そうなったらいいな ― 2025年01月02日 11時56分

元日は夜明けから快晴のすばらしい天気だった。今日2日も雲はいくらか出ているが、青い空から暖かい日差しが降り注いでいる。
昨年の元日は能登半島で大地震が起きた。翌2日は羽田空港で日航のエアバスと能登の救援に向かう海上保安庁の飛行機が衝突して、炎上する事故が発生した。年明けから「まさか」が連発して、2024年はいったいどんな年になるのだろうかと不安に襲われたことを昨日のように思い出す。
大雪が降っている地域の人たちを呼んであげたいほど、ことしはどこまでも青く澄みわたる空である。いい年になりそうな感じがする。
昨日のわが家はにぎやかだった。主役はまもなく1歳になるKo君で、危なっかしいヨチヨチ歩きが家族の笑いを誘った。
若いお母さんは高校時代にソフトボールの選手でインターハイにも出場したから、この子もスポーツマンになるかもしれない。ピアノも上手だから音楽のセンスもあるかもしれない。さっさと手際よくしゃれた服や帽子もつくるし、お菓子作りもプロ級だから、きっと手先が器用かもしれない。
そうなったらいいな。
まぁ、いいオッサンになった息子たちも、いくら歳をとってもかわいいけれど、Ko君が似てほしいところはカミさんとも考えが一致。よくぞ16歳も年上のこんな息子のお嫁さんになってくれたと感謝しながら、差し向かいでお屠蘇代わりの冷酒を飲んだ。
さて、お正月だから、なにかひとつぐらいはことしの目標を立てなければ。
いま昨年亡くなったMさんが一度も袖を通さなかった黒のカシミアのVネックセーターを着ている。ここで目標を口にしたら、Mさんとの約束になる。そんなことは改めて言わなくても、長いお付き合いだったから、ぼくの気持ちはわかってくれている。
内なる声を大切にして、そうなったらいいな、とおもう。
■写真は、元日に撮影した十月桜。この一年間でだいぶ大きくなった。
昨年の元日は能登半島で大地震が起きた。翌2日は羽田空港で日航のエアバスと能登の救援に向かう海上保安庁の飛行機が衝突して、炎上する事故が発生した。年明けから「まさか」が連発して、2024年はいったいどんな年になるのだろうかと不安に襲われたことを昨日のように思い出す。
大雪が降っている地域の人たちを呼んであげたいほど、ことしはどこまでも青く澄みわたる空である。いい年になりそうな感じがする。
昨日のわが家はにぎやかだった。主役はまもなく1歳になるKo君で、危なっかしいヨチヨチ歩きが家族の笑いを誘った。
若いお母さんは高校時代にソフトボールの選手でインターハイにも出場したから、この子もスポーツマンになるかもしれない。ピアノも上手だから音楽のセンスもあるかもしれない。さっさと手際よくしゃれた服や帽子もつくるし、お菓子作りもプロ級だから、きっと手先が器用かもしれない。
そうなったらいいな。
まぁ、いいオッサンになった息子たちも、いくら歳をとってもかわいいけれど、Ko君が似てほしいところはカミさんとも考えが一致。よくぞ16歳も年上のこんな息子のお嫁さんになってくれたと感謝しながら、差し向かいでお屠蘇代わりの冷酒を飲んだ。
さて、お正月だから、なにかひとつぐらいはことしの目標を立てなければ。
いま昨年亡くなったMさんが一度も袖を通さなかった黒のカシミアのVネックセーターを着ている。ここで目標を口にしたら、Mさんとの約束になる。そんなことは改めて言わなくても、長いお付き合いだったから、ぼくの気持ちはわかってくれている。
内なる声を大切にして、そうなったらいいな、とおもう。
■写真は、元日に撮影した十月桜。この一年間でだいぶ大きくなった。
ま、いいか。正月だから ― 2025年01月04日 11時44分

まもなく午後1時からわが家で新年会をする。たのしくやるお相手は同じ団地暮らしのHoさんご夫妻で、子どもはどちらも男の子がふたり。子どもたちは歳もちかいし、遠慮なしで育ってきた仲なので、親同士もなにかと「話が合う」のだ。
ぼくは今回もおでん作りの当番で、しっかりダシの味がしみるように、昨日のうちに大根とこんにゃく、卵を仕込んでおいた。あとの諸々の具材はあまり煮過ぎないように、食べる20、30分前に大鍋に放り込めばいい。
「ごちそうサラダ」やいくつかの小鉢はカミさんが作ってくれた。
Hoさんも酒のアテになる料理を持ってくる。いちばん張り切っているのはご主人で、室見川の公園で一緒に飲むときも、かならず特大のクーラーボックスが登場する。なかには数種類のビールやチューハイの缶がごろごろ。それとは別に焼酎とか、洋酒とか、いろんなものをサンタクロースのように取り出して、ものすごくうれしそうな顔をするのだ。
「もう、飲みたくてたまらない。ああ、うれしいな」の気持ちを素直に出す人である。奥さんの方は、「とても話し好きな人」とでも紹介しておけば間違いない。
昨年、Hoさんのお宅では悲しくて辛い出来事があった。
ぼくは小説家でもないし、よそ様の家庭の事情をあばきたてる趣味はないが、ある事情から目に入れてもいたくないほどかわいがっている、まだ幼いたったひとりの孫娘に会えなくなってしまった。元気な子で、かわいい盛りなのだ。
たぶん、今日もその話になる。
でも、おふたりとも根はあかるい人だから、もうわかっているはずである。そうやってぜんぶを受け入れて、気持ちを切り替えることが新しい出発になるのだと。
今日の新年会がそのいい節目になってほしいと願う。
