満開の桜から生気をもらう2025年04月05日 17時44分

「今日こそ行かなくては」
 そう奮起して、昼めしどきにカミさんと花見をした。
 いまのぼくは花見をするにも、それなりの気合いを要する。気持ちとからだの調子次第なので、一昨日も、昨日も、「やっぱり止めておこう」となった。だが、ぼやぼやしているとたちまち花は散ってしまう。
 桜の木がある室見川のちいさな河畔公園まで歩いて4分ほど。ちかくのスーパーで、つまみになりそうな弁当と缶ビール、イチゴなど3、4品を買い込んで、初ものの筍の煮物とお茶は家にあるものを提げて行く。ほんの短い道中でも、満開の桜の花に会いに行く気分は浮き浮きしていいものである。
 子どもたちが幼いころ、よく焼肉をしたコンクリート製のテーブルと椅子を占領して、暖かい陽ざしをいっぱいに浴びながら、さっそく缶ビールを開けた。まわりでもお年寄りの団体さんや家族連れが仲よく宴会をしている。
 ピーヨピーヨ。チュン、チュン、チュン。
 ほのかなピンクの桜の花のあいだをヒヨドリやスズメがにぎやかに飛びまわっている。そこだけ小枝がはげしく揺れ動き、花びらがひらひら舞い落ちる。ぼくたちのテーブルの上には、弁当のおこぼれをねらって野バトも1羽、飛んできた。小首をかしげて、まんまるい眼でこっちをみながら、じっとしている。
 ああ、よかった。ことしも花見ができた。また来年もやろうとおもった。
 心配してくれる人もいるので、ここで少し病院通いの報告をしておく。
 先の月曜日に外科の担当医の診察を受けた。下された判断は、「大腸カメラの検査で採取した細胞の検査の結果を待って、これから先の治療方法を決めましょう」だった。
 できるだけ早く治療をはじめてほしいのだが、経験豊富な医者は慎重である。治療の方針が決まるのは来週に持ち越しとなった。カミさんにも伝えて、毎度のことながら、いい方向に考えるようにしている。
 花見から帰って、カミさんの髪を染めてあげた。
 こちとらはもう手馴れたもので、「はい、いいよ」と答えて、一丁上がりまで1時間とかからない。若返ったカミさんは同じ団地にいる友人のところに呼ばれて行った。そこのベランダの真正面にも桜が満開に咲いている。
 きょうはやることをやったような、ちょっといい気分である。風呂上がりに、「思いだし花見」をしながら、軽く一杯やることにしよう。

■「絶対に負けるな。高校時代の友だちはもうお前ひとりしかいないんだからな」、「友人は〇〇で完治しています。治ると信じて進めることを祈っております」、「気力に満ちているので、必ず治るよ」、「△△さんは持ってる、モテ男。必ずや闘いに勝利されると確信しています」。
 長いつきあいの友や後輩君からのメールである。カミさんにも励ましのメッセージがいくつも届いている。
 ありがとうございます!

