フリーな立場で、戦いの場へ2023年03月11日 14時37分

 青い空、ポカポカ陽気の下、お日さまの暖かい日差しに包まれて、ゆっくり、ゆっくり10数分歩いて、食品スーパーまで買い物に行ってきた。お腹の傷は痛むが、こうして自由に歩きまわれるのがすごくうれしい。
 先月21日に手術。2週間後の今月7日に、予定よりも早く退院できた。
 前日は、リハビリコースにもなっている廊下をぐるぐる廻って、1万2千歩あまりを歩いた。こんな患者はぼくひとりだけ。医者も、リハビリ担当の女性もびっくり仰天して、前倒しで、即退院となった。
 担当の医師が言うには、術後の経過は「非常に順調です」とのことだった。
 だがね、それは違んだよね。
 傷口をかばって、エビのように背中をまるめるしかなく、寝返りも打てない夜がずっと続いたから、背中の筋がガチンガチンにこわばってしまい、そちら方が傷よりも痛くてたまらず、睡眠剤をもらってもほとんど眠れなかった。
 朝がくるまでの長いこと、辛いことといったら。吐き気も止まらずに食事はほとんど残すし、順調どころか、本人はもうへとへとだったのだ。
 だからね、一日でも早く家に戻って、熱いお風呂に入って、こわばっている背中の筋肉をほぐしたい一心で、歩いていたんだよ。
 でも、結果的にはそれがよかったことになる。
 いまのぼくは「膵臓がんです」、ではなくて、「膵臓がんでした」になった。カミさんも食事が喉を通らず、眠れずで、ずいぶん痩せたと言っている。ぼくもガリガリに痩せてしまったが、ふたりで何度も何度も、最悪の事態からまぬがれて、がんから解放されたよろこびをしみじみと噛みしめている。
 後から聞いた話では、地元の診療所から総合病院の糖尿病科を紹介されて、そこで初めてすい臓がんが見つかる人は珍しくないという。そして、そのほとんどは、すでにがんがあちこちに転移しているとか。
 たまたまぼくはそうではなかった。本当に、本当に運がよかった。
 さて、済んでしまった病気の話はこのへんで打ち切って(まだ傷口は癒えていないが)、別のことを書こう。
 入院中に、手伝いを頼まれていたある首長選について、応援する新人候補者の「戦略シート」を書き上げた。A4のペーパーに2枚。さらにポスター案を同じく1枚。これを読んでもらえば、こうすれば勝てる、という戦い方の組み立てがわかるはずだ。
 退院直後に、この件で連絡をいただいた方に情勢を聞くと、やはり敵の動きが活発で先行しているという。あちらは選挙に手慣れているからな、そうだろうな。
 ぼくは選挙用のリーフレットとポスターの制作を頼まれていたのだが、その話を受けてから、退院するまで1か月が過ぎている。当然、リーフレットは出来上がっていた。ポスターも発注済みだろうし、どうやら、この方面での出番はなくなったようだ。
 だが、やはり気になる。電話をくれた方も、「ぜひ、選挙のアドバイスをお願いします」と言ってくれている。
 よし、やるか。
 書類ケースから、古いノートを引っ張り出した。40年ほど前に書いたノート。表紙には「選挙参謀」とある。記者時代のメモやノートはすべて捨ててしまったが、どういうわけか、これだけは手元に残っていた。
 「選挙の神様」とも言われた政治の師・Dさんが選挙戦の戦い方について書いた本からポイントを写し取ったものである。40年前でも、内容は現在にも通じていて、まったく色あせていない。
 読むと頭にスイッチが入って、戦う勇気も湧いてくる。やってやろうという気になる。
 明後日の月曜日、仲介役を務めてくださる方のご自宅で、その候補者と会うことになっている。公示日まであと35日。この間、候補のやるべきこと、考え方や行動の方法を教えてほしい、というのが依頼のテーマ。
 選挙参謀でもなんでもないフリーな立場だから、出しゃばらない程度に、言うべきことはきちんと言っておこう。
 さぁ、今度は戦略の話ではなくて、実際の一つひとつの行動をどうするか、すなわち「作戦シート」を整理しておかねば。

■ようやくブログを書く気になるまで、気力、体力が充電できた。晩酌の赤ワイン、日本酒少量ずつが食欲増進につながった。どちらも空っぽになったから、また買ってきた。