からだのおおきなHoさんはどっかと定位置に座って、いつものように、またたく間に1本、2本と空けるだろう。そんな彼のペースに付き合っているうちに、こちらはすっかり出来上がってしまい、グースカ、グースカ、伸びてしまったこともある。用心、用心。
いまのところ、今日はそうならないように気をつけている。気をつけてはいるけれど、それはいまのうちだけかもしれない。
なんだか飲みすぎの言い訳をあれこれ準備しているような気がしてきた。
ま、いいか。正月だから。
■カミさんとの散歩コースのひとつにあるツバキの立木。まわりには赤くて小さな実をいっぱいつけたクロガネモチの木もあって、たくさんのメジロやヒヨドリがいる。
ぼくは今回もおでん作りの当番で、しっかりダシの味がしみるように、昨日のうちに大根とこんにゃく、卵を仕込んでおいた。あとの諸々の具材はあまり煮過ぎないように、食べる20、30分前に大鍋に放り込めばいい。
「ごちそうサラダ」やいくつかの小鉢はカミさんが作ってくれた。
Hoさんも酒のアテになる料理を持ってくる。いちばん張り切っているのはご主人で、室見川の公園で一緒に飲むときも、かならず特大のクーラーボックスが登場する。なかには数種類のビールやチューハイの缶がごろごろ。それとは別に焼酎とか、洋酒とか、いろんなものをサンタクロースのように取り出して、ものすごくうれしそうな顔をするのだ。
「もう、飲みたくてたまらない。ああ、うれしいな」の気持ちを素直に出す人である。奥さんの方は、「とても話し好きな人」とでも紹介しておけば間違いない。
昨年、Hoさんのお宅では悲しくて辛い出来事があった。
ぼくは小説家でもないし、よそ様の家庭の事情をあばきたてる趣味はないが、ある事情から目に入れてもいたくないほどかわいがっている、まだ幼いたったひとりの孫娘に会えなくなってしまった。元気な子で、かわいい盛りなのだ。
たぶん、今日もその話になる。
でも、おふたりとも根はあかるい人だから、もうわかっているはずである。そうやってぜんぶを受け入れて、気持ちを切り替えることが新しい出発になるのだと。
今日の新年会がそのいい節目になってほしいと願う。
からだのおおきなHoさんはどっかと定位置に座って、いつものように、またたく間に1本、2本と空けるだろう。そんな彼のペースに付き合っているうちに、こちらはすっかり出来上がってしまい、グースカ、グースカ、伸びてしまったこともある。用心、用心。
いまのところ、今日はそうならないように気をつけている。気をつけてはいるけれど、それはいまのうちだけかもしれない。
なんだか飲みすぎの言い訳をあれこれ準備しているような気がしてきた。
ま、いいか。正月だから。
■カミさんとの散歩コースのひとつにあるツバキの立木。まわりには赤くて小さな実をいっぱいつけたクロガネモチの木もあって、たくさんのメジロやヒヨドリがいる。
間一髪のところでした ― 2025年01月09日 12時30分

窓の外には白い小雪が舞っている。ことし最後に届いた年賀状を横に置いて書く。
卒業以来、一度も会っていない大学の後輩・Ka君からで、彼には賀状を出していない。「来たか。まずかったなぁ」とおもった。だが、昨年こちらは出したのに、彼からの賀状は来なかった。そういうことがあったので、そろそろ潮どきかなと判断してそうしたのだった。こんなふうに独り合点の読みが外れることはしばしばある。
彼も古希を過ぎて、今年は年男という。これも自然の摂理だろうか、手書きで添えてある文面がいままでとは違っていた。
「Aがあやうく、あっちへ行ってしまうところでした」
新年早々、ヒヤリとさせられたが、A君になにがあったかは、ひと月前に本人から届いた手紙で承知している。
ふたりは大学の同じクラブにいて、いまでも行き来するほど仲がよく、去年の春はそろって住まいのある横浜から福岡に来る予定だった。それも『青春18きっぷ』で。
ところが、ある事情から半年先まで延期になって、ぼくたちは年末に会うことした。真面目で義理堅いA君は、自分の病気が原因で、その約束をまたもや先延ばしせざるを得なくなった旨を手紙で知らせてくれたのである。
11月5日。病気知らずの彼を突然襲ったのは心筋梗塞だった。
秒きざみの差が生死を分ける瀬戸際で、緊急カテーテル手術で冠動脈にステントを通し、血管を広げて助かった。危ないところだったらしい。その後の経過は順調で、主治医から通常の生活に戻っていいとのお墨付きをもらったという。
すい臓がんの手術から生還したぼくは、いまの彼の心境がよくわかる。中学の元教師らしく、一つひとつの文字を万年筆できちんと書いた手紙を何べんも読み返した。
「今度こそ九州へ行きます」の予告もふたりから受け取った。福岡での飲み会にはクラブの部長をやっていた高校時代の同級生も小倉からやって来る。ぼくは部員ではなかったけれど、彼らは学業に身が入らない、こんなぐーたら男にも分け隔てなく付き合ってくれた。再会したら、たちまちあのころに戻って大騒ぎになるだろう。
きっと、「いま何をやっていますか?」と訊かれるはず。
さぁ、どう答えようか。
顔を合わせるのはまだ先のことなのに、なんだか尻を叩かれているようである。
■熟した実がついたまま家の庭に放置されている渋柿は、野鳥のエサにするためだったと気がついた。そんな柿の木があちこちにあって、どこもメジロが群がっている。だが、その場に立ち止まって、あのかわいい姿を見ている人を見かけることはない。
そこでまた気がついた。きっとメジロをよく知らないのだ、と。
■昨日はO君の一周忌。この日に合わせて、彼が好きだった博多名物の『川端ぜんざい』を夫人宛てにおくった。こころ温まる着信メールあり。