青春からの仲間たち2025年04月07日 18時07分

 昨日も花見をした。予定外のことだった。連れは高校時代の友人ふたりである。
 前日の夜8時すぎ、1通のLINEが着信。小倉にいる「西高3人組」のひとりH君からだった。
「平日は自由な時間が取れなく、河畔公園で一緒に花見がしたいので、明日の昼前ごろにそちらに行ってもよいですか?」
 断れるわけがない。この短い文だけで、もっと言いたいことは充分に読みとれる。
 この日のブログを読んでくれたのだ。彼はここまで一度も来たことがない。高速バスや地下鉄を乗り継いで、待ち時間なしでも往復4時間はかかる。
 さっそく同意の電話をした。
 そうなるともうひとり声をかけたい友がいる。
 毎年一緒に花見をしているS君で、つい先日、花見の件を持ち出されて、やんわりお断りしたばかり。彼もブログで、ぼくの状況をときどきチェックしている。
 するとその翌日、「お酒は飲めなくても、桜の下でお茶とお菓子ぐらいはと思って」という誘いが来た。気持ちはうれしかったけれど、「またの機会に」と辞退したいきさつがあった。
 同じ高校の仲間とはいえ、H君とS君が顔を合わせるのは卒業以来のこと。ふたりは実に半世紀ぶりの再会になるという。お互いの性格も、歩いてきた道もそれぞれ違っても、どちらも大切な友である。H君から連絡があったことを、S君に知らんふりできるわけがない。
 こうして70代半ばのかつての若者たちが満開の桜の下で一杯やることになったという次第。
 桜の花がちらほら舞い落ちるなかで、彼らはぼくの病気のことに触れようとはしなかった。こんな機会はめったにないから、お互いにしゃべりたいことがどんどん出てくる。ふたりで飲むよりも、やっぱり3人の方が何倍も話の花が咲いた。
 桜の花が一枚、二枚、酒を注いだ紙コップのなかに浮かんでいる。花びらごとクビッと飲み干す。桜も粋な演出をしてくれるものだ。
 友とはありがたいものである。久しぶりに大笑いしながら、彼らとも簡単にサヨナラできないな、とおもった。
 隣のテーブルで談笑していた「77歳の元クラスメート同士」という3人連れの「もと乙女たち」にも声をかけた。きれいな銀色の髪のショートカットがよく似合う、笑顔のチャーミングな女性は、「わたしの主人は亡くなってね、あちらにいるの」。
 そういいながら、桜の花から透けてみえる青い空に向かって、ひらひらと手を振ってみせた。H君はそのかわいい人にお願いして、ぼくたちの集合写真を撮ってもらった。
 別れる間際になって、ふたりから「がんばれよ。また会おうや」とひと言があった。

 あさって入院します

 きょうは外科医の診察の日。明後日の入院が決まった。期間は5日間。ようやく待ちに待った化学療法がはじまる。

きょう入院しました2025年04月09日 20時28分

 使いなれた青いリュックを背負い、右手におおきな布袋を提げて、ゆっくり歩いて朝の10時に総合病院に着いた。隣にはぼくの着替えを入れた黒いリュックのカミさんがいる。
 4人部屋、3食付き、4泊5日の短い治療専念の旅がはじまった。
 ここまでが長かった。やっと受け身一方だった流れを変えられる、きっとよくなる方向へ。
 このごろのカミさんは努めて明るくふるまっている。前日はぼくを外へ引っ張り出して、スマホで写真を撮ってくれた。
「お父さん、(抗がん剤治療で)髪の毛がなくなる前に、写真を撮ってやるよ。髪がなくなったら、もう間にあわないからね」
「やっぱり副作用でそうなるんだろうなぁ」
「そうよ。退院して帰って来るときは、ちゃんと帽子をかぶらなくっちゃね」
「おまえ、たった3日間の治療で、髪の毛がぜんぶ抜けてしまうとでも思っているのかよ」
「そうでしょ? あれっ、違ったっけ?」
「いくらなんでも、それはないんじゃないの」
「でもね、いま撮らないとずっと後悔するからね」
「わかった、わかった。じゃあ、そうしてもらおうか」
 まさか手まわしよく夫の「遺〇写〇」の撮影じゃないだろうな、ふと縁起でもないことが頭をよぎった。だが、カミさんの顔はやる気満々である。「やってあげるから、ね。いまのうちに早く撮ろうよ」と手ぐすねをひいて、にこにこしている。
 いったいこんなことのどこがそんなにおもしろいのだろうか。いつまでたっても、女ごころは意味深と意味不明とが入れ混じって、さっぱりわけがわからない。
「あのラガーシャツに着替えたらいいんじゃない。若くみえるから」
 ご要望にお応えして、できるだけ自然な笑顔をつくったのに7、8回も撮りなおしを要求された。すでに頭のてっぺんは薄くなっていて、地肌がみえるのは致し方がないにしても、それでもちゃんと髪の毛が生えているときの写真を撮ってもらった。カミさんは目的を達して、ご満足の様子であった。
(いったんここで筆をおく)
 午後5時ごろ、1時間ほどかかって、痛くも、怖くもない手術を終えた。明日からはじる化学療法の準備の一環で、たいした手術ではないのでご安心を。
 どうやら、このフロアにはがんで闘っている人がたくさんいるらしい。同室の40代の男性は部屋のなかでも緑色の帽子をかぶったままだ。だからといって、落ち込んでいる様子はみじんもない。まだご挨拶もできていないが、「共に戦いましょう」と声には出さずに、エールをおくった。
 そうなのだ。髪の毛が抜け落ちているのは、前を向いて、挫けずに闘っている証明なのだ。尊い姿だとおもう。
 ヨシッ! これでハゲてしまったときのこころの準備もできた。

