大江健三郎に感謝 ― 2023年03月27日 18時32分

開腹手術をして、1か月が過ぎた。1週間前の月曜日には抜糸の施術を受けた。
一歩前進である。腹部の傷口を縫い合わせていた糸がなくなったことで、いくらか楽にはなった。だが、鳩尾(みぞおち)からへその下までの縦一本の傷跡には、痛点をつなぐ電流が切れ目なく通っていて、やわらかい肌着がふれるだけでも顔をしかめるほど疼く。
憂うつである。でも、仕方がない。医者の言う「日にち薬」を頼りに、気長に回復を待つしかない。
このブログ、前回の原稿からずいぶん間が空いてしまった。書きたいことがあっても、からだがきつくて、気力がわいてこなかった。
書きたいと思っていたひとつは、学生時代にいちばん身近な作家だった大江健三郎が亡くなったことだ。88歳。老衰だったという。
買い集めた大江の単行本はぜんぶ処分してしまったが、手元には新潮社刊の大江健三郎全作品(全6巻)、同じく全作品第Ⅱ期(全6巻)を残している。1ページが上下2段組で、小さな活字がびっしり組まれている。あのころの本はそんな装丁が多かった。
学生時代の下宿にはテレビなどのぜいたく品はあろうはずもなく、ひとりの時間の楽しみといえば本を読むことだった。大江の本も机の上に積み上げて、徹夜でよみふけったものだ。内容はきれいに忘れてしまったけれど、彼の文章にはいまなお励まされることが多い。
ちなみに、手元にある大江の講演集の文庫本(2007年発刊)を開くと、ぼくがつけた傍線が1ページ目からあちこちに引いてある。それだけ心に留めておきたい文章がいっぱいあるということだ。傍線は太いのもあれば、細いのも、波線や二本線もある。これまで数え切れないぐらい、同じところを読んできた印(しるし)である。
今日は大江について書くと決めたから、ほんのごく一部を抜粋してみよう。
-私は(略)表現ということの一番根本にあるものを、エラボレーションだと考えるようになりました。人間が、何か表現しようとする。その時、子供でも、その職業に表現という言葉が似合わないような人でも、みんなどのように自分を表現するかと、エラボレーションの努力をしているのです。-
(※大江は、エラボレーションの意味について、入念に作る(仕上げる)こと、労作といった訳語が自分にはなじみがある、と書いている)
-私も、自分の小説家としての仕事を短くいうならば、言葉をみがくこと、みがいた言葉によって自分を表現することだ、と考えています。-
そして、彼はこう続けている。
-私は小説と共にエッセイ、評論を書いてきました。それらのどれも、私にとって、端的に言葉をみがく作業だといっていいのです。私は若い時に、言葉のエラボレーションこそを仕事の方法にしよう、と選択しました。準備期間の後、ある時間をかけて文章を書きます。その草稿を、最初に要した時日の三倍かけて、二度、三度と書きなおします。そしてあらためて仕上げの――それこそこの言葉にふさわしいのですが--エラボレーションをします。それが私のすべての文章についての、それを書く習慣です。-
別のところには、こんな文章もある。
-かつて私は、生涯の敬愛する友、武満徹の死の後で、「武満徹のエラボレーション」という講演をしました。武満さんの作曲を、エラボレーションを繰り返して作り上げたものと聴きとってのことですが、私は武満さんの音楽はもとより、その文章も人間もエラボレーションの最上の達成と受けとめてきました。-
日本の先人たちが創ってきた、ひとつ一つの言葉を考えぬいて書く文化の崩壊に危機感を持っていて、こんなことを正直に書き残してくれた大江健三郎という作家は、やっぱり別格だとおもう。
昨日、ぼくは書架に納めていた本の中から迷うことなく選別して、これから先も読み返すことはないと判断した131冊の本を処分した。一昨年からときどき処分していて、これまでに合計600冊ほどになる。そして、昨日はそのことにまったく後悔はなかった。
これも心境の変化だろうか。死を覚悟した大病をして、残された時間を意識するようになって、本当に必要なものがようやくわかり始めてきたような気がしている。
ところで、ぼくが41歳のときにつくった個人会社の名前は「表現社」という。
人はみな表現者である。人はみな自分を表現しようして生きている。そんな人たちが集まる会社にしたい。そのような趣旨から名付けた。振り返ると、そこには大江健三郎の影響があったのかもしれない。
「師」とは直接的な師弟の関係がなくても、例え故人や年下であろうとも、あるいはその人が書いた書籍であろうとも、自分が「師」と思えば、それで「師」になるという。
大江健三郎もまたそういう世界へ旅立ってしまった。
■先に書いた首長選の手伝いの件。都市高速を経由して、車で片道50分の打ち合わせのお宅まで、立て続けに3回行ってきた。印刷直前の選挙用リーフレットを預かって、失礼を覚悟の上で、ぜんぶ書き直した。
■カミさんが面倒をみているベランダの花。春の陽射しを浴びて、どれもうれしそうに咲いている。