卒業以来、一度も会っていない大学の後輩・Ka君からで、彼には賀状を出していない。「来たか。まずかったなぁ」とおもった。だが、昨年こちらは出したのに、彼からの賀状は来なかった。そういうことがあったので、そろそろ潮どきかなと判断してそうしたのだった。こんなふうに独り合点の読みが外れることはしばしばある。
彼も古希を過ぎて、今年は年男という。これも自然の摂理だろうか、手書きで添えてある文面がいままでとは違っていた。
「Aがあやうく、あっちへ行ってしまうところでした」
新年早々、ヒヤリとさせられたが、A君になにがあったかは、ひと月前に本人から届いた手紙で承知している。
ふたりは大学の同じクラブにいて、いまでも行き来するほど仲がよく、去年の春はそろって住まいのある横浜から福岡に来る予定だった。それも『青春18きっぷ』で。
ところが、ある事情から半年先まで延期になって、ぼくたちは年末に会うことした。真面目で義理堅いA君は、自分の病気が原因で、その約束をまたもや先延ばしせざるを得なくなった旨を手紙で知らせてくれたのである。
11月5日。病気知らずの彼を突然襲ったのは心筋梗塞だった。
秒きざみの差が生死を分ける瀬戸際で、緊急カテーテル手術で冠動脈にステントを通し、血管を広げて助かった。危ないところだったらしい。その後の経過は順調で、主治医から通常の生活に戻っていいとのお墨付きをもらったという。
すい臓がんの手術から生還したぼくは、いまの彼の心境がよくわかる。中学の元教師らしく、一つひとつの文字を万年筆できちんと書いた手紙を何べんも読み返した。
「今度こそ九州へ行きます」の予告もふたりから受け取った。福岡での飲み会にはクラブの部長をやっていた高校時代の同級生も小倉からやって来る。ぼくは部員ではなかったけれど、彼らは学業に身が入らない、こんなぐーたら男にも分け隔てなく付き合ってくれた。再会したら、たちまちあのころに戻って大騒ぎになるだろう。
きっと、「いま何をやっていますか?」と訊かれるはず。
さぁ、どう答えようか。
顔を合わせるのはまだ先のことなのに、なんだか尻を叩かれているようである。
■熟した実がついたまま家の庭に放置されている渋柿は、野鳥のエサにするためだったと気がついた。そんな柿の木があちこちにあって、どこもメジロが群がっている。だが、その場に立ち止まって、あのかわいい姿を見ている人を見かけることはない。
そこでまた気がついた。きっとメジロをよく知らないのだ、と。
■昨日はO君の一周忌。この日に合わせて、彼が好きだった博多名物の『川端ぜんざい』を夫人宛てにおくった。こころ温まる着信メールあり。
豪雪地帯の暮らしをおもう ― 2025年01月16日 19時14分

午後3時の気温は5度。薄墨色の雲がゆっくり動いている。いつものようにスマホで新潟の南魚沼市の天候をチェックした。また雪だ。気温は3度で、なだれ注意報が出ている。
福岡市とはたった2度の差しかない。だが、雪国の人たちの苦労や春を待ち焦がれる気持ちはその程度の違いどころではない。はげしく降り続く雪の量をぜんぶ雨に変えたら、どんな水害が起きるか、想像すらつかない。
カミさんの実家のまわりは海抜2,000メートル前後の魚沼連峰がそびえ、日本海からの風をさえぎる巨大な壁になっている。そこは日本有数の豪雪地帯である。ことしは例年になく大雪の日が多いので、いくら雪に慣れているとはいえ、土地の人たちは重くどんよりとした空から舞い降りてくる白い水の結晶を見ながら、うんざりしていることだろう。
ある冬の日、九州生まれのぼくは見渡すかぎりの真っ白な世界に感嘆の声をあげたが、カミさんの親兄妹から雪との闘いの話を聞いて、軽々しくよろこべなくなった。
雪下ろしをしないと家は押しつぶれてしまう。亡くなった義父が福岡に来たとき、建築中の戸建ての柱をみて、「九州はこんなに細い柱で大丈夫なのか」とびっくりしていた。
義母は小学生の冬に病気になって、歩くのもたいへんな大雪のなか、町の医者まで往復20キロほどの道のりをおんぶして連れて行ってくれた父親の背中の温かさが忘れられないと言っていた。子どものころのカミさんは雪に閉じ込められて、2階の窓から出入りしていたという。
家のなかは一日中、照明と暖房をつけっぱなし。家族や部屋の数が多い家では暖房費がたいへんな負担になる。現地の親戚から「ことしは灯油代が月々8万円かかる」と聞いて、稼ぎ手がひとりの家庭ではとてもやっていけないとおもった。
越後の人は忍耐強くて、働き者が多い。カミさんやその一族の人たちを見てきて、まったくその通りだとおもう。
彼女は今朝も仕事に行った。新しい職場は人がまばらで、声をかけてくれる人も、一緒にお昼の弁当を食べる人もいないという。そのうち少しは打ち解ける人も現れるだろうが、なんだか雪のなかへ送り出しているような気持ちになる。
■写真の大根は、「ただ天日に干しただけのものを薄く切って食べたい」というカミさんの要望を受けて、ベランダに1本だけ吊るしたもの。
福岡市とはたった2度の差しかない。だが、雪国の人たちの苦労や春を待ち焦がれる気持ちはその程度の違いどころではない。はげしく降り続く雪の量をぜんぶ雨に変えたら、どんな水害が起きるか、想像すらつかない。
カミさんの実家のまわりは海抜2,000メートル前後の魚沼連峰がそびえ、日本海からの風をさえぎる巨大な壁になっている。そこは日本有数の豪雪地帯である。ことしは例年になく大雪の日が多いので、いくら雪に慣れているとはいえ、土地の人たちは重くどんよりとした空から舞い降りてくる白い水の結晶を見ながら、うんざりしていることだろう。
