消えた、幻のコメント ― 2024年10月01日 10時48分

過日、サンパウロにいる高校時代の同級生S君から電話があって、悔しそうに打ち明け話をはじめた。
「お前がブログに高校の同期会のことを2回書いていたから、そこに載せるコメントをふたつも書いたんよ。ひとつは400字詰めの原稿用紙で2枚分も書いたんや。それで投稿して、掲載されたかどうか確認したら、なぜかわからんけど、ふたつともぜーんぶ消えててな。がんばって書いたんだけどなぁ。でも、もう一度、最初から書き直す気力がなくてよ」
お気の毒に。ぼくもときどきやらかすから、そのときの泣きたくなる気持ちはよくわかる。
高校時代の大切な思い出を、彼らしい率直な言葉でつづったのだろう。惜しいなぁ。読んでみたかった。
それでも久々に遠いブラジルからの元気な声を聞いて安心した。
S君から「10月半ばに一時帰国する。また3人で飲もう」という内容のメールが届いたのは半月ほど前のこと。こちらからも返信のメールを出したり、電話もかけたのだが、何度やってもまったく無反応だったのだ。
そんな不義理なことはしない男である。ぼくたち3人組のひとりのH君も心配して、「まさか、あいつ死んだんじゃないだろうな」なんて、とても本人には聞かせられない話までしていたのである。
元気な声を聞いて、こちらの心配ごとは吹っ飛んだ。どうして連絡をくれなかったのか、その理由もわかった。
原因は、彼のスマホが使えなくなったからだった。それは予想していた範囲内のこと。
だが、精密な機械にはなんの罪もなかった。使えなくしたのはS君である。
彼は友人と夜遅くまで大酒を飲んで、別れた後に酔いがぐるぐるまわって正常に機能しなくなった脳細胞のまま、スマホで何かやりたかったのだろう。そして、自分のおもい通りにならなかったスマホに腹を立てて、そこらに放り投げたのだった。
翌朝、奥さんと娘さんからさんざん怒られたという。
こうして彼もまた亭主と父親の威厳がぽろぽろ剥げ落ちていくのだ。おおぜいの男たちがたどる道である。
酒でちょくちょく失敗していた大先輩たちもそうだった。
ぼくの知り合いの画家は酔っ払って、財布の入ったズボンも、パンツも靴下も靴もぜんぶどこかに脱ぎ捨てて、素っ裸のままタクシーに乗って、夜明けにご帰還した。
お世話になった酒好きの大学教授は、学生たちとコンパをやって、帰りのタクシーを降りた後、千鳥足がもつれて自宅手前の溝のどぶ水に頭から突っ込んで、メガネを割った。
いかん、酒を飲んでもいないのに、こういう話になるとついつい調子に乗って、どんどん脱線してしまう。だんだんS君がすぐ隣の席にいるような気がしてきた。
古い友人をダシにしたこんなブログでも、3人組のふたりは付き合ってくれるだろう。友とはありがたいものである。
最後に、S君が一生懸命に書いてくれた「幻のコメント」に対して、「ありがとう」のひと言をこの場でお返ししておこう。
■カミさんは左の目に続いて、右の目の白内障の手術も無事に終わった。「ワァー、くっきり、はっきり見える」はさらに精度が向上した様子。
これまで見えていなかった部屋のなかの微細な汚れも目につくようになって、「嫌になるね、どこもかしこも汚くて」と言いながら、いまもあちこちせっせと磨いている。逆に、鏡で自分の顔を見る時間は格段に少なくなった。
■室見川の堤防の斜面に顔をだした彼岸花。秋の彼岸はとっくに過ぎたのに、まだぽつぽつとしか花は開いていない。この夏の異常な猛暑のせいだという。
「お前がブログに高校の同期会のことを2回書いていたから、そこに載せるコメントをふたつも書いたんよ。ひとつは400字詰めの原稿用紙で2枚分も書いたんや。それで投稿して、掲載されたかどうか確認したら、なぜかわからんけど、ふたつともぜーんぶ消えててな。がんばって書いたんだけどなぁ。でも、もう一度、最初から書き直す気力がなくてよ」
お気の毒に。ぼくもときどきやらかすから、そのときの泣きたくなる気持ちはよくわかる。
高校時代の大切な思い出を、彼らしい率直な言葉でつづったのだろう。惜しいなぁ。読んでみたかった。