一歩前進である。腹部の傷口を縫い合わせていた糸がなくなったことで、いくらか楽にはなった。だが、鳩尾(みぞおち)からへその下までの縦一本の傷跡には、痛点をつなぐ電流が切れ目なく通っていて、やわらかい肌着がふれるだけでも顔をしかめるほど疼く。
憂うつである。でも、仕方がない。医者の言う「日にち薬」を頼りに、気長に回復を待つしかない。
このブログ、前回の原稿からずいぶん間が空いてしまった。書きたいことがあっても、からだがきつくて、気力がわいてこなかった。
書きたいと思っていたひとつは、学生時代にいちばん身近な作家だった大江健三郎が亡くなったことだ。88歳。老衰だったという。
買い集めた大江の単行本はぜんぶ処分してしまったが、手元には新潮社刊の大江健三郎全作品(全6巻)、同じく全作品第Ⅱ期(全6巻)を残している。1ページが上下2段組で、小さな活字がびっしり組まれている。あのころの本はそんな装丁が多かった。
学生時代の下宿にはテレビなどのぜいたく品はあろうはずもなく、ひとりの時間の楽しみといえば本を読むことだった。大江の本も机の上に積み上げて、徹夜でよみふけったものだ。内容はきれいに忘れてしまったけれど、彼の文章にはいまなお励まされることが多い。
ちなみに、手元にある大江の講演集の文庫本(2007年発刊)を開くと、ぼくがつけた傍線が1ページ目からあちこちに引いてある。それだけ心に留めておきたい文章がいっぱいあるということだ。傍線は太いのもあれば、細いのも、波線や二本線もある。これまで数え切れないぐらい、同じところを読んできた印(しるし)である。
今日は大江について書くと決めたから、ほんのごく一部を抜粋してみよう。
-私は(略)表現ということの一番根本にあるものを、エラボレーションだと考えるようになりました。人間が、何か表現しようとする。その時、子供でも、その職業に表現という言葉が似合わないような人でも、みんなどのように自分を表現するかと、エラボレーションの努力をしているのです。-
(※大江は、エラボレーションの意味について、入念に作る(仕上げる)こと、労作といった訳語が自分にはなじみがある、と書いている)
-私も、自分の小説家としての仕事を短くいうならば、言葉をみがくこと、みがいた言葉によって自分を表現することだ、と考えています。-
そして、彼はこう続けている。
-私は小説と共にエッセイ、評論を書いてきました。それらのどれも、私にとって、端的に言葉をみがく作業だといっていいのです。私は若い時に、言葉のエラボレーションこそを仕事の方法にしよう、と選択しました。準備期間の後、ある時間をかけて文章を書きます。その草稿を、最初に要した時日の三倍かけて、二度、三度と書きなおします。そしてあらためて仕上げの――それこそこの言葉にふさわしいのですが--エラボレーションをします。それが私のすべての文章についての、それを書く習慣です。-
別のところには、こんな文章もある。
-かつて私は、生涯の敬愛する友、武満徹の死の後で、「武満徹のエラボレーション」という講演をしました。武満さんの作曲を、エラボレーションを繰り返して作り上げたものと聴きとってのことですが、私は武満さんの音楽はもとより、その文章も人間もエラボレーションの最上の達成と受けとめてきました。-
日本の先人たちが創ってきた、ひとつ一つの言葉を考えぬいて書く文化の崩壊に危機感を持っていて、こんなことを正直に書き残してくれた大江健三郎という作家は、やっぱり別格だとおもう。
昨日、ぼくは書架に納めていた本の中から迷うことなく選別して、これから先も読み返すことはないと判断した131冊の本を処分した。一昨年からときどき処分していて、これまでに合計600冊ほどになる。そして、昨日はそのことにまったく後悔はなかった。
これも心境の変化だろうか。死を覚悟した大病をして、残された時間を意識するようになって、本当に必要なものがようやくわかり始めてきたような気がしている。
ところで、ぼくが41歳のときにつくった個人会社の名前は「表現社」という。
人はみな表現者である。人はみな自分を表現しようして生きている。そんな人たちが集まる会社にしたい。そのような趣旨から名付けた。振り返ると、そこには大江健三郎の影響があったのかもしれない。
「師」とは直接的な師弟の関係がなくても、例え故人や年下であろうとも、あるいはその人が書いた書籍であろうとも、自分が「師」と思えば、それで「師」になるという。
大江健三郎もまたそういう世界へ旅立ってしまった。
■先に書いた首長選の手伝いの件。都市高速を経由して、車で片道50分の打ち合わせのお宅まで、立て続けに3回行ってきた。印刷直前の選挙用リーフレットを預かって、失礼を覚悟の上で、ぜんぶ書き直した。
■カミさんが面倒をみているベランダの花。春の陽射しを浴びて、どれもうれしそうに咲いている。
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