■今朝がた、歩いて病院に向かうときに撮った花壇の写真。カミさんは病院からの帰り道、ご近所さんから「花壇がきれい」とほめられたという。
 ヨカッタ、ヨカッタ。

お隣のベッドのお父さん2025年04月11日 16時28分

 朝の9時すぎ、病棟内にも決まった活気がでてくるころである。淡いベージュのカーテンで仕切られたお隣のベッドから話し声が聞こえてきた。
 太めのからだで、しらが頭を丸坊主に刈り上げた80歳すぎと思われるお父さんが、娘のような年代の介護補助のおばさんをつかまえて、しきりに何か訴えていた。
 耳が遠いのだろうか、声がおおきいのでまわりに筒抜けである。
「もう3日も経つのに、手術はいつすると? 手術するために入院したのに」
 そんなことを訊かれても、このおばさんにわかるはずがない。いつもなら度胸ひとつで、なんとかその場を切り抜ける技をお持ちのおばさんだが、さすがにおこまりの様子である。
「そうなの。気になるよねぇ。でも、もうそろそろじゃないの」
 それから20、30秒後、その場に主治医が若い女性の看護士ふたりとやってきた。
「センセー、手術はいつしてくれるとね?」
 40代そこそこの医者は一瞬、言葉に詰まったようだった。
「手術はもう終わったよ。寝ているときに」
「はぁ? 終わったと? ポリープ。腹は切らんやったとね?」
 爆笑が起きた。おばさんも、看護士さんたちも大笑いである。ほかのベッドからも笑い声があがった。
「うん。眠っているときに。大腸の内視鏡で、ちゃんと手術は終わったからね」
 なんともうらやましいおとうさんである。ぼくも「よかったですねぇ」と声をかけずにはいられなかった。
「そうか。終わっとったんか……。へ、へ、へ」
 お年寄りには何度も、何度も、同じことを言って聞かせるのがよろしいようで。

 こちらは化学療法の二日目。ぜんぶの抗がん剤の投与が終わるのは明日・土曜日の午後になる。首から透明の液体の薬が入ったちいさな袋をぶらさげて、どこに行こうが点滴は休みなくつづく仕掛けだ。
 担当の医師は「血液データも順調です」といっていた。予定通りに日曜日の午前中に退院が決まった。
 きょうはカミさんが着替え等を持って、午後から面会に来てくれた。ここまで歩いて来れる距離だから、ほんとうに助かる。そして、夫婦の片方だけでも、こうして元気に居てくれることがうれしい。

