『池波正太郎の銀座日記(全)』をおくる ― 2022年06月20日 15時16分

鹿児島県、大隅半島の東海岸の端っこにいる年下の友人に、アマゾンのネットショッピングから文庫本を送る手配をした。
いつも手元に置いて、何度も読み返している『池波正太郎の銀座日記(全)』。古本だが、本の状態の判定は「非常によい」だった。価格は、1円。送料は350円。
これまでも1円の本を買ったことがある。なかには単行本の新品もあった。そのたびに儲けたような、でも、作者の苦労を想像すると、これでいいのかなぁ、といくぶん申しわけないような気持ちになる。いったいぜんたい、いまの世の中で、1円玉ひとつで買えるものがほかにあるだろうか。
これも市場の原理というやつで、需要と供給のバランスがそうさせたのだろう。つまり、アマゾンの出店者は、この本には市場価値(需要)がない、と判断したことになる。その「価値がない」という意外な評価こそが、棒を飲んだような気分にさせるのだ。
だが、平常心でみれば、こんなありがたいことはない。これからも読みたい本を、できるだけ安く手に入れることにしよう。
さて、日本の南のさいはての地で、夫婦ふたりきりで暮らしている友人に、『池波正太郎の銀座日記(全)』を選んだのにはわけがある。
彼の生国は、池波とおなじく東京・浅草。だから浅草あたりはまるで自分の庭のようなものだ。なおかつ地元の商店主たちから、「××のぼっちゃん、どうぞ、どうぞ」と言われて育ったらしい。
人生は紆余曲折のドラマだ。いまその彼の目の前には太平洋の大海原が広がり、まわりにはわずか20軒ほどの民家しかないという。
こんな僻地に、みずから望んで移り住んだのではない。海外の仕事で、無理に無理を重ねて、からだをこわしてしまった。そして、帰国してからも安堵できなかった環境からはなれて、たどりついたのが寂しい一本道の尽きたところだった。
上海で、クアラルンプールで、彼がこのまま直(じき)に死んでしまうかもしれないという極度に切迫した瞬間を、ぼくは知っている。あのときの恐ろしさといったらなかった。生きているのが不思議なくらいである。
歩くことも困難なからだになってしまったが、それでも彼は持ち前の明るさを失わずに、インドネシアやマレーシアで一緒に取り組んだ事業をまだまだあきらめていない。
昨日の電話では、ついに関連技術の特許を申請したとか。この粘り腰の強さ、たいしたものだとおもう。
だが、からだに重いハンディを抱えたまま、あんな人里はなれた場所で、いつまでも海外の仕事をやれるものではない。さすがに「いま進めている計画がラストになります」といっていた。
そうか、でも、よくやってきたよ。クアラルンプールの部屋で、一日にタマネギ1個、たまご1個で、1週間あまりも耐えてきた生活を、俺は知ってるからね。命づなの薬が切れて、床を這うことすらできなくなったこともあったよな。
戦友のひとりとして、いまはただ最後のひと花が咲くことを切に願うばかりである。
『銀座日記』は肩がこらずに読める本で、浅草や映画やうまそうな食べ物の話がいっぱい出てくる。また「昨夜、気力をふるい起し、何日ぶりかで机の前に座り、ペンをとった。二枚、書き出せた」とか、「四、五枚書くと、ぐったり疲れる。リハビリをやっているつもりで、七枚まで書いてやめる」といった文章も散らばっている。
根無し草のぼくには実感できないが、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」という。夜は真っ暗闇で、波の音しか聞こえない鹿児島の端っこと、おろしろい店が所狭しと立ち並んでいる東京の浅草はじゅうぶんに遠い。故郷の浅草の話はもとより、『銀座日記』にある池波の奮戦記も励みになるといいな。
たった1円ぽっちの本だが、その価値はカネの多寡では定まらず。人の値打ちもまたおなじであろう。
■いつも手元に置いてある『銀座日記』のページは、鉛筆の線が増えて、だいぶボロボロになってきた。となりの本は、先日のブログ「空白のままの原稿用紙」で触れた小島直記さんの処女作『福沢山脈』。高校時代の恩師から薦められて、ぼくの目を大きく開かせてくれた、わが青春の一冊である。