それでも久々に遠いブラジルからの元気な声を聞いて安心した。
S君から「10月半ばに一時帰国する。また3人で飲もう」という内容のメールが届いたのは半月ほど前のこと。こちらからも返信のメールを出したり、電話もかけたのだが、何度やってもまったく無反応だったのだ。
そんな不義理なことはしない男である。ぼくたち3人組のひとりのH君も心配して、「まさか、あいつ死んだんじゃないだろうな」なんて、とても本人には聞かせられない話までしていたのである。
元気な声を聞いて、こちらの心配ごとは吹っ飛んだ。どうして連絡をくれなかったのか、その理由もわかった。
原因は、彼のスマホが使えなくなったからだった。それは予想していた範囲内のこと。
だが、精密な機械にはなんの罪もなかった。使えなくしたのはS君である。
彼は友人と夜遅くまで大酒を飲んで、別れた後に酔いがぐるぐるまわって正常に機能しなくなった脳細胞のまま、スマホで何かやりたかったのだろう。そして、自分のおもい通りにならなかったスマホに腹を立てて、そこらに放り投げたのだった。
翌朝、奥さんと娘さんからさんざん怒られたという。
こうして彼もまた亭主と父親の威厳がぽろぽろ剥げ落ちていくのだ。おおぜいの男たちがたどる道である。
酒でちょくちょく失敗していた大先輩たちもそうだった。
ぼくの知り合いの画家は酔っ払って、財布の入ったズボンも、パンツも靴下も靴もぜんぶどこかに脱ぎ捨てて、素っ裸のままタクシーに乗って、夜明けにご帰還した。
お世話になった酒好きの大学教授は、学生たちとコンパをやって、帰りのタクシーを降りた後、千鳥足がもつれて自宅手前の溝のどぶ水に頭から突っ込んで、メガネを割った。
いかん、酒を飲んでもいないのに、こういう話になるとついつい調子に乗って、どんどん脱線してしまう。だんだんS君がすぐ隣の席にいるような気がしてきた。
古い友人をダシにしたこんなブログでも、3人組のふたりは付き合ってくれるだろう。友とはありがたいものである。
最後に、S君が一生懸命に書いてくれた「幻のコメント」に対して、「ありがとう」のひと言をこの場でお返ししておこう。
■カミさんは左の目に続いて、右の目の白内障の手術も無事に終わった。「ワァー、くっきり、はっきり見える」はさらに精度が向上した様子。
これまで見えていなかった部屋のなかの微細な汚れも目につくようになって、「嫌になるね、どこもかしこも汚くて」と言いながら、いまもあちこちせっせと磨いている。逆に、鏡で自分の顔を見る時間は格段に少なくなった。
■室見川の堤防の斜面に顔をだした彼岸花。秋の彼岸はとっくに過ぎたのに、まだぽつぽつとしか花は開いていない。この夏の異常な猛暑のせいだという。
花ドロボーを捕まえてみれば…… ― 2024年10月13日 19時27分

「お父さん、ちょっとあの人、怪しいんじゃない。ほら、あのお年寄りの女の人」
北向きの窓辺に立っていたカミさんが指さす方を見たら、ぼくたちが世話をしている団地の花壇の前で、ひとりのお婆さんがトレニアの花に手を伸ばしていた。
「ちょっと行ってくる」
急いで丸下駄をつっかけて階段を駆け下りた。
ここ1週間ばかりの出来事が頭をよぎった。花盛りだった白やピンクの日日草も、可憐な赤い花がぽつぽつ開きはじめていたネメシアも、青紫色の小さな花が絨毯のように広がっていたトレニアも、新しい芽に青い花がほころんでいたブルーサルビアも、毎日のように根元から無残にへし折られて盗まれていた。
「またやられた。ひどいことするなぁ。いったいどこのどいつの仕わざだ」
かわいがっていた花を盗られて、丸坊主のようにされた跡を見るたびに腹が立って、そんなやつのいることがつくづく嫌になってしまい、「よろこんでくれる人たちもいるけどな。もう花を育てるのは止めようか」とぼくたち夫婦は話していたのだ。
あきらかに常習犯である。花壇のすぐ目の前にある5階建ての棟の窓から、3日続けて花ドロボーを目撃したご近所さんもいる。「オバサンですよ。盗った花をビニール袋に入れて、団地のなかへ歩いて行った」という証言もあった。