ある冬の日、九州生まれのぼくは見渡すかぎりの真っ白な世界に感嘆の声をあげたが、カミさんの親兄妹から雪との闘いの話を聞いて、軽々しくよろこべなくなった。
雪下ろしをしないと家は押しつぶれてしまう。亡くなった義父が福岡に来たとき、建築中の戸建ての柱をみて、「九州はこんなに細い柱で大丈夫なのか」とびっくりしていた。
義母は小学生の冬に病気になって、歩くのもたいへんな大雪のなか、町の医者まで往復20キロほどの道のりをおんぶして連れて行ってくれた父親の背中の温かさが忘れられないと言っていた。子どものころのカミさんは雪に閉じ込められて、2階の窓から出入りしていたという。
家のなかは一日中、照明と暖房をつけっぱなし。家族や部屋の数が多い家では暖房費がたいへんな負担になる。現地の親戚から「ことしは灯油代が月々8万円かかる」と聞いて、稼ぎ手がひとりの家庭ではとてもやっていけないとおもった。
越後の人は忍耐強くて、働き者が多い。カミさんやその一族の人たちを見てきて、まったくその通りだとおもう。
彼女は今朝も仕事に行った。新しい職場は人がまばらで、声をかけてくれる人も、一緒にお昼の弁当を食べる人もいないという。そのうち少しは打ち解ける人も現れるだろうが、なんだか雪のなかへ送り出しているような気持ちになる。
■写真の大根は、「ただ天日に干しただけのものを薄く切って食べたい」というカミさんの要望を受けて、ベランダに1本だけ吊るしたもの。
また車を買い替えた人 ― 2025年01月18日 18時28分

「あれっ、違うな」
明け方、ベランダから駐車場を見たら、ぼくの軽四の横にある車が変わっていた。昨日の昼過ぎまではいつもの黒のアウディのセダンだった。それが同じ黒でもワーゲンのハッチバックになっている。
「そうか、あの人、また買い替えたんだ」
アウディだって、ぼくからすればまだまだ新車も同然だった。そのピカピカの高級車に、ぼくの軽四の助手席側のドアがぶつかって、傷をつけたのは去年の7月はじめのこと。保険で済んだからよかったものの、修繕代と代車の費用を合わせて、ン十万円かかった。
そうやってきれいにしたばかりなのだ。こちらの気持ちとしては、とくに「きれいにしたばかり」の「ばかり」を強調しておきたい。
持ち主のWさんはいい人である。
ぶつけたときも、「突風のせいだから仕方ないですよ」と笑顔で勘弁してくれた。「どうせ中古になるんですから。車はぼくの道楽ですから、だいたい1年ごとに買い替えています」とも言っていた。
本当にその言葉通りだった。
次から次に車を買い替える人はほかにもいるようだが、そういう趣味というか、神経がぼくにはわからない。いや、もっと正確に、正直に言えば、そんなお金持ちになったことがないから、いったいどこが不満なのかがわからない。
彼が車に乗って出かけるのは、せいぜい週に2回ほど。それもほんの数時間だけで、あとはほとんど停まったままだ。あのとき痛い目にあったカミさんは、いまだにこんな恨み言を言っている。
「乗らないで陳列するだけでしょ」
■室見川の土手の桜並木はカササギのお気に入りの場所で、散歩中によく見かける。
明け方、ベランダから駐車場を見たら、ぼくの軽四の横にある車が変わっていた。昨日の昼過ぎまではいつもの黒のアウディのセダンだった。それが同じ黒でもワーゲンのハッチバックになっている。
「そうか、あの人、また買い替えたんだ」
アウディだって、ぼくからすればまだまだ新車も同然だった。そのピカピカの高級車に、ぼくの軽四の助手席側のドアがぶつかって、傷をつけたのは去年の7月はじめのこと。保険で済んだからよかったものの、修繕代と代車の費用を合わせて、ン十万円かかった。
そうやってきれいにしたばかりなのだ。こちらの気持ちとしては、とくに「きれいにしたばかり」の「ばかり」を強調しておきたい。
持ち主のWさんはいい人である。
ぶつけたときも、「突風のせいだから仕方ないですよ」と笑顔で勘弁してくれた。「どうせ中古になるんですから。車はぼくの道楽ですから、だいたい1年ごとに買い替えています」とも言っていた。
本当にその言葉通りだった。
次から次に車を買い替える人はほかにもいるようだが、そういう趣味というか、神経がぼくにはわからない。いや、もっと正確に、正直に言えば、そんなお金持ちになったことがないから、いったいどこが不満なのかがわからない。
彼が車に乗って出かけるのは、せいぜい週に2回ほど。それもほんの数時間だけで、あとはほとんど停まったままだ。あのとき痛い目にあったカミさんは、いまだにこんな恨み言を言っている。
「乗らないで陳列するだけでしょ」
■室見川の土手の桜並木はカササギのお気に入りの場所で、散歩中によく見かける。
急遽、CT検査を受けた ― 2025年01月22日 11時25分

ぼくのからだを心配している人たちがいるので、気が重いけれど報告しておこう。
「がんの再発の確率が高くなっています。でも、確定はしていません」
それがわかったのは昨年暮れの定期診断のとき。担当の医師は外科部長で数多くの修羅場を踏み、5時間もの手術でぼくを救ってくれた。率直に医学的な見解を話してくれる人だし、彼のことは信頼している。
「血液検査のデータがね、ちょっと気になるんですよ」
そう言って示されたのは「2か月前の採血」の結果だった。この精密なデータの分析は外部の専門機関に委託しているそうで、その日初めて目にする数値だった。