いつも手元に置いて、何度も読み返している『池波正太郎の銀座日記(全)』。古本だが、本の状態の判定は「非常によい」だった。価格は、1円。送料は350円。
これまでも1円の本を買ったことがある。なかには単行本の新品もあった。そのたびに儲けたような、でも、作者の苦労を想像すると、これでいいのかなぁ、といくぶん申しわけないような気持ちになる。いったいぜんたい、いまの世の中で、1円玉ひとつで買えるものがほかにあるだろうか。
これも市場の原理というやつで、需要と供給のバランスがそうさせたのだろう。つまり、アマゾンの出店者は、この本には市場価値(需要)がない、と判断したことになる。その「価値がない」という意外な評価こそが、棒を飲んだような気分にさせるのだ。
だが、平常心でみれば、こんなありがたいことはない。これからも読みたい本を、できるだけ安く手に入れることにしよう。
さて、日本の南のさいはての地で、夫婦ふたりきりで暮らしている友人に、『池波正太郎の銀座日記(全)』を選んだのにはわけがある。
彼の生国は、池波とおなじく東京・浅草。だから浅草あたりはまるで自分の庭のようなものだ。なおかつ地元の商店主たちから、「××のぼっちゃん、どうぞ、どうぞ」と言われて育ったらしい。
人生は紆余曲折のドラマだ。いまその彼の目の前には太平洋の大海原が広がり、まわりにはわずか20軒ほどの民家しかないという。
こんな僻地に、みずから望んで移り住んだのではない。海外の仕事で、無理に無理を重ねて、からだをこわしてしまった。そして、帰国してからも安堵できなかった環境からはなれて、たどりついたのが寂しい一本道の尽きたところだった。
上海で、クアラルンプールで、彼がこのまま直(じき)に死んでしまうかもしれないという極度に切迫した瞬間を、ぼくは知っている。あのときの恐ろしさといったらなかった。生きているのが不思議なくらいである。
歩くことも困難なからだになってしまったが、それでも彼は持ち前の明るさを失わずに、インドネシアやマレーシアで一緒に取り組んだ事業をまだまだあきらめていない。
昨日の電話では、ついに関連技術の特許を申請したとか。この粘り腰の強さ、たいしたものだとおもう。
だが、からだに重いハンディを抱えたまま、あんな人里はなれた場所で、いつまでも海外の仕事をやれるものではない。さすがに「いま進めている計画がラストになります」といっていた。
そうか、でも、よくやってきたよ。クアラルンプールの部屋で、一日にタマネギ1個、たまご1個で、1週間あまりも耐えてきた生活を、俺は知ってるからね。命づなの薬が切れて、床を這うことすらできなくなったこともあったよな。
戦友のひとりとして、いまはただ最後のひと花が咲くことを切に願うばかりである。
『銀座日記』は肩がこらずに読める本で、浅草や映画やうまそうな食べ物の話がいっぱい出てくる。また「昨夜、気力をふるい起し、何日ぶりかで机の前に座り、ペンをとった。二枚、書き出せた」とか、「四、五枚書くと、ぐったり疲れる。リハビリをやっているつもりで、七枚まで書いてやめる」といった文章も散らばっている。
根無し草のぼくには実感できないが、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」という。夜は真っ暗闇で、波の音しか聞こえない鹿児島の端っこと、おろしろい店が所狭しと立ち並んでいる東京の浅草はじゅうぶんに遠い。故郷の浅草の話はもとより、『銀座日記』にある池波の奮戦記も励みになるといいな。
たった1円ぽっちの本だが、その価値はカネの多寡では定まらず。人の値打ちもまたおなじであろう。
■いつも手元に置いてある『銀座日記』のページは、鉛筆の線が増えて、だいぶボロボロになってきた。となりの本は、先日のブログ「空白のままの原稿用紙」で触れた小島直記さんの処女作『福沢山脈』。高校時代の恩師から薦められて、ぼくの目を大きく開かせてくれた、わが青春の一冊である。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ichi-yume.asablo.jp/blog/2022/06/20/9501780/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。