どんな顔をしていたのか、根掘り葉掘り聞かなかった。同じ団地の住人に違いないので、ことを荒立てるようなまねはしたくない。そのオバサンを見た人も、年恰好などの細かい話まではしなかった。きっと同じ考えなのだとおもう。
それでもこのまま放置していては、ますます図に乗るだろうし、一発言わずにはいられないという気持ちもあって、ぼくたちはときどき窓から花壇の様子をうかがっていたのである。そして、ついにそのときが来たというわけだ。
急ぎ足で近づいてみると、背丈が140センチぐらいしかないオバアチャンだった。左の手にトレニアの花を数本握っていた。
怒りを抑えて、ふつうに声をかけた。
「何をしてるの。花を盗ったら、いけないよ。ここの花はね、ぼくたち夫婦が苗を買ってきて、肥料をやって、夏場の暑い日も毎日水をやって、大事に育てているんだからね。この花を見て、きれいですねとよろこんでいる人もたくさんいるんだからね」
オバアチャンは、あわてふためく様子はまったくなかった。
「ごめんなさい。主人が亡くなったの。お花を飾ってやろうとおもって」
予想もしなかった返答に、とっさに言い返せなかった。
とっくに80歳は過ぎている。こまかいシワだらけだが、幼い子どものような顔をしている。だが、どうも様子がおかしい。
「主人を亡くしたの。ごめんなさい。その白い花、もらえる? それからあの黄色い花もね」
「もう、しません」のひと言を求めているのに、ちいさな声で、「主人が亡くなったの」、「主人を亡くしたの」と言うばかり。
「わかった、わかった。採ってあげるから。花が欲しかったら、ぼくがいるときには声をかけてね。あのね、あなたが勝手にここの花を次から次に盗っているのを見た人は何人もいるの。はっきり言っておくけどね、あなたはね、ドロボーだとおもわれているんだよ。だからね、もう花を盗むのは止めて。ぼくがいたら、代わりに採ってあげるから。いいね、わかった?」
オバアチャンは「ごめんなさい」と答えて、コクンとうなずいた。
だが、ぼくの言っていることを、はたしてどこまで理解したかどうかははなはだ疑問である。
3階にある部屋に戻ったら、ぼくたちの様子を見ていたらしいカミさんから声をかけられた。
「来て。見て、見て。いやだぁ。あのオバアチャン、立ったままオシッコしてるよ」
目の前の道路脇に立っていた。足もとにはそこだけ短い草が生えている。白っぽいズボンを膝の下までおろして、少し腰をかがめた恰好で、あたりをうかがいながら用を足していた。
「あらあら。ちょっとボケてるみたいなんだ。なんだかかわいそうになったなぁ」
「あのおばあちゃん、ご主人が亡くなったのなら、きっと独りだよね。ガスの火の始末とか、大丈夫かなぁ。心配だなぁ」
あのオバアチャンはボケていても、深い哀しみを抱えていた。あんなふうに叱らないで、もっと別の言い方があったのかもしれない。認知症の人を地域で見守るとはこういうことかとおもった。
あんな調子では、さっきのこともすぐに忘れてしまうだろう。
それでいい。また花を盗られることがあっても黙っておこう。
カミさんも異論なし、だった。
北向きの窓辺に立っていたカミさんが指さす方を見たら、ぼくたちが世話をしている団地の花壇の前で、ひとりのお婆さんがトレニアの花に手を伸ばしていた。
「ちょっと行ってくる」
急いで丸下駄をつっかけて階段を駆け下りた。
ここ1週間ばかりの出来事が頭をよぎった。花盛りだった白やピンクの日日草も、可憐な赤い花がぽつぽつ開きはじめていたネメシアも、青紫色の小さな花が絨毯のように広がっていたトレニアも、新しい芽に青い花がほころんでいたブルーサルビアも、毎日のように根元から無残にへし折られて盗まれていた。
「またやられた。ひどいことするなぁ。いったいどこのどいつの仕わざだ」
かわいがっていた花を盗られて、丸坊主のようにされた跡を見るたびに腹が立って、そんなやつのいることがつくづく嫌になってしまい、「よろこんでくれる人たちもいるけどな。もう花を育てるのは止めようか」とぼくたち夫婦は話していたのだ。