がん細胞を検出する、その重要な腫瘍マーカーの正常値は50~150。それが200になっていた。この数字が何を意味するのか、説明されなくてもわかる。そこで医師は急遽、年明けの1月10日にぼくのCT検査の予約を入れたという次第である。
もうすぐ正月がやってくる。こんなときに暗い話はしたくもないし、がんが再発したと決まったわけでもない。カミさんには新年早々にCT検査をする理由について、「いつもの定期的な検査だよ」とごまかしておいた。
この間、自分に言い聞かせたのは、まず気持ちのうえで絶対に負けないこと。マイナス思考は免疫力を落とすから禁物である。あかるい希望の持てる根拠を拾い集めた。
ひとつあるのは、マーカーの数値が正常値より、わずか50しかオーバーしていないこと。さらに「2か月前の採血」の当日は、CT検査もしていて、結果は「どこも異常なし」だった。つまり、腫瘍マーカーの数値が200のとき、「がんはなかった」ことになる。
データに振りまわされることはない。そうおもった。
1月10日。担当医の外来診察は休み。CT検査だけを受けた。
一昨日の20日。数人の患者が待つなか、いちばん先に呼ばれて、担当医からCTの検査結果を聞いた。
「CTでは、がんはどこにもありません。ただですね、マーカーの数値が1,200まで跳ね上がっているんだよねぇ。がんはないので、抗がん剤治療はできません。2か月後にまたCT検査をやって、そこで考えましょう」
「なにか気をつけておくことがありますか」
「いいや、なにもないですよ。あまり考え過ぎないようにしてくださいね。そうは言っても無理かもしれせんが」
がんができるとしたら、どこの可能性が高いか。最新の抗がん剤の効果は。血液検査のデータは上下にぶれることがあるのかなど、いろいろ質問した。安心したのは再びすい臓がんにはならないということだった。
そうしているうちに霧がたちこめるなかに道筋が見えてきて、やっぱり、総合病院で定期的に検診していてよかったと改めておもった。
早期発見の大切さは身をもって体験している。カミさんにはこころの余裕を持って、すべてを打ち明けた。ぼく自身がそうであるように、どこかにがんが見つかっても、たぶん最初のときほどの衝撃はないだろう。
いまのぼくは、がんではない。でも、そうなったとしても、超早期発見で、すぐに適切な治療を受けられる。長男にも連絡して、次男には漢方薬の補給を頼んだ。
あー、書いてすっきりした。
■このところ気温が上がって、昼間は春のように暖かい。室見川にも人の数がふえた。白い鳥は冬の渡り鳥のユリカモメ。
「がんの再発の確率が高くなっています。でも、確定はしていません」
それがわかったのは昨年暮れの定期診断のとき。担当の医師は外科部長で数多くの修羅場を踏み、5時間もの手術でぼくを救ってくれた。率直に医学的な見解を話してくれる人だし、彼のことは信頼している。
「血液検査のデータがね、ちょっと気になるんですよ」
そう言って示されたのは「2か月前の採血」の結果だった。この精密なデータの分析は外部の専門機関に委託しているそうで、その日初めて目にする数値だった。
がん細胞を検出する、その重要な腫瘍マーカーの正常値は50~150。それが200になっていた。この数字が何を意味するのか、説明されなくてもわかる。そこで医師は急遽、年明けの1月10日にぼくのCT検査の予約を入れたという次第である。
もうすぐ正月がやってくる。こんなときに暗い話はしたくもないし、がんが再発したと決まったわけでもない。カミさんには新年早々にCT検査をする理由について、「いつもの定期的な検査だよ」とごまかしておいた。
この間、自分に言い聞かせたのは、まず気持ちのうえで絶対に負けないこと。マイナス思考は免疫力を落とすから禁物である。あかるい希望の持てる根拠を拾い集めた。
ひとつあるのは、マーカーの数値が正常値より、わずか50しかオーバーしていないこと。さらに「2か月前の採血」の当日は、CT検査もしていて、結果は「どこも異常なし」だった。つまり、腫瘍マーカーの数値が200のとき、「がんはなかった」ことになる。
データに振りまわされることはない。そうおもった。
1月10日。担当医の外来診察は休み。CT検査だけを受けた。
一昨日の20日。数人の患者が待つなか、いちばん先に呼ばれて、担当医からCTの検査結果を聞いた。
「CTでは、がんはどこにもありません。ただですね、マーカーの数値が1,200まで跳ね上がっているんだよねぇ。がんはないので、抗がん剤治療はできません。2か月後にまたCT検査をやって、そこで考えましょう」
「なにか気をつけておくことがありますか」
「いいや、なにもないですよ。あまり考え過ぎないようにしてくださいね。そうは言っても無理かもしれせんが」
がんができるとしたら、どこの可能性が高いか。最新の抗がん剤の効果は。血液検査のデータは上下にぶれることがあるのかなど、いろいろ質問した。安心したのは再びすい臓がんにはならないということだった。
そうしているうちに霧がたちこめるなかに道筋が見えてきて、やっぱり、総合病院で定期的に検診していてよかったと改めておもった。
早期発見の大切さは身をもって体験している。カミさんにはこころの余裕を持って、すべてを打ち明けた。ぼく自身がそうであるように、どこかにがんが見つかっても、たぶん最初のときほどの衝撃はないだろう。
いまのぼくは、がんではない。でも、そうなったとしても、超早期発見で、すぐに適切な治療を受けられる。長男にも連絡して、次男には漢方薬の補給を頼んだ。
あー、書いてすっきりした。
■このところ気温が上がって、昼間は春のように暖かい。室見川にも人の数がふえた。白い鳥は冬の渡り鳥のユリカモメ。
遠くにいる家族、近くにいる家族 ― 2025年01月25日 11時51分

家(うち)にこもっていると自分の方から仕掛けない限り、人に会うことはまずない。カレンダーや手帳にスケジュールを書き込むこともなく、どこの日付も空白だらけである。
緑色のポールペンで目立つように記入してあるのは病院に行く日。消しゴムをゴシゴシやって、鉛筆の跡がうすく残っているところもある。つい先日、ずっとたのしみにしていた予定が消えた。
晩酌をやっていたときにスマホが鳴った。電話をかけてきたのは小倉にいる高校の同級生H君で、ブラジルから帰国中のS君が福岡に来れなくなったという。
S君夫婦が東京で身を寄せている娘さんの体調がよくなくて、一緒にいてあげたい、ということだった。彼らの親ごころはよくわかる。約束していた『西高3人組』の飲み会はまた先送りになった。
こんな知らせが入ると胸がざわつく。
S君親子は地球上でいちばん遠い反対側に別れて暮らしていて、娘さんはがんを患ったことがあると聞いていたから、彼と奥さんの心情をおもうとなおさらである。電話をしても応答がないので、「心配だね。側に居てあげて下さい」のメールをおくった。
返信はなし。いまだに「既読」のマークはついていないままだが、考え過ぎるのは自分の不安の裏返しだとおもい、そっとしておくことにした。
昨年は訃報続きだった。そのなかでひとつの光明は、横浜にいる後輩のA君で、脳梗塞で危機一髪のところをよくぞ脱してくれた。元気になったみたいだから、こうして書けるのだが、「もう勘弁してくれよ、このうえ年下の友まで先に逝かれたらたまらんぞ」とおもった。
A君とその仲間との九州旅行も二度、取り止めになっている。そういう年まわりなのだろう。
さて、カミさんにも話したが、人はそれぞれの考え方や生き方があるのは別の問題として、自然界の法則からすれば、生物は生殖の相手を探して、首尾よく子孫を残したら、生まれてきた役割は終わりである。その点、ぼくは生物としての務めは果たしている。そう割り切ったら、気持ちが羽のように軽くなった。
写真は、初孫のKo君の満一歳の誕生日を祝うオリジナルの号外である。長男のお嫁さんが作ってくれた。いまはこんな記念特集の紙面をだれでも作れるのかと感心した。
いいなぁ、いまどきの親子はスマホで動画も撮れるし、こんなたのしい思い出づくりも簡単にできて。
世のなかは進んでいる。ぼくもカミさんもぜんぜん知らないことがどんどん増えている。
冷蔵庫のドアを開け閉めするたびに、Ko君の無邪気な笑顔が目に入る。
そのほっぺたを指先でチョン! とさわって、俺の役目はもう十分じゃないかとおもったりする。
■昨夜、沖縄の出張から戻ってきたばかりの次男が漢方薬を届けてくれた。近くに家族がいるのは、それだけでも仕合わせである。
緑色のポールペンで目立つように記入してあるのは病院に行く日。消しゴムをゴシゴシやって、鉛筆の跡がうすく残っているところもある。つい先日、ずっとたのしみにしていた予定が消えた。
晩酌をやっていたときにスマホが鳴った。電話をかけてきたのは小倉にいる高校の同級生H君で、ブラジルから帰国中のS君が福岡に来れなくなったという。
S君夫婦が東京で身を寄せている娘さんの体調がよくなくて、一緒にいてあげたい、ということだった。彼らの親ごころはよくわかる。約束していた『西高3人組』の飲み会はまた先送りになった。
こんな知らせが入ると胸がざわつく。
S君親子は地球上でいちばん遠い反対側に別れて暮らしていて、娘さんはがんを患ったことがあると聞いていたから、彼と奥さんの心情をおもうとなおさらである。電話をしても応答がないので、「心配だね。側に居てあげて下さい」のメールをおくった。
返信はなし。いまだに「既読」のマークはついていないままだが、考え過ぎるのは自分の不安の裏返しだとおもい、そっとしておくことにした。
昨年は訃報続きだった。そのなかでひとつの光明は、横浜にいる後輩のA君で、脳梗塞で危機一髪のところをよくぞ脱してくれた。元気になったみたいだから、こうして書けるのだが、「もう勘弁してくれよ、このうえ年下の友まで先に逝かれたらたまらんぞ」とおもった。
A君とその仲間との九州旅行も二度、取り止めになっている。そういう年まわりなのだろう。
さて、カミさんにも話したが、人はそれぞれの考え方や生き方があるのは別の問題として、自然界の法則からすれば、生物は生殖の相手を探して、首尾よく子孫を残したら、生まれてきた役割は終わりである。その点、ぼくは生物としての務めは果たしている。そう割り切ったら、気持ちが羽のように軽くなった。
写真は、初孫のKo君の満一歳の誕生日を祝うオリジナルの号外である。長男のお嫁さんが作ってくれた。いまはこんな記念特集の紙面をだれでも作れるのかと感心した。
いいなぁ、いまどきの親子はスマホで動画も撮れるし、こんなたのしい思い出づくりも簡単にできて。
世のなかは進んでいる。ぼくもカミさんもぜんぜん知らないことがどんどん増えている。
冷蔵庫のドアを開け閉めするたびに、Ko君の無邪気な笑顔が目に入る。
そのほっぺたを指先でチョン! とさわって、俺の役目はもう十分じゃないかとおもったりする。
■昨夜、沖縄の出張から戻ってきたばかりの次男が漢方薬を届けてくれた。近くに家族がいるのは、それだけでも仕合わせである。
資源ごみ回収の「拾い物」 ― 2025年01月27日 22時12分

思いがけない拾い物をした。
昨日の日曜日は校区内一斉資源ごみ回収の日。朝の8時過ぎ、ごみを出す場所にひと月分の新聞紙、雑紙、空き缶を持って行ったら、枯れ草の上にきちんと紐で結んであった本の束が目に入った。ごくシンプルな装丁で、小さな活字の書名から専門書の類だとおもった。
ぼくもここで大事な本を何度か処分したことがある。見捨てられて、ごみになった本をみると胸が痛む。いったいどんな本なのか、もっとよく見たくて、その場にかがみこんだ。
「家事事件」に関する本だった。耳慣れない言葉だが、家庭で起きる事件、たとえば離婚訴訟とか、家庭内暴力、性暴力、子どもの親権などに関する紛争とか、たぶんそんなところだろうとおもった。
下の方にも同じような系統の専門誌が重なっていて、ところどころに付箋が貼ってある。数えたら10冊もあった。
どうやらこの分野に精通している人が勉強の資料にしていたらしい。ぼくは司法の方面にはまるっきり専門外だが、「こんな本があるのか。捨てるのはもったいないな。読んでみよう」とおもった。
なぜ、そんな気持ちになったのか。「ひらめき」とか、「直感」としか言いようがない。
自分の知らない家庭内のさまざまな苦闘がこの本のなかに書かれているはずだ。表面から眺めるだけではわからない、「家のなかのせっぱ詰まった事件」がいくつも紹介されているに違いない。その扉を開けて、なかに入ってみたいという衝動を抑えきれなかった。そして、こうして目に留まったのも、この本の束がぼくを招き寄せたような気がした。
あるテーマに関心を持って、アンテナを張っていると、求めている情報が向こうから飛び込んでくるのはよくあることだ。逆に今回は、いまのぼくが何に興味があるのか、何を知りたがっているかを教えられたようである。
昨日のごみのなかには、シューベルトやモォーツァルトなどの立派なピアノ教本もまとめて出されていた。この団地でピアノを弾く音はどこからも聴こえないので、ここからは想像するしかない。
おそらくその人の以前いた住まいにはピアノがあったのだろう。なんらかの事情でピアノを手ばなして、ここに引っ越すことになり、とうとう大切に残していたピアノの教本まで見切りをつけた、そんな物語が浮かんだ。
一斉資源ごみ回収の日には、まだ十分に使えるものがいろいろ出てくる。ぼくはごみを漁る趣味はないが、自分の生活とは縁のない希少なモノを目にするたびに、それを捨てた人はどこの部屋に住んでいて、どんな人で、どんな気持ちだったのだろうかとつい想像してしまう。
■散歩の途中にあるミカンの木。畑の隅っこに数本だけ植えられている。今年は実の数が少ないようだ。裏作だと聞いている。
昨日の日曜日は校区内一斉資源ごみ回収の日。朝の8時過ぎ、ごみを出す場所にひと月分の新聞紙、雑紙、空き缶を持って行ったら、枯れ草の上にきちんと紐で結んであった本の束が目に入った。ごくシンプルな装丁で、小さな活字の書名から専門書の類だとおもった。
ぼくもここで大事な本を何度か処分したことがある。見捨てられて、ごみになった本をみると胸が痛む。いったいどんな本なのか、もっとよく見たくて、その場にかがみこんだ。
「家事事件」に関する本だった。耳慣れない言葉だが、家庭で起きる事件、たとえば離婚訴訟とか、家庭内暴力、性暴力、子どもの親権などに関する紛争とか、たぶんそんなところだろうとおもった。
下の方にも同じような系統の専門誌が重なっていて、ところどころに付箋が貼ってある。数えたら10冊もあった。
どうやらこの分野に精通している人が勉強の資料にしていたらしい。ぼくは司法の方面にはまるっきり専門外だが、「こんな本があるのか。捨てるのはもったいないな。読んでみよう」とおもった。
なぜ、そんな気持ちになったのか。「ひらめき」とか、「直感」としか言いようがない。
自分の知らない家庭内のさまざまな苦闘がこの本のなかに書かれているはずだ。表面から眺めるだけではわからない、「家のなかのせっぱ詰まった事件」がいくつも紹介されているに違いない。その扉を開けて、なかに入ってみたいという衝動を抑えきれなかった。そして、こうして目に留まったのも、この本の束がぼくを招き寄せたような気がした。
あるテーマに関心を持って、アンテナを張っていると、求めている情報が向こうから飛び込んでくるのはよくあることだ。逆に今回は、いまのぼくが何に興味があるのか、何を知りたがっているかを教えられたようである。
昨日のごみのなかには、シューベルトやモォーツァルトなどの立派なピアノ教本もまとめて出されていた。この団地でピアノを弾く音はどこからも聴こえないので、ここからは想像するしかない。
おそらくその人の以前いた住まいにはピアノがあったのだろう。なんらかの事情でピアノを手ばなして、ここに引っ越すことになり、とうとう大切に残していたピアノの教本まで見切りをつけた、そんな物語が浮かんだ。
一斉資源ごみ回収の日には、まだ十分に使えるものがいろいろ出てくる。ぼくはごみを漁る趣味はないが、自分の生活とは縁のない希少なモノを目にするたびに、それを捨てた人はどこの部屋に住んでいて、どんな人で、どんな気持ちだったのだろうかとつい想像してしまう。
■散歩の途中にあるミカンの木。畑の隅っこに数本だけ植えられている。今年は実の数が少ないようだ。裏作だと聞いている。
風呂のお湯が出ない! ― 2025年01月30日 12時22分

寒い。朝起きたときの気温は2度。
ああ、それなのに、なんの前触れもなく、お風呂のお湯が出なくなった。何度も何度も給湯パネルの点火ボタンをしっかり押し込むのだが、ガスに火はつかず、手でさわってみると氷のように冷たい水が出てくるばかり。
一昨日の夕方からこの有り様である。
ただ、その日はシャワーだけはぬるいお湯になったり、冷たくなったりで、震えながらもなんとか使えた。ところが、昨日の夜から機械の反応はまったくなし。仕方なく台所の湯沸かし器のお湯を熱くしたり、ガスコンロでやかんに満タンの水を沸騰させて、どうにかこうにか急場をしのいだ。
それでも、ある日突然に襲ってきた災害に遭い、凍えるほどの寒さなか電気も水道も止まって、学校の体育館の固い板張りの上やせまい車中で耐えている人たちに比べたら、はるかにマシである。
さっそくURの窓口に電話して、専門の業者に来てもらい、機器の取り替えの手配をしてもらったが、部品の取り寄せとか、工事が立て込んでいて、風呂が使えるのは来月の5日という。
「1週間も先か、来週はこの冬いちばんの寒波がやってくるのに」とため息が出た。
不幸中のさいわいというか、わが家から歩いて10分もかからないところにリニューアルしてまもないスーパー銭湯がある。設備の完備した人気の高いところで、この団地にも常連の人がいる。
ぼくたち夫婦はまだ一度も行ったことがない。入浴料金をネットで調べたら、大人ひとり850円だった。こちらもポンと値上がりしたようだ。カミさんとふたりで想定外の約2,000円の出費になるが、今晩だけというわけにはいかないだろう。
まぁ、いいか。近場にあるだけでもよかった。
調べてみたら、ふつうに「銭湯」と呼ばれている昔ながらの公衆浴場は福岡市内にたった8軒しか残っていない。いずれもわが家からは遠くて、入浴料は中学生以上が430円である。
ぼくが大学に入学した1970年の東京の銭湯は38円だった。
ちなみに山手線の初乗り運賃は30円。週刊誌(週間朝日)は70円。参考までに付け加えておくと、国家公務員上級試験に合格した大卒の初任給(基本給)は36,100円である。
ぼくたちの青春時代は、おおげさに言えば10円玉や1円玉にも日々の生活を支えてくれる値打ちがあった。いまの若い人たちとは生活感とでもいうか、こまかいところで話が噛み合わないのは致し方ないか。
なんだか貧乏くさい話になってしまったが、たぶん風呂が使えなくなった不便さも、ぼくたち夫婦の方が順応しやすいかもしれない。
木造モルタル造りのアパートの部屋に、内風呂がないのは当たり前だった世代の郷愁みたいな、強がりみたいなものだけど。
■室見川の河畔で、日向ぼっこをしているネコがいた。この場所が気に入っているのか、後ろから声をかけたら首だけまわして、目は閉じたまま。
完全に無視された。邪魔をして悪かったな。
ああ、それなのに、なんの前触れもなく、お風呂のお湯が出なくなった。何度も何度も給湯パネルの点火ボタンをしっかり押し込むのだが、ガスに火はつかず、手でさわってみると氷のように冷たい水が出てくるばかり。
一昨日の夕方からこの有り様である。
ただ、その日はシャワーだけはぬるいお湯になったり、冷たくなったりで、震えながらもなんとか使えた。ところが、昨日の夜から機械の反応はまったくなし。仕方なく台所の湯沸かし器のお湯を熱くしたり、ガスコンロでやかんに満タンの水を沸騰させて、どうにかこうにか急場をしのいだ。
それでも、ある日突然に襲ってきた災害に遭い、凍えるほどの寒さなか電気も水道も止まって、学校の体育館の固い板張りの上やせまい車中で耐えている人たちに比べたら、はるかにマシである。
さっそくURの窓口に電話して、専門の業者に来てもらい、機器の取り替えの手配をしてもらったが、部品の取り寄せとか、工事が立て込んでいて、風呂が使えるのは来月の5日という。
「1週間も先か、来週はこの冬いちばんの寒波がやってくるのに」とため息が出た。
不幸中のさいわいというか、わが家から歩いて10分もかからないところにリニューアルしてまもないスーパー銭湯がある。設備の完備した人気の高いところで、この団地にも常連の人がいる。
ぼくたち夫婦はまだ一度も行ったことがない。入浴料金をネットで調べたら、大人ひとり850円だった。こちらもポンと値上がりしたようだ。カミさんとふたりで想定外の約2,000円の出費になるが、今晩だけというわけにはいかないだろう。
まぁ、いいか。近場にあるだけでもよかった。
調べてみたら、ふつうに「銭湯」と呼ばれている昔ながらの公衆浴場は福岡市内にたった8軒しか残っていない。いずれもわが家からは遠くて、入浴料は中学生以上が430円である。
ぼくが大学に入学した1970年の東京の銭湯は38円だった。
ちなみに山手線の初乗り運賃は30円。週刊誌(週間朝日)は70円。参考までに付け加えておくと、国家公務員上級試験に合格した大卒の初任給(基本給)は36,100円である。
ぼくたちの青春時代は、おおげさに言えば10円玉や1円玉にも日々の生活を支えてくれる値打ちがあった。いまの若い人たちとは生活感とでもいうか、こまかいところで話が噛み合わないのは致し方ないか。
なんだか貧乏くさい話になってしまったが、たぶん風呂が使えなくなった不便さも、ぼくたち夫婦の方が順応しやすいかもしれない。
木造モルタル造りのアパートの部屋に、内風呂がないのは当たり前だった世代の郷愁みたいな、強がりみたいなものだけど。
■室見川の河畔で、日向ぼっこをしているネコがいた。この場所が気に入っているのか、後ろから声をかけたら首だけまわして、目は閉じたまま。
完全に無視された。邪魔をして悪かったな。
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