■室見川の下線公園にそびえるケヤキ。つぎに会いに行ったら、ずいぶん若葉がおおきくなって、青々と茂っているだろうなぁ。

「会いたかったんです」に勇気をもらう2025年04月14日 16時57分

 昨日の午前中に退院できて、自宅でゆっくりしている。やっぱり、朝の目覚めがちがった。
 今回の短い入院生活でも、こころが温かくなることもあった。
「△△さん! わたしのこと覚えていますか? 会いたかったんです!」
 入院した翌日の夜の8時すぎ、病室から70メートルほど先の談話室で、カミさんにビデオ電話をかけようとしていたときに、後を追ってきたらしい若い女性から声をかけられた。
 部屋のなかはふたりっきり。ぼくの人生のなかで、このような男女物語のシーンがいくつあっただろうか。
 半袖の白衣の制服、長い髪の毛を後ろに束ねた若い看護師さんだった。白いマスクでぜんたいの表情は見えなくても、かわいらしくて、親しげな話しぶりとやさしそうな目元には見覚えがある。
「Yoさん。柳川三姉妹の次女でしょ」
「うれしい! そうです! 覚えていてくれたんですね! わたし、△△さんにとっても会いたかったんですよ。会えてよかったあ。うれしいです!」
 手術から3年目に入っての再会だった。この病棟の看護師さんたちはみなさん若くて、とても頑張り屋さんぞろいだが、とりわけYoさんは明るい人柄で、面倒見のよい娘さんである。感じのよさがそのまま表に出ている。
 歳のころはそろそろ20代後半ごろか。夜勤明けの休みの日ぐらい、人並みに遊びにでも出かけたいだろうに、「疲れをとるのが精いっぱいです。たいてい夕方まで、ふとんのなかで寝ています」と聞いていた。
 もし、こんな彼女たちがいなければ、この総合病院の医療体制は1分も持ちこたえられないとおもう。親切に支えてもらったし、仕事の話を聞いて、こちらからも励ました記憶がある。
 話し相手がいないところで、思いがけず、「会いたかったです。うれしいです」と言われた身としては、こころがやすまる寄る辺をみつけたようで、それはそれですごくうれしかったけれど、内心はやや複雑であった。
「病院の外で会えたら、よかったのになぁ。こんなふうになってしまって、またここに舞い戻って来て」
「そうですね……。わたしの父は肝臓がんで危なかったんですよ。でも、いまは医学が進歩して、いいお薬もどんどん出ているし、がんになっても長生きしている人はいますよ。△△さん、がんばってくださいね。今夜は夜勤なんです。何でも言ってくださいね」
 立ち話は4、5分間で終わった。「会えてよかった。よし、やってやるぞ」とおもった。
 この夜、Yoさんの夜勤はたいへんだった。
 午前3時ごろから明け方ちかくまで、ぼくと同室のからだの大きなお年寄りを何度も車椅子に乗せて、トイレに通うはめになった。暗い照明の下で、できるだけ音を立てないように濡れた紙オムツを取り替えている。
 40度の熱がでたお年寄りは幻覚症状を引き起こしたようで、訳のわからないことを叫び、不意に立ち上がろうとする。もうひとり看護師さんが駆けつけて、必死になって転倒を防ぐ気配がありありと伝わってくる。腕も動かすので、応急処理の点滴をするのもままならないらしい。
 それでも彼女たちは一度も患者を叱らない。ただただ「動かないでください。じっとしていてください」と声を抑えて、お願いするばかりであった。
 さらにまたほかの病室でも異変が起きたらしく、別のフロアのいる看護士さんたちにも緊急集合を告げる符丁のアナウンスがあった。
 こちらも眠れなかったが、朝の定期検診のとき、Yoさんは「眠れなかったでしょ。ごめんなさいね」とぼくたちにひたすら頭を下げていた。
 夜中じゅう、人のために働いている、こんな若い人たちもいる。
「会いたかったんですよ!」は、ぼくにこれから先への勇気をくれる言葉になった。

■今しがた、突然、雷鳴が響いて、はげしい勢いで、大粒の雹(ひょう)が落ちてきた。春の嵐を浴びて、桜の花は来年までお預けになった。
 写真は病院の窓からの景色。右斜め下には、鯉のぼりの群れが泳いでいる。