あきらかに常習犯である。花壇のすぐ目の前にある5階建ての棟の窓から、3日続けて花ドロボーを目撃したご近所さんもいる。「オバサンですよ。盗った花をビニール袋に入れて、団地のなかへ歩いて行った」という証言もあった。
どんな顔をしていたのか、根掘り葉掘り聞かなかった。同じ団地の住人に違いないので、ことを荒立てるようなまねはしたくない。そのオバサンを見た人も、年恰好などの細かい話まではしなかった。きっと同じ考えなのだとおもう。
それでもこのまま放置していては、ますます図に乗るだろうし、一発言わずにはいられないという気持ちもあって、ぼくたちはときどき窓から花壇の様子をうかがっていたのである。そして、ついにそのときが来たというわけだ。
急ぎ足で近づいてみると、背丈が140センチぐらいしかないオバアチャンだった。左の手にトレニアの花を数本握っていた。
怒りを抑えて、ふつうに声をかけた。
「何をしてるの。花を盗ったら、いけないよ。ここの花はね、ぼくたち夫婦が苗を買ってきて、肥料をやって、夏場の暑い日も毎日水をやって、大事に育てているんだからね。この花を見て、きれいですねとよろこんでいる人もたくさんいるんだからね」
オバアチャンは、あわてふためく様子はまったくなかった。
「ごめんなさい。主人が亡くなったの。お花を飾ってやろうとおもって」
予想もしなかった返答に、とっさに言い返せなかった。
とっくに80歳は過ぎている。こまかいシワだらけだが、幼い子どものような顔をしている。だが、どうも様子がおかしい。
「主人を亡くしたの。ごめんなさい。その白い花、もらえる? それからあの黄色い花もね」
「もう、しません」のひと言を求めているのに、ちいさな声で、「主人が亡くなったの」、「主人を亡くしたの」と言うばかり。
「わかった、わかった。採ってあげるから。花が欲しかったら、ぼくがいるときには声をかけてね。あのね、あなたが勝手にここの花を次から次に盗っているのを見た人は何人もいるの。はっきり言っておくけどね、あなたはね、ドロボーだとおもわれているんだよ。だからね、もう花を盗むのは止めて。ぼくがいたら、代わりに採ってあげるから。いいね、わかった?」
オバアチャンは「ごめんなさい」と答えて、コクンとうなずいた。
だが、ぼくの言っていることを、はたしてどこまで理解したかどうかははなはだ疑問である。
3階にある部屋に戻ったら、ぼくたちの様子を見ていたらしいカミさんから声をかけられた。
「来て。見て、見て。いやだぁ。あのオバアチャン、立ったままオシッコしてるよ」
目の前の道路脇に立っていた。足もとにはそこだけ短い草が生えている。白っぽいズボンを膝の下までおろして、少し腰をかがめた恰好で、あたりをうかがいながら用を足していた。
「あらあら。ちょっとボケてるみたいなんだ。なんだかかわいそうになったなぁ」
「あのおばあちゃん、ご主人が亡くなったのなら、きっと独りだよね。ガスの火の始末とか、大丈夫かなぁ。心配だなぁ」
あのオバアチャンはボケていても、深い哀しみを抱えていた。あんなふうに叱らないで、もっと別の言い方があったのかもしれない。認知症の人を地域で見守るとはこういうことかとおもった。
あんな調子では、さっきのこともすぐに忘れてしまうだろう。
それでいい。また花を盗られることがあっても黙っておこう。
カミさんも異論なし、だった。
貧乏くじを引いたかな ― 2024年10月23日 15時18分

衆院選は投票日まで4日になった。共同通信社の終盤情勢によれば、政権与党の過半数確保は微妙という。
「当たり前だろ、あんなことをやったのだから」とおもう。
27日の投開票のニュースがたのしみだ。結果が出るのはもう少し先だが、悪い奴らを成敗したような、こんな気分は久々である。
表には出せない大金をこっそり懐に入れたり、真相の説明をとぼけたりした国会議員たちは、「金輪際、カネをちょろまかしたり、言い逃れをしたり、脱税はいたしません。まっとうな人間になります」とおおいに反省してもらわねば。
