにいるので、脚立を貸してくれんね」という。
団地の入り口のシンボルマークにもなっている百日紅は2本並んでいて、ことしも夏から秋口まで赤と白の花を盛大に咲かせていた。この木はUさんが自ら植樹した。独り暮らしの彼にとってはわが子のようなものだ。
その木がどんどん大きくなって、いちばん高いところは5メートルの先まで花をつけた。見た目は豪華なものだが、さすがに伸び過ぎで、以前からUさんは枝の剪定が気になっていたのである。
アルミ製の脚立をカミさんがぐらつかないように押さえて、ぼくは少し離れたところから、どの枝をどこから切り落とすかの指示役にまわった。
Uさんは元大工の職人である。高いところに登るのも、ノコギリで枝を切るのも朝飯前だ。ところが、その雄姿は昔話で、からだを悪くしてから現役を引退し、65歳になった彼の身のこなしは見ていてハラハラものだった。
「ほらほら、右の足が乗っている枝が折れそうだよ。ああ、もうそのへんでいいよ。それ以上は登らない方がいいから。手の届くところで切っていいよ」
「ここでいいと? もっと上の方で切ろうか」
「いいから、いいから。やめとけ。危ないよ」
そのときのUさんの足先の位置は、ぼくの頭のあたり。
カミさんからも声が飛ぶ。彼女は花を育てるのが好きで、伸び過ぎた茎を惜しげもなく切って、新しく出てくる芽にまた花をいっぱい咲かせるのを得意にしている。目の前で繰り広げられている光景がまさにそうで、黙っていられるはずがない。
「もっと手前で切っていいよ。その右の枝も切り落とした方がいいとおもうなぁ」
「ここかいな。ここでいいとね」
「いや、もっと短くしていいよ」
見上げる高さで、枝先を四方八方に広げていた2本のサルスベリはみるみる身軽になった。
「もういいよ。サルスベリだからね。すべらないでね」
2本の百日紅は、当初の見立てよりも何割増しで刈り取られてしまった。高さも枝の数もざっと3分の2ほどになった。
実はこの2本をこの場所に植えることにした人は別にいる。昨年、引っ越して行った80歳すぎのおばあさんで、気のいいUさんを顎で使って植えさせた。
このおばあさん、自分の部屋の正面には十月桜の苗木を、そのほかにもあちこちにアメリカフヨウなどを植えている。ぜんぶUさんが大汗をかいてやらされたという。なぜ、公団住宅でそんなことができたのかといえば、彼が町内会長だったからである。
こうしてUさんは、いまもあのおばあさんが残した木々の世話をしている。百日紅の次には、大きくなり過ぎたアメリカフヨウが2本ある。
「あのばあさん、引っ越して出て行ったけど、ときどき自分が植えた木を見に来るんよ」
「ええっ。わざわざチェックしに来ると」
「気になるっちゃろうね。たまらんばい」
出て行く人、住み続ける人。そして、新しく入ってくる人。こんな団地にもいろんな人間ドラマが渦巻いている。
昼食後にひとつ、いいことをした。
前の町内会長のUさんから電話があって、「いま百日紅(サルスベリ)の木のところにいるので、脚立を貸してくれんね」という。
団地の入り口のシンボルマークにもなっている百日紅は2本並んでいて、ことしも夏から秋口まで赤と白の花を盛大に咲かせていた。この木はUさんが自ら植樹した。独り暮らしの彼にとってはわが子のようなものだ。
その木がどんどん大きくなって、いちばん高いところは5メートルの先まで花をつけた。見た目は豪華なものだが、さすがに伸び過ぎで、以前からUさんは枝の剪定が気になっていたのである。
アルミ製の脚立をカミさんがぐらつかないように押さえて、ぼくは少し離れたところから、どの枝をどこから切り落とすかの指示役にまわった。
Uさんは元大工の職人である。高いところに登るのも、ノコギリで枝を切るのも朝飯前だ。ところが、その雄姿は昔話で、からだを悪くしてから現役を引退し、65歳になった彼の身のこなしは見ていてハラハラものだった。
「ほらほら、右の足が乗っている枝が折れそうだよ。ああ、もうそのへんでいいよ。それ以上は登らない方がいいから。手の届くところで切っていいよ」
「ここでいいと? もっと上の方で切ろうか」
「いいから、いいから。やめとけ。危ないよ」
そのときのUさんの足先の位置は、ぼくの頭のあたり。
カミさんからも声が飛ぶ。彼女は花を育てるのが好きで、伸び過ぎた茎を惜しげもなく切って、新しく出てくる芽にまた花をいっぱい咲かせるのを得意にしている。目の前で繰り広げられている光景がまさにそうで、黙っていられるはずがない。
「もっと手前で切っていいよ。その右の枝も切り落とした方がいいとおもうなぁ」
「ここかいな。ここでいいとね」
「いや、もっと短くしていいよ」
見上げる高さで、枝先を四方八方に広げていた2本のサルスベリはみるみる身軽になった。
「もういいよ。サルスベリだからね。すべらないでね」
2本の百日紅は、当初の見立てよりも何割増しで刈り取られてしまった。高さも枝の数もざっと3分の2ほどになった。
実はこの2本をこの場所に植えることにした人は別にいる。昨年、引っ越して行った80歳すぎのおばあさんで、気のいいUさんを顎で使って植えさせた。
このおばあさん、自分の部屋の正面には十月桜の苗木を、そのほかにもあちこちにアメリカフヨウなどを植えている。ぜんぶUさんが大汗をかいてやらされたという。なぜ、公団住宅でそんなことができたのかといえば、彼が町内会長だったからである。
こうしてUさんは、いまもあのおばあさんが残した木々の世話をしている。百日紅の次には、大きくなり過ぎたアメリカフヨウが2本ある。
「あのばあさん、引っ越して出て行ったけど、ときどき自分が植えた木を見に来るんよ」
「ええっ。わざわざチェックしに来ると」
「気になるっちゃろうね。たまらんばい」
出て行く人、住み続ける人。そして、新しく入ってくる人。こんな団地にもいろんな人間ドラマが渦巻いている。
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