恩人の一周忌に行き、力をもらう2025年04月25日 21時46分

 大好きだったMさんの一周忌を間近に控え、カミさんを連れて車で20数分のご自宅まで線香を上げに行ってきた。約束の9時半に着。ほぼ1年ぶりに、あのやさしい笑顔の写真に手をあわせた。
 奥さんは近くの賃貸マンションに引っ越して、2匹のネコと静かに暮らしている。毎日の夕食どきには、Mさんがこよなく愛した芋焼酎のお湯割りをつくって、ちいさな真新しい仏壇に供えているという。
 いい夫婦だなぁ。また一緒に一杯やりたくなった。
 奥さんは初めて会ったうちのカミさんもたちまち受け入れてくれた。いつもはすごく警戒心が強くて、別の部屋に隠れている2匹のネコもめずらしく近くに寄ってきた。
 もともとネアカのご家庭である。よく上がり込んで、Mさんと台所の食卓で遅くまで飲んだものだ。なんだかもうひとつのわが家に帰ってきて、力をもらったような気分になった。
 次の来客があるそうで、短い時間で切り上げたが、やっぱり行ってよかった。ぼくの体調が話題にならずにすんだのもよかった。これでひと区切りついた。
 ひと区切りといえば、短期のパートが3月末で終わったカミさんがまた始動する準備を進めている。ぼくの病気のせいで、彼女の動きは止まっていたが、「働ける人が働ければいいのよ。家賃ぐらいは稼ぎたいな」と言っている。
 情けなく、申しわけないけれど、まだまだ元気なのだから、家のなかに閉じこもったままよりはずっといい。こんなことを言うのもなんだが、カミさんが実際の年齢よりもだいぶ若く見られがちなのも、外の空気を吸っているからこそ。そのことがぼくのやる気にもつながっている。
 しばらくブログを書けなかった。ご心配をおかけしました。
 からだのことも少し触れておこう。
 2月から変調をきたしているからだの機能をまだうまくコントロールできていない。理由はわかっていて、それを飼い慣らそうとしているところ。さいわい食欲は戻ってきたので、いまは体力アップを優先に努めている。調子は上がりつつある。
 最後に、ときどき訊かれるが、酒は飲んでも構わないことになっている。このところ食は進むし、酒も旨くなってきた。これからも元気でほどほどに飲みます。
 さて、今夜7時からのアビスパ福岡VSファジアーノ岡山は、アディショナルタイムの終了直前に、岡山が同点ゴールを決めて引き分けに。
 もちろん、そのときカミさんはスタジアムにいた。きっとがっかりして帰ってくるはず。そろそろ地下鉄の駅まで車で迎えに行かなければ。
 どうやって、ナグサメヨウカ。

■写真は、カミさんが新潟の姉から勧められて始めたベランダ菜園。彼女の3姉妹は本当に仲がいい。いつも援けてもらってばっかりである。

カササギの巣作りに祝福を2025年04月27日 18時13分

 また来た。ほら、また来た。
 カササギがわが家のベランダの目の前を、細い枝をくわえて横切っていく。すぐあとからもう一羽が同じコースを飛んでいく。黒と白とのおしゃれなツートンカラーのややゆっくりめの飛翔は美しく、なかなかの見ものである。
 カササギにも繁殖の時期がやってきた。何度も行き来するから、ぼくたち夫婦も、ほかのカササギと彼らを見分けわれるようになった。
 だが、悲しいかな、このカップルには不幸が待っている。それを彼らはまったく気づいていない。
 なにしろ巣をかけた場所が悪すぎる。
 写真を見れば、一目瞭然だろう。そこはぼくたちの部屋がある団地の棟の壁で、ほんの1週間前、屋上の防水工事のために取り付けられた足場である。
 つまり、まもなく撤去されるというわけ。当然のことながら、仲のよいカササギのカップルが1本1本、小枝を集めて、一生懸命に作った愛の巣も無残に取り除かれる運命にある。そのことを彼らは知らない。
 実はここに至るまで、このカップルにはもうひとつのドラマがあった。
 4日前の朝のこと、2羽のカササギはここから30メートルほど離れている電柱の上部で巣作りをはじめた。たまたまぼくはそれを見つけた。
 カササギ夫婦はよく働いていた。細長い小枝を何度も運んでは、くちばしで上手に積み重ねて、夕方までにはなんとか巣の形ができた。
 しかし、真下は車が行き交う道路の端で、子育てには危険がいっぱいのところ。また電柱の巣作りは、電力会社から撤去されるのは必然で、「あんなところに巣を作って」と他人ごとながら、気をもんでいたのである。
 ところが翌日のこと、なぜかカササギはその家を見捨てたのだった。せっかくこしらえた住まいを解体して、いつの間にか、ぜんぶの建材をどこかへ運んでしまった。
 カササギがこんなことをするなんて、初めて知った。さすがはカラスの仲間だけのことはある、きっと頭がいいのだろうとおもった。
 どこへ転居したのか、気になって、ぼくは室見川の桜並木まで、あの2羽のカササギを探し歩いた。だが、遠くから声は聞こえても、どこにも姿は見えず。
 そして、今日の昼過ぎ、カミさんがわが家のすぐそばに、彼らの新居を発見したという次第。
「卵を産んでいなければいいけど。かわいそうだね」
「巣のある足場もいいし、ネットで守られているから安全で、子育てには最高の場所なんたけどなあ。いいところを見つけたと最初の巣を壊して、ここに移転したのだろうに。また最初からやり直しだね」
 新緑がきらめくなか、このカップルの幸せを願ずにはいられない。

新品の冷蔵庫が11万円引きに!2025年04月28日 19時02分

 冷蔵庫を新調した。店頭の表示価格は大特価の138,000円(通常価格は217,800円)。ぼくたちの身の丈に合わせて、サイズ、デザイン、色、容量、機能性とも十分の商品である。
 ナント、なんと、たったの10,125円で買うことができた。
 バンザーイ!! これを快挙といわずに、なにを快挙といおうか。
 こちらから無理やり値切り倒したわけではない。だいいち、こんなに値切り倒せるはずもない。でも、現実はそうなった。
 家電売り場の担当者が別の販売員を呼んできて、カミさんに引き合わせたのが運をつかんだきっかけだった。いまにしておもえば、冷蔵庫やエアコン、テレビなどの高額商品の売り場をうろついている高齢者に目をつけていたものとおもわれる。
 現れたのは、携帯電話のコーナーの若いお兄さん販売員だった。スマホの知識がからっきしダメで、時代についていけなくて、いつもなら黙ってやり過ごすところである。
 ところが、カミさんから、「お父さんも一緒に話を聞いてみて。4万円の値引きがあるんだって」ときた。
「なに? 4万円も!」
 そこからは、もうお兄さんから言われるがまま。
「じゃあ、そうします」と答えたら、「では、携帯がおふたり分ですから、7万円の値引きですね」。こんな調子で、138,000円の冷蔵庫は、とうとう11万円もの値引きになっちゃった。
 さらに店側からもリサイクル料金などの値引きもあって、冷蔵庫の最終価格は10,125円まで下がったというわけ。こんなことをしてもいいのかな。だれも損をしないのな、とおもった。
 詳しいことは省くけれど、ポイントはふたりのスマホをauからソフトバンクのYモバイルに切り替えたこと。自宅で使うインターネットもそちらにした。もちろん、いまのスマホはそのまま使える。
 この値引き作戦の向こうに、あの孫正義の自信満々の顔が浮かぶ。
 インフラとしてのインターネットを制する者が未来の壮大なビジョンに参加できるのだ。そのためのマキエの10万円ぐらいは安いものだ。軽くモトはとってみせる。そう計算しているのだろう。
 あのトランプとも差しで話ができる彼の手の平で踊ったようなものだが、こちらも大助かりだった。
 そうか、今回の値引きはどちらにとっても、ウィン、ウィンの関係ということか。
 ここまで書いて、そう気がついた。
 新品の冷蔵庫は、見るたびに、開け閉めするたびに、「これが1万円ちょっとか」と仕合わせな気分にしてくれる。

 このブログは総合病院の化学療法室で、抗がん剤の点滴を受けながら書いた。終了まで約5時間もかかった。病院にいたのは、朝の9時前から夕方5時まで。昼食抜きで、へとへとになった。
 点滴は自宅でも続けて、終わるのは明後日の午後3時過ぎになる。これだけ持続的に攻撃するのだから、きっと効く。
 いい運はつながるものだ。こちらの方にも、きっといいことがある。

■写真はいつもの室見川。満開のツツジの花が迎えてくれる。