それでもほとぼりが覚めたら、またどんな手を使ってくるか知れたものではない。いままでもその繰り返しだったから、「信用は一日にしてならず」である。
ここからは少し別の角度から、自民党の選挙戦の「自壊の法則」について私見を書く。
選挙では受け身にまわって、言い訳に追い込まれた方がたいてい負ける。投票率が上がって、「浮動票(無党派票)」が少なくなるほどそうなる。「浮動票」を「隠れ批判票」と言ってもいい。
これまでの自民党はこの方式をフルに利用していた。つまり、投票率が上がらないように仕向けていた。その方法は「争点つぶし」とでもいう作戦である。
野党の目玉政策をちゃっかり横取りして、あらかじめ選挙の対立点をつぶしていたのだ。多くの人々に、「どこの政党が勝ってもたいして変わらない」とおもい込ませるのが狙い目で、政治にあまり関心のない人はわざわざ投票に行かなくなる。
一方で、安定して票の計算ができる「保守の岩盤層」や創価学会の人たちは大雨や雪の日でも投票に行く。これで「選挙に勝つ」という寸法である。
これが安倍政権のときから得意にしてきた常套手段だった。
ところが今回ばかりは勝手が違う。野党が争点にしているのは、有権者の気持ちを代弁する「裏金疑惑」で、標的はあちこちの選挙区にいる自民党の裏金議員だから、「争点つぶし」なんかできるわけがない。いつものやり口を封印するしかなかったのだ。
まず、これが「自壊の法則」のひとつ。
次に、かつて自民党が政権を降りたときの原因は、党内の分裂による弱体化だった。
では、いまの自民党はどうか。新しい総裁の石破茂は「党内野党」と言われるほど支持基盤がきわめて弱い。そのうえ、こんな異常事態を引き起こした張本人である最大派閥の旧安倍派の議員たちから恨まれて、いつ総理の座から引きずり落されるかわからない。
その安倍派の面々の選挙応援に駆けずりまわっているのは、総裁選で石破に惜敗した高市早苗。だれが見ても、「ポスト石破」を狙っているのは明々白々で、自民党は一致団結どころか、上から下まで足腰がぐらぐらしているのである。
もうひとつは「隠れ援軍の崩壊」。いわずと知れた旧統一教会のことで、これも安倍政権が選挙戦の別動隊として頼りにしていたのは、みなさんご承知の通り。
石破茂が新しい総裁に決まったとき、「紙一重の差で、ラストチャンスをつかまえたけど、当たりくじではなく、貧乏くじを引いたなぁ」とおもった。
「時は人を選ぶ」という。そういう星まわりの人がいなくては、ものごとは先に進まない。
味方が少ないのに、外からも内からも袋だたきにされて、いままでのツケを払うことになった責任重大なリーダーに対して、政治家としてどうのこうのではなく、こう見えても少しは同情しているのである。
■コロナ感染から咳ぜんそくにつながって、ようやく鎮まってきた。この間に、74歳になった。
カミさんと歩くいつもの散歩コースに、かわいいカモのカップルがいた。
「やぁ、お帰り」と声をかける。警戒しているけれど、この場所が気に入っているのだろうか、水中の草を食べるのに夢中で、急いで逃げる様子はない。野鳥がこんな近くにいる環境がうれしい。
「当たり前だろ、あんなことをやったのだから」とおもう。
27日の投開票のニュースがたのしみだ。結果が出るのはもう少し先だが、悪い奴らを成敗したような、こんな気分は久々である。
表には出せない大金をこっそり懐に入れたり、真相の説明をとぼけたりした国会議員たちは、「金輪際、カネをちょろまかしたり、言い逃れをしたり、脱税はいたしません。まっとうな人間になります」とおおいに反省してもらわねば。
それでもほとぼりが覚めたら、またどんな手を使ってくるか知れたものではない。いままでもその繰り返しだったから、「信用は一日にしてならず」である。
ここからは少し別の角度から、自民党の選挙戦の「自壊の法則」について私見を書く。
選挙では受け身にまわって、言い訳に追い込まれた方がたいてい負ける。投票率が上がって、「浮動票(無党派票)」が少なくなるほどそうなる。「浮動票」を「隠れ批判票」と言ってもいい。
これまでの自民党はこの方式をフルに利用していた。つまり、投票率が上がらないように仕向けていた。その方法は「争点つぶし」とでもいう作戦である。
野党の目玉政策をちゃっかり横取りして、あらかじめ選挙の対立点をつぶしていたのだ。多くの人々に、「どこの政党が勝ってもたいして変わらない」とおもい込ませるのが狙い目で、政治にあまり関心のない人はわざわざ投票に行かなくなる。
一方で、安定して票の計算ができる「保守の岩盤層」や創価学会の人たちは大雨や雪の日でも投票に行く。これで「選挙に勝つ」という寸法である。
これが安倍政権のときから得意にしてきた常套手段だった。
ところが今回ばかりは勝手が違う。野党が争点にしているのは、有権者の気持ちを代弁する「裏金疑惑」で、標的はあちこちの選挙区にいる自民党の裏金議員だから、「争点つぶし」なんかできるわけがない。いつものやり口を封印するしかなかったのだ。
まず、これが「自壊の法則」のひとつ。
次に、かつて自民党が政権を降りたときの原因は、党内の分裂による弱体化だった。
では、いまの自民党はどうか。新しい総裁の石破茂は「党内野党」と言われるほど支持基盤がきわめて弱い。そのうえ、こんな異常事態を引き起こした張本人である最大派閥の旧安倍派の議員たちから恨まれて、いつ総理の座から引きずり落されるかわからない。
その安倍派の面々の選挙応援に駆けずりまわっているのは、総裁選で石破に惜敗した高市早苗。だれが見ても、「ポスト石破」を狙っているのは明々白々で、自民党は一致団結どころか、上から下まで足腰がぐらぐらしているのである。
もうひとつは「隠れ援軍の崩壊」。いわずと知れた旧統一教会のことで、これも安倍政権が選挙戦の別動隊として頼りにしていたのは、みなさんご承知の通り。
石破茂が新しい総裁に決まったとき、「紙一重の差で、ラストチャンスをつかまえたけど、当たりくじではなく、貧乏くじを引いたなぁ」とおもった。
「時は人を選ぶ」という。そういう星まわりの人がいなくては、ものごとは先に進まない。
味方が少ないのに、外からも内からも袋だたきにされて、いままでのツケを払うことになった責任重大なリーダーに対して、政治家としてどうのこうのではなく、こう見えても少しは同情しているのである。
■コロナ感染から咳ぜんそくにつながって、ようやく鎮まってきた。この間に、74歳になった。
カミさんと歩くいつもの散歩コースに、かわいいカモのカップルがいた。
「やぁ、お帰り」と声をかける。警戒しているけれど、この場所が気に入っているのだろうか、水中の草を食べるのに夢中で、急いで逃げる様子はない。野鳥がこんな近くにいる環境がうれしい。
年内最後のCT検査も大丈夫 ― 2024年10月28日 18時32分

ことし3回目のCT検査をクリアした。
たぶん大丈夫だと自分に言い聞かせていても、やはり再発したときのことを考えてしまう。内心は怖いのだ。担当の医者もそのあたりのことがよくわかっているので、診察室で顔をあわせたとたん、「CTはなにも問題ありませんよ。順調です。この調子で行きましょう」と言ってくれた。
昨年2月21日の手術から約20か月が過ぎた。今日のような日は、「よく生きてきたなぁ」としみじみおもう。
先日は春の花見以来、ひさしぶりに室見川の河畔公園で、高校時代の友だちとふたりで昼酒をやった。3つ置いてあるコンクリート製のテーブルとイスはどれも空いていて、平日の真っ昼間から一杯やっているのは、ぼくたち高齢者のおっさんだけ。
黄色や赤に色づいた桜の枯れ葉がひらひら舞い落ちる。野鳥のさえずりが高木のケヤキやクスノキのてっぺんを渡っていく。空は青く、暑くもなし、寒くもなし。
値段の安い缶ビールもどきやペットボトル入りの白ワインでも、コップは使い捨ての透明なプラスチックでも、きれいな女の人が横にいなくても、ぼくたちにはこれで十分である。
酒のあてのメインは、前日にぼくが作ったおでんの残り。大根、こんにゃく、はんぺん、たまご、厚揚げ、ごぼう巻きを、カミさんが温めなおして、一人前ずつパックに詰めてくれた。
「おでんかぁ、いいね」
「ばたばたして作った残りものだけどな。おでんには日本酒の方が合うかな。お前、酒の方がよかったんじゃない」
どうやらマトを突いたようで、白ワインを少し残したまま、友人は歩いて2分のスーパーまで、日本酒を買い出しに行った。その紙パックを手に取って見たら、「大吟醸」と印刷されている。ぼくは用意していた陶器のぐい呑みを持ち出した。
こうなることはわかっていたのである。
友だちは大手企業を定年まで勤めあげて、立派なマイホームを建てて、なんの不安もない年金暮らし。こちらは道草ばかりやってきて、背中が寒々としている団地暮らしのプワーシニア。それでも「お前(の人生)はいいよな」、なんて言い合っている。
若いころはあの『伊豆の踊子』の舞台になった伊豆半島の有名なトンネルをふたりで歩いて、山中の宿で飲んだ仲である。なんの因果か、どちらにも縁のなかった福岡でまた一緒になって、あのころのように飲んでいる。
それもこれも互いに健康でいればこそ。
秋の夜、こうして書きながら、若いころにはなかった感情がしずかに、やがてはげしくひろがっていく。
「よかった。がんは再発していなかった。もうひと踏ん張り、やらんといかんな」。
元気づけにこれから軽く一杯やるか。
大騒ぎしている衆議院選挙の結果よりも、ぼくたち夫婦はきょうの検査の結果の方がはるかに大事なのである。
たぶん大丈夫だと自分に言い聞かせていても、やはり再発したときのことを考えてしまう。内心は怖いのだ。担当の医者もそのあたりのことがよくわかっているので、診察室で顔をあわせたとたん、「CTはなにも問題ありませんよ。順調です。この調子で行きましょう」と言ってくれた。
昨年2月21日の手術から約20か月が過ぎた。今日のような日は、「よく生きてきたなぁ」としみじみおもう。
先日は春の花見以来、ひさしぶりに室見川の河畔公園で、高校時代の友だちとふたりで昼酒をやった。3つ置いてあるコンクリート製のテーブルとイスはどれも空いていて、平日の真っ昼間から一杯やっているのは、ぼくたち高齢者のおっさんだけ。
黄色や赤に色づいた桜の枯れ葉がひらひら舞い落ちる。野鳥のさえずりが高木のケヤキやクスノキのてっぺんを渡っていく。空は青く、暑くもなし、寒くもなし。
値段の安い缶ビールもどきやペットボトル入りの白ワインでも、コップは使い捨ての透明なプラスチックでも、きれいな女の人が横にいなくても、ぼくたちにはこれで十分である。
酒のあてのメインは、前日にぼくが作ったおでんの残り。大根、こんにゃく、はんぺん、たまご、厚揚げ、ごぼう巻きを、カミさんが温めなおして、一人前ずつパックに詰めてくれた。
「おでんかぁ、いいね」
「ばたばたして作った残りものだけどな。おでんには日本酒の方が合うかな。お前、酒の方がよかったんじゃない」
どうやらマトを突いたようで、白ワインを少し残したまま、友人は歩いて2分のスーパーまで、日本酒を買い出しに行った。その紙パックを手に取って見たら、「大吟醸」と印刷されている。ぼくは用意していた陶器のぐい呑みを持ち出した。
こうなることはわかっていたのである。
友だちは大手企業を定年まで勤めあげて、立派なマイホームを建てて、なんの不安もない年金暮らし。こちらは道草ばかりやってきて、背中が寒々としている団地暮らしのプワーシニア。それでも「お前(の人生)はいいよな」、なんて言い合っている。
若いころはあの『伊豆の踊子』の舞台になった伊豆半島の有名なトンネルをふたりで歩いて、山中の宿で飲んだ仲である。なんの因果か、どちらにも縁のなかった福岡でまた一緒になって、あのころのように飲んでいる。
それもこれも互いに健康でいればこそ。
秋の夜、こうして書きながら、若いころにはなかった感情がしずかに、やがてはげしくひろがっていく。
「よかった。がんは再発していなかった。もうひと踏ん張り、やらんといかんな」。
元気づけにこれから軽く一杯やるか。
大騒ぎしている衆議院選挙の結果よりも、ぼくたち夫婦はきょうの検査の結果の方がはるかに大事